#11 春の予感
ナナは元々極度の面倒臭がりである。
甘やかされれば甘やかされた分つけあがり、自分は世話をされて当然とばかりに腹を見せる。
楽な道があればすぐさま飛びつき、やりたくないことを徹底的に後回しにする。面倒事を後回しにしていればいつかは自然消滅してくれると何の根拠もなく思っているタイプだ。
その癖プライドだけは人一倍高いので、怠けた結果遅れを取ると、途端に手遅れな後悔を抱き始める。ナナはそういう、少々面倒な性質を抱えた人間だった。
つまり何が言いたいのかと言えば──。
「おい。風呂空いたぞ」
「んー。あと五分したら入る」
「そう言って入った試しがないだろ」
「じゃああと十分」
「伸ばすな」
「今いい所なんだよぉ」
ナナはソファの上に日向ぼっこでもするように寝転がって、うつ伏せのままソファの上に魔導書を置いて、そのページを息をつく間もないほど素早く捲っていた。ユウトの話も三分の一ほどしか聞いておらず、完全に本を読むことに集中し切っている。
ユウトはタオルで頭を雑に拭いてから、そのタオルを首に引っ掛けた。そしてナナをじっと見下ろし、その首を親猫が子猫にするように摘まみ上げる。ナナは「ギャン!」と尾を踏まれた犬のような悲鳴を上げた。
「何するんだ!」
「お前は後回しにしたことをやり遂げた試しがない」
「今度こそはやる。絶対にやる」
「お前の言葉には信憑性がないからな」
「それが幼馴染に向ける言葉か!」
「幼馴染だから言ってるんだ。ほら、本から手を放せ」
「いーん」
ナナは彼に本を丁寧に強奪され、強制的に風呂場に連行された。こうでもしないとナナは自身の生活を後回しにするので仕方がない。
ナナは「畜生、覚えてろよ」と何故か悪党のような捨て台詞を吐きながら、渋々風呂に入って頭と身体を洗った。ほかほかと湯気を上げながらキッチンを練り歩いて、「ねえアイスとかないの」と魔法で髪を乾かしつつ尋ねる。
「アイスはない。けどチョコレートなら買ってきた」
「いえーい。どこ? 棚?」
「こっちの部屋の机に置いてある」
「やりぃ」
ユウトの家はキッチンとリビングが隣合わせになっている。その境にある開きっぱなしになった扉から少し顔を覗かせてユウトが言う。
ナナはスリッパをほとんど脱ぎかけの状態で履いて、時々つんのめりながらダラダラと歩く。そしてソファに座っているユウトを両手で押し、空いた隙間に自分の身体をねじ込んだ。
「おい。本が汚れるだろ」
「む」
彼が口にチョコレートを放り込んでくれる。ナナは甘んじてそれを受け入れて、口の中でちょっとお高めのチョコを転がした。
眠くなれば一階の寝室にある、両手足を伸ばしても全く端に届かないほど広いベッドで横になる。
一人で暮らしていた時には寝室へ向かうことすら面倒になって床で寝ることもしばしばあったが、この家では適当に床に寝転んでいれば見かねたユウトが寝床まで運んでくれる。
つまりは快適なのだった。
働くのはゴーレムに任せていればいいし、それだけで一日に銀貨十枚もの給料が貰える。
初めてこの家に連れて来られた日には一体どうなるものかと不安に思っていたが、蓋を開けてみればこれほど過ごしやすい環境もない。
そう、これほど過ごしやすい……。
「……あれ?」
しかしナナは我に返って気が付いた。
そうして柔らかなベッドから身を起こし、自分が王都へとやってきた原初の理由へ立ち返る。
ナナが王都へやってきたのは、自分を変えるためだった。
怠惰な自身と決別するためだった。
ナナは打ちのめされていた。勇者となった幼馴染、彼と自分との果てしない格差に。
そうして思った。もっと自分が懸命に努力していれば、こんなふうに惨めな気持ちにならずに済んだのではないか、と。
だから愛しい引きこもり生活を捨て、新たな自分へ生まれ変わるのだと意気込んだ。胸を張れるような人生を送るのだと決意した。ついてしまった嘘を真実にするために、彼も驚くような素晴らしい恋人を作るのだと決めたのだった。
さて、今はどうだろうか。
自分はそのために何か努力をしただろうか。かつての自分から何か少しでも進むことが出来ただろうか。
答えは否だ。
茨の道を歩むつもりで引きこもりを脱したが、結局自分は何も変わっていない。むしろユウトという第三者に頼る場面が増えた分、以前より後退しているとも言える。
変わろうと決意しても、そのために何か一つ行動を起こすと、それだけで満足してしまう。どれだけ固い決意があったとしても、根っこが怠け者だから仕方がない。すぐに諦めるし、すぐに音を上げる。
スタートラインに立ったこと自体に満足してしまうから、いつまで経っても進歩しない。
「このままでは……」
わざわざ王都へ出てきた意味がない。そのことに気が付いて、ナナは顔を青一色に染め上げた。
いつまでも初恋にとらわれたまま、自分だけが大人になれない。そんなのは嫌だ。
幸い、貰っている給料からユウトへ返す額を差し引いたとしても、自由に使えるお金はそれなりにある。
だからまずは初めに、人前に出ても恥ずかしくないような普通の服を買おうと思った。
魔法で作ることも出来るには出来るが、如何せんセンスがないので野暮ったいものしか生み出せない。そのためナナが持っている私服と言えば、黒い布に穴を開けただけという感じの地味なものばかりで、クローゼットの中は白と黒の二色のみで構成されている。
何事も形から、という言葉に倣って、まずは少しでも見た目を変えようと思った。これから何をするに当たっても、人と会うのに困らない程度の衣服は必要だろう。
「──ぎゃっ!」
だがその時、突然身体に冷たい何かが掛かった。
思わず悲鳴を上げて飛び上がる。視線を下に向けると、水を吸い込んで重たくなった自分のローブが視界に映った。黒い布が身体に張り付いて、布の端から水滴がぽつぽつと落ちている。
「な、なに……?」
「──すみませんっ!」
訳も分からずに呆然と立ち尽くしていると、突然右隣から誰かが駆け寄ってきた。
「本当、すみません! 手が滑っちゃって……! すみませんっ、濡れちゃいましたよね……」
「え、えと」
「あっ。そうですよね! まずは乾かさないと! 僕、何か拭くものを持ってきます!」
「あの……?」
慌てた様子の青年に白いタオルを渡される。ナナは困惑しつつもそれを受け取って、濡れた髪をタオルで拭った。
「本当にごめんなさい……。花に水をあげようとしたんですけど……」
青年は本当に申し訳なさそうな声色で呟いた。
ナナは顔を上げて隣にある建物を見る。そこには沢山の花が飾られてあって、棚には鉢植えが一列に並べられていた。
どうやらここは花屋らしい。彼はここで働いていて、日課の水やりを行っていた所、誤ってナナに水を浴びせてしまったようだった。
「大丈夫ですか。身体は冷えてませんか? お詫びに何でもしますっ!」
「いや、別に。そこまでのことじゃ……」
「せめて服が乾くまで上がっていきませんか? 温かいハーブティでもお出ししますし」
「いや、その……」
ナナは俯いて手を揉んだ。
服や髪は魔法ですぐに乾かせる。だから問題ないし、彼がそこまで気に病む必要もない。それにあまり大事になるのは面倒だったので、彼の申し出を断ろうとした。
「私、別にそんなに気にしてないんで……」
しかしその時、ナナは固まった。
「そう言わずに。うちのハーブティ、結構おいしいって評判なんですよ」
そう言って微笑む青年の顔が、実に爽やかでハンサムだったからだ。
うっすらと黄色がかった白髪が涼やかな、人形のように綺麗な顔立ちの青年だった。年の頃は二十くらいで、花の植えられた鉢を抱いている姿が絵画のような美男子だ。
「きっと気に入って貰えると思うんですけど……どうですか?」
「………………はい」
長い沈黙の後に、ナナは静かに頷いた。
何故ならナナは面食いだからだ。声を掛けてきた相手があまりにも綺麗な好青年だったもので、思わず思考が停止してしまったのだった。
✱
好青年の名は、シモンと言うらしい。
彼はこの王都にある花屋でアルバイトをしていて、いつもあの表通りで花の世話をしているそうだ。
「お味はどうですか?」
「わ……すごく美味しい、です」
「良かった。実はここで育てたハーブを使ってるんですよ」
「へえ……」
温かいお茶を飲みながら、ナナは部屋の中を見回した。
ここの花屋は壁のほとんどがガラスで出来ていて、どこからでも日差しが差し込むような作りになっている。部屋には大小問わず様々な植物が置かれていて、まるで小さな植物園を見ているようだった。
「しかし……本当に何も要らないんですか?」
シモンが困ったように眉を下げて言う。
ナナは両手を小さく上げて、小雨のような汗を浮かべながら答えた。
「は、はい。おいしいお茶、ご馳走になったし……」
「でも女性に水を浴びせておいて、何のお詫びもなしって言うのはなあ。どうしたものか……」
ナナは唇を浅く噛んで俯いた。そして薄緑の液体に映った自分の顔を見つめる。
女性、と言われたことに照れたからだ。ナナはいつも、大抵は〝子供〟か、よくて〝少女〟扱いをされる。年端もいかない子供に見られてしまう。だから丁寧に扱われ、嬉しくなってしまった。
「……あ!」
するとその時、シモンが突然目を光らせた。
彼は拳を手のひらに打ち付け、「ちょっと待っていてくださいね!」と言って棚から鋏を取り出し、鉢に植えられていた花を一本摘む。それを手際よく紙に包んで、下の方に赤いリボンを巻いた。
「どうぞ」
「え……」
「服を濡らしてしまったお詫びに。ほんのささやかな物ですが」
「……あ、ありがとう、ございます……」
オレンジ色の花を貰った。
ナナは軽く頭を下げて、それから花びらの端を少しつまんでみる。どういう反応を返せばよいのかが分からず、唇の端が歪んでしまった。
もう少し愛嬌のある返答をするべきだっただろうか。そんな後悔が僅かに胸を刺す。
けれどシモンは気を悪くするでもなく、その端正な顔に人懐こい笑みを浮かべていた。
「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったな……」
彼が首を少し傾げながら独り言のように言う。それから机に両手を軽くついて、彼は僅かに身を乗り出した。
「あなたのお名前は?」
「あ……。ナナ、です。ナナ」
「ナナ。……」
「? えっと……」
「! ああ、いや。気にしないでください」
シモンはそう言って両手を上げた。まるで不自然に空いてしまった間を誤魔化すように。けれどそう言われると余計に気になってしまうのが人の心というものだ。ナナは瞼を半分だけ閉じて、彼をじっと見つめてしまった。
するとシモンは気まずそうに頬を掻いて、そして歯を見せて困ったように笑う。
「……妹を思い出したんです」
「妹?」
「ああ。僕の妹の名前がナナリーと言ってね。響きが少し似てるなと思って、気を取られてしまったんです。本当に、それだけで……」
「あ……。そう、だったんだ」
「うん。背格好もよく似ているし……だからかな」
「?」
「なんだか凄く親近感が沸くんです。あなたを見ていると」
「あ……そ、そう、ですか」
ナナは赤くなった顔を隠すために、長い髪の毛を掴んで顔の前に持ち寄った。
出会ったばかりなのにやたらと好意的だなとは思っていたが、どうやらそういう理由があったらしい。ナナは髪の隙間から目を覗かせ、ちらりと彼の様子を伺った。
「?」
「うっ」
背景に眩しい光の輪が見えるほど、彼はにこやかに微笑んでいる。ナナは歯切れ悪く俯きながら、内心でここには居ない幼馴染に話しかけた。
──ユウくん。いけるかも。
私、作れるかも。
最高で素敵にカッコいい恋人を。
と。




