しょせん猫
耳が震えて目が覚めて、クワっとあくびをひとつ。
梢を透かす陽の加減から今は昼過ぎ、か。
ババァに顔見せに行くか。まだ法則を発見出来ていないけど、この時間帯に『何か』をして、ババァにウケたら『チキュール』とかいう禁断の薬物を差し出すフラグが立つ。誰かニンゲンの攻略法教えろ。
枝から枝へと華麗に跳び移って地上に降りた。ここ? ニンゲンは魔の森と呼ぶ。いやオレのキャットタワーですけど。夏を控えてむせ返る草木の匂いに混じるオレのマーキングをチェック。異常なし。
視線の先、草木に阻まれた隙間から屋根だけが見える、鬱蒼と生い茂る木々に囲まれて建つボロい一軒家にババァが住んでいる。最近日に日に元気がなくなってる。べっ、別に心配はしてないけど、久し振りに肉球パンチしたるか。
「りゅうのすけ、おらんのかえ?」
玄関隣に開くオレ専用ドアをくぐると、ベッドに寝たままババァがかすれ声で呼んでいた。オレの名はりゅうのすけというらしい。ババァが勝手に呼んでるだけ。まぁ名なんてあってもなくても気にしないから好きに呼べ。
「おお、呼んだら来るって賢いねぇ、ってクサっ。えっ、草汁系? クッサ」
枕元から鼻に肉球押し付けたら嬉しそうなリアクション。元気出たか?
「魔の森に逃げて、お前と出会って、やっと穏やかに暮らせて……、そろそろ三年か。……、短っ。そもそもワシ、いや俺、たいして長生きしてないし。最期は素に戻ろ」
最期? なんか表情も微笑んだり悔しがったりクルクル変わって言動がおかしいな。ボケた?
「俺さ、本当は数年前までは純文学系男子高校生だったんだぜ。だからまぁラノベを下に見ていた、ってのはあるかもね。認めるさ。でも結構読んだし、ハーレム俺tueee内心憧れたしっ、この仕打ちはあんまりだろ。転生したらTSBBA、需要ドコ?」
ババァ、ボケてはいないが虚無ってた。
「いやこれは転生とはいわないのか? ホント誰か説明して欲しかったな。普通いるだろひとりくらい、事情通。大前提が荒唐無稽なファンタジーのくせに、展開とか人間の中身とか、妙にリアルなのマジムカつく」
とりあえずチキュールだせ。話はそれからだ。のメッセージを込めてテンプル(※こめかみ)にロシアンフック(※猫パンチ)。
「放課後、図書室で暇を持て余していたらさ、足元に魔法陣が現れて光った時の感動ときたら。まぁ今思えばココがピークだったな。俺の冒険はココから始まるっ、まるまる先生の次回作にご期待下さい、って待てーい」
テンション高い老人ってビミョーにホラー味かんじね?
「りゅうのすけはいつも静かに話を聞いてくれて偉いねぇ。お前に会えたことだけは異世界に感謝してやってもいい」
チキュールどこかに隠し持ってんだろジャンプしろジャンプ。
「気がつくと石造りの広間、秘密の地下室みたいな空間でさ、フードを目深に被ったローブ姿が何人も周囲から見ていて、異世界キター、て喜んだのも束の間、寝転んでいた身体を起こすのがしんどい。ちょうど今みたいに。そう、性転換なんぞ気がつかないくらいのヨボヨボだった」
ガチャリ。背後で玄関の扉が開く音が聞こえて垂直ジャンプ。は? イカ耳ってねーし。
「やぁお疲れ様。そろそろ天に召されると聞いてね、一言挨拶くらいはしてあげようと足を運んであげたよ、光栄に思いたまえ」
キザな優男が兵士を三人従えて登場。あ? やんのか? やんのか?
「王子……。くそっ、見張られてたのか」
ババァがなんとか上半身を起こして優男を睨みつけた。むりすんな。
「ククク。誰もが迷信に怯えて近寄らない魔の森の奥深くに上手く逃げたつもりかい? 泳がされてたに決まっているでしょ。君たち異世界人は依代を用意して召喚するとなにかしらの能力を獲得する。一流ではあるが『国家』が警戒するほどではない、扱うのにちょうど良い駒になってくれる。そしてアイデアだけは異世界仕込みだから、誰もがひとつくらいは面白い何かを発明してくれるのさ」
「よ、依代だと? じゃあ始めから全部お前たちのっ、俺、なんのために……」
「王家のために働けたのだから喜びたまえ。老い先短い身体になれば、我々上に立つ者が一番必要とする物を作ってくれる可能性大でしょ?」
すなわち不老不死、もしくは若返りの秘薬。とか呟いて優男はニタァと笑った。あー、こういうヤツむり。こいこいしてきても無視一択。
「ハッ、じゃあ残念だったな。んなもん作ってねーよ。作れたら自分に使っとるわ」
「もちろん知っているさ。そこは確かに残念だよ。でも君、アレは作れたんでしょ? 欠損部位すら治す秘薬、伝説のエリクシール」
「……全部筒抜けかよ。て、え? りゅうのすけ?」
ババァが作ったすごいもの、コレだろ? オレ知ってる。
寝室のすみに置かれた棚の一段にジャンプ。音もなく軽やかに。そして優雅にくるりとターン。隣りに淡く光る水の入ったキラキラ輝くガラス瓶。オレずっと我慢してたことあるんだ。
いや特に何かするつもりはねーぞ? だからコッチ見んな優男、なに見てんのほらオレは何もしてねーって。優男と目を合わせたまま、右手がゆっくり、ゆっくり持ち上がる。
「おい貴様、冗談はよせ」
えっ、コワっ。なに怒ってんの。オレ何もしてねーじゃん言いがかりはやめろ心外だなまったく。視線は逸らさず、ヌヌ、ヌヌと右手はロシアンフックの軌道で前進。ピト。肉球にヒヤリ、ツルリとした手触り。
「嘘だろオイ、よせと言っている」
あー、それそれ。その顔すき。もっとよく見せろ。コス、コスと瓶底が板をこすり、さぁ盛大にいったれ。
「あぁぁぁ間に合えぇー」
優男がどんくさくヘッドスライディングしながら両手を差し出すがアウト。むしろ割れたガラス片と蛍光色の液体を服にこすりつけ、両手は棚にぶつけて突き指、最後に頭もぶつけて沈黙した。オレは棚が震える直前に大ジャンプ。
「りゅうたろう、お前……」
ゴメンな。もう我慢できなかった。エナドリ完成ー、て鼻息荒く喜び叫ぶお前まぁまぁキモかったから。
さて、と。
「んにゃあ」
ババァを見てお別れの挨拶。思い出話に浸る思考から故郷は視えた。
「え?」
そのままババァはベッドに倒れてもう動かなくなった。
世界から世界へ渡れるのは魂のみ。もしくはオレのような精神生命体。
そして魂だけなら時間も空間も無視できるから、元の世界の因果律は変えない倫理の範囲に基き、この世界にくる直前の場所、直前の時間、元のお前の肉体に還すこともできるのさ。
さて、と。コイツらどうしよう?
「チッ、タイミング良く、いや悪く死んだか。貴様……、よくも…、猫風情が……、やってくれたな」
優男がゆっくり立ち上がり、兵士三人組も職務を思い出したかのように優男に近寄り、四人がオレを睨みつける……、から魔力を放出して全員まとめて床に押し付けた。ニンゲンがネズミの真似してチューチュー鳴くなよ遊びたくなるだろ。
「ま、まさか魔の森の主、悠久を旅する妖精?」
ヒッ、と優男は情けない声を漏らした。四人揃ってガクガク震えて地面を見つめている。おー、オレと目を合わさないように気を遣うとか好感度アップだぞあれっ、今そっちでなにか動いた? ホラそこ、天井になにかが入ったって。あれは、きっと、多分、なんだろ? まぁいっか。
えーと確かこの男たちはオレの眷属にして下さいって土下座してるんだっけ? オッケー。
「ぁ゙ぁ゙ぁ゙、なにをしたのニャ」
外見の変化はないけど頭とお尻がムズムズするか? 喜べ。お前の縄張りのニンゲン全員、中身を半分猫にしてあげた。耳と尻尾の変化は十年か千年後くらい。知らんけど。一日の大半がお昼寝で幸せな生き物だぞ? ババァと遊ぶ役目はオレに任せてお前たちも新しいオモチャを見つけろ。
優男は礼を言おうとしたらしいが、オレと目が合うとニャーニャー鳴いて退散した。
んじゃ、お昼寝したら、家で火遊びして、少年に戻ったババァに会いにいくか。
待ってろ地球。