待望の新居
青い空の下、程々に肥沃な土地がそこそこの広さで続く。自由奔放に生い茂った様々な草花と、立派に成長して枝葉を分厚くした木々。ポストが付いた正面アーチから伸びるのは、ギリギリ土が覗く短く草だらけ、砂利交じりな土の道。その先には、長い年月を感じさせる漆喰壁の母屋が鎮座している。
私は震える体を抱きしめて、土の匂いがする空気をめいっぱい吸い込み叫ばずにはいられなかった。
「すごい、すてき!」
「……喜んで頂けて何よりです!」
端的に言えば、放置されつくした荒れ放題の土地と古い家。無邪気にはしゃぎまわる私の後ろで、役場の人はいろんな言葉を飲み込んだみたいだった。
「すごい、お庭も畑も作れて、お家もある。動物を飼ってもいいのよね?」
「もちろん。敷地内は好きに弄っていただいて構いません。解体、リフォーム、増設。そのほかご随意にどうぞ」
ここは、元々は腕のいいオーナーが居た果樹園だった。無理に土地を広げず狭い範囲で高級果実を育てていたそうだ。
後継者に恵まれず廃業してからは、果実の苗だけ貰い手が見つかり、土地は場所が悪いせいで引き取り手が見つからなかった。なにせ、町まで徒歩で一時間かかる。管理をしている町としては早々に手放してしまいたい物件だったので、あんな値段がつけられていた。
建物も値段相応の年代物。売り出すにあたって水道と浄水装置は現役のものを付けられているが、火の回りについては一昔前の手段を使わなければいけないそうだ。薪とか炭とか、そういうやつ。
「あの、本当に大丈夫でしょうか?契約内容はしっかりと確認していただけていますよね?
事前の通達どおり鍵は変えて雨漏りがないことは確認済みです。しかしなにせ長期間放置されていましたので、痛んだ箇所が多々あり……」
「大丈夫よ、ありがとう。至れり尽くせりじゃない!」
同じ西部地域でも真西と北西では至れり尽くせりの基準がだいぶ違うのかもしれない。
役人に可笑しな疑念の種を植えてしまったことに気付かず、私は身も心も浮かれまくっていた。本当に、本当に嬉しくてたまらなかったのだ。
「そうだ、手紙はどこで出せばいいですか?」
「町役場に郵便窓口が併設されていますから、そちらにお持ちください。なにかございますか?よろしければ、今回は私が持ち帰りましょう」
「本当?ならお願いしたいの」
あらかじめ用意していた封筒を取り出し、先程聞いたこの場所の住所だけ追記して役人に預けた。内容は伯父宛に、新居が決まったことを伝えるものだ。役人はしっかり受けとって、明日には配送になると教えてくれた。
役人から手紙と交換で鍵を受け取り、小型の馬車に乗って帰っていく姿を見送る。町に続く道は、舗装はされていないけれど大型の馬車も通れるくらい広くて、両脇に広がる草と木々が生き生きとしている。
馬車の輪郭がおぼろげになって漸く、私は土の道を駆けて家に近付いた。
トレン町内のレンガ造りと違い、白い漆喰の壁にうろこ瓦の家には見知らぬ蔦植物がはびこっている。
鍵の交換や確認作業の際に撤去したのか、玄関だけは綺麗にされていた。鍵の部分だけ真新しい。白壁は汚れ防止の加工が充分されていたのだろう。所々汚れや苔が目立つが頑固にこびりついた様子はなくて、根気よくこすれば落とせそうだ。
いよいよ鍵を開けて家の中に入る。そしてすぐに、思わず感嘆の声が漏れてしまった。
「か、かわいいっ。え、これが私の家になるの?本当に?」
埃だらけだし蜘蛛の巣も好き勝手広がっている。荒れ放題だが、小ぢんまりとしたとても可愛いダイニングキッチンではないだろうか。備え付けの冷蔵棚までついている。床が石タイルなのも気に入ったポイントだ。水を撒いて磨けばすぐ綺麗になるはず。
続いて奥の部屋を覗く。漆喰の壁に埋まるような、縁が丸い木戸がまたかわいらしい。二つある扉の奥はどちらもフローリングで、まだ家具もなく広々とした空間が広がっている。それから古びた鍋やデッキブラシ、桶などの道具が置いたままになっていた。初期投資も想定より安く済むかもしれない。
「素敵、どっちを寝室にしよう。こっち側は本棚を置こうかな」
部屋を覗いてあっちにフラフラ、こっちにちょろちょろ。
「床の木も腐っていないし頑丈そう。きっと掃除して油で磨けば見違える。この家本当に二百万ディテリでいいの?」
木目に沿って埃だらけのフローリングをぴょこぴょこ歩く。
ああ、いつまでたっても興奮が冷めない。辛うじて握ったままだった荷物を隅に置いて、早速埃の中に倒れていたデッキブラシを掴んだ。
「さあて、私のお城を掃除しましょう。新生活の始まりね!」
これからの生活が楽しみで仕方ない。落ち着いたらまた伯父に手紙を送って、あの親切な男性も探さなくては。やるべきことが沢山あって、暫くは本がなくても退屈せずに済みそうだ。
初日は水回りと自室にする右の部屋の掃除に費やした。布団の用意をすっかり忘れていたので一晩は着の身着のままで過ごしたけれど、温かい季節だったのであまり気にならなかったのでいいだろう。床は固いけれど、避難所のテントもこんなものだったし大差ない。
翌日は散歩がてら町へ行って、毛布と食料を買った。少し悩んだが、一緒に小型のキャリーカートも。坂もないし長い間歩くことは苦ではないけれど、重たいものをずっと持つのはやはり疲れてしまうから。
トレンの町中を歩きながらカーキの髪を探してみたが、やはり簡単には見つかりそうにない。人探しはどこに依頼したらいいのだろう。次に伯父へ手紙を送るとき、併せて相談するのもいいかもしれない。
そんな曖昧な計画を立てながら、帰宅後は掃除の続きをした。
お掃除生活五日目の事だった。
家の中はすっかり綺麗になったので、そろそろ庭の整備を始めようかなと腰をあげる。自室で腕まくりをしていると、外から馬が駆ける軽やかな音が車輪の音と一緒に届いてくる。きっと馬車の音だ。
それは家の前で止むと、少し間を置いてから激しく戸が叩かれた。
「いるか、キャナリ!わたしだ、ダグラスだ!」
「え、伯父様?」
慌てて扉の鍵を開けると、勢いよく開かれてすごい形相の伯父がなだれ込んできた。驚いて体勢を崩し、二人してしゃがみ込む。
伯父は肩で息をしながら私の顔を掴むと、じっと見つめた後においおいと泣き出してしまった。まだ四十代になったばかりのはずなのに、なんだかプラス五歳くらい老けた顔をしている。
「おまえ、おまえは……なんて突拍子のない……」
「どうしたの伯父様。あ、お手紙は読んでくれた?」
「おまえ、どうしたもこうしたも……」
言いたいことが纏まらない伯父は、金魚のように口をパクパクさせると項垂れて、絞り出すように無事でよかったとつぶやいた。
そういえば、手紙には火事にあったことと引っ越したことは書いたけれど、怪我の有無は書き忘れた気がする。手紙を出していたのだから命に別状はないと察してくれていただろうけれど、悪いことをしてしまった。
伯父が火事直後に出した手紙を受け取れたのは、今日から一週間前の事だったと教えてくれた。タイミングが悪いことに国外へ出張していて、戻ってきたら私の居る地域が焼けたと聞いて肝を冷やしたという。
届いていた手紙は煤だらけで、決定的なことが何も書かれていない。怪我はないか、どこにいるのかと相当気を揉んだそうだ。
翌日すぐ火事の原因になった魔法の調査に駆り出されたのに、避難所に行く許可が出ない。ここに来て送った手紙は伯父が調査しているところの拠点に転送され、読んでみれば今度は辺鄙な場所の住所が記されている。混乱して本当に私からの手紙かも疑わしくなって、こうして直接やってきてくれたのだった。
「なんというか、ごめんなさい?」
「……いい、いいんだ。お前が無事でよかった」
ここに来た経緯を語っているうちに平常心を取り戻した伯父は、報告、連絡、相談の重要性と情報を吟味することの大切さを説きながら一時間ぐらい私をお説教した。
落ち着いたところでお昼を一緒に食べたけれど、腹ごなしにお家と庭を案内したところ、何故もっと調べてから来なかったんだとさらにお説教が重ねられた。伯父にとっては、あまり良い環境には思えなかったらしい。
「まだお掃除が終わっていないけれど、いい場所じゃない。何が不満なの?」
「――。せめて寝具はきちんとそろえなさい。体を冷やしたらどうする。なんで五日も毛布一枚で過ごすんだ。それにこの環境では、毒虫や蛇がいたって気付けない。掃除は業者を頼んだらどうだ。ハチの巣でもあったらどうする」
「頼むとお金がかかるし、どれも村でもよくあったことじゃない。伯父様ったら都会っ子なんだから」
けろりとした私の態度に呆れた伯父は、説教を切り上げると一つ大きなため息をこぼした。
やっぱり無理やり仕事を抜けて来たらしい伯父は、夕方には帰ることになった。夕食も一緒に過ごしたかったけれど、それは家が整ったらまた場を設けさせてもらおう。その時には、きっといい家だと言ってくれるはずだから。
伯父は再三しっかり鍵をかけなさいと注意をしてから、オレンジに染まりかけた道を馬に乗って帰って行った。
二日後、伯父名義で大荷物が届いた。どうやら帰りがけに町の家具屋で注文したらしい。
早くも部屋に可愛らしい木のシングルベッドと布団一式、それからクローゼットが一つ揃うことになった。暫くこの辺りの家具を買い揃えるつもりがないと、伯父には見抜かれていたようだ。