片割れ音叉
それからあたし達は二人でよく過ごすようになった。
あんな所で彼女に出会えるなんて、奇跡としか思えない。
向こうはあたしのことを覚えてなかったけど、それでも嬉しくてたまらなかった。
彼女がいなければ、あたしはピアノを続けられなかっただろう。
心無い言葉に幼い心は酷く傷つけられた。
仲良しだと思った人たちは、みんなあたしを快く思っていなかったんだ。
高い自尊心を崩された腹いせに暴言を何度も吐かれ、いつピアノが嫌いになってもおかしくなかった。
けれど彼女だけは違った。
彼女は元々あたしなんか見ていなかった。
耳から入ってくる音という価値を通してしか、世界を認識していない。
だからあたしのピアノを、綺麗だね、と言ってくれたこと、今でも覚えてる。
嬉しかった。あたしの音を認めてくれることが、あたしの存在も認めてくれたみたいで。
あんなに怖い子たちに向かって堂々と自分の言葉を伝えられる、魔法のような力強い彼女の響き。
勇気をくれて支えてくれた言葉。
なのに彼女は、突然教室から居なくなってしまった。
仲良くなる前に、感謝を伝える前に、別れも告げずに。
晴れない心にどうしようもない痛みが広がり、そのことでよく泣いた。
今なら、彼女が辞めた理由が分かる。
彼女は軽度の聴覚過敏だった。
日常生活に支障はない。ただ、雑踏やざわめき、音の重なりが苦手だと言っていた。
そんな彼女がグループレッスンなんてできるはずがない。
大学生になって、節約する為にとルームシェアを申し出てくれた。
嫌いなはずの線路沿いのマンションを、あたしとなら住めると言ってくれた。
苦労をかけることも沢山あるけど、あなたと一緒に音楽の勉強ができるなら、こんなに楽しいことはない。
あなたが困ってる時はあたしが絶対に助けてあげる。進路で迷ってた時みたいに、いくらでもあたしの音であなたを導いてあげる。
いつか、あたしが今よりもずっと綺麗に、人を感動させられるほどに演奏が上達したら、ピアノを続けられたのはあなたのお陰って、伝えるつもりだ。
その日までのとっておきのサプライズ。
いつも真面目な顔してる栞ちゃんの、あっと驚く顔が見てみたいな。
夕闇に沈んだ冷たい鉄。気付かなかった影。
浮かれていたあたしの、不注意だった。