嘲笑う月(統合版)
この小説は、連載「嘲笑う月」を短編として再投稿したものになります。
俺は、ついに成し遂げた。
「おぉ……」
研究を続けること、約1ヶ月。
「……やった、やったぞ!」
ついに完成させたのだ!
「どーせまた、しょーもないもんなんでしょ」
「おいおい、今回は一味違うぜ?」
晩飯を片付けていた弟子は、当然、いつものように信じない。
ただ、これが何か教えた途端、こいつはきっと涙を流して感動するだろう!
「じゃーん!」
「……ただのメガネですね」
「ところがどっこい、これはただのメガネじゃないんだなあ〜。これは――」
「そんなのより、これ」
弟子は山積みになった書類を指さして、何か言いたげな顔でこっちを見ていた。
「…………」
正直、本業を後回しにしていて許されてたのはこの子の働きのおかげだから、なんにも言えない……
けど、せめてこれが何か説明させてほしい!
お説教はそのあといくらでも食らうから。
「はいはい、わかったって。論文は後で書くから。それより――」
「そう言って何ヶ月経ったと思ってるんです?」
あっ、キレた。
「いくら教授が優秀でも、仕事ができないって思われたらどうしようもないんですよ? 教授がここにタダで住めてるのだって、生徒からの評判がいいから特別に認めてもらってるだけなんです」
弟子がこうやって怒るなんて、めずらしいな。
生理かな?
「……たしかに、少しサボってたことは謝るよ」
「すこし!? 大学での講義バックレて、論文を二ヶ月も放置して、まだサボり足りないって言うんです? いいですか。まず、世の中には優先順位っていうものがあるんです。そして、仕事、特に責任が伴う……」
ガミガミガミガミ。
あーもう!
怒ってんのはわかったよ! でもまずは、説明させてくれないかなあ?
「ちょっと待って。まず、これが何なのか、説明させてくれよ」
「いやです」
え?
「なんで――」
「私、思ったんです。教授がいっつも仕事ほったらかしにして、無駄な発明品ばっかり作ってるのは、私がそれにいちいち反応してたからなんじゃないかって」
……じゃあ、いいや。
「そろそろ真面目に仕事してもらわないと、私まで路頭に迷うことになりそうですし――」
「後悔しても、知らないからな?」
「はいはい」
どれだけすごいものか知らないのに、決めつけちゃって。
もったいない。
俺は、これで世界を変えられる自信があった。
けれども、どれだけすごいかは、やはり外部の人間による評価が無いとわからない。
ということで、俺はありとあらゆる場所に出向いて、紹介していった。
「このメガネ貴方の見える景色が、世界が、変わることでしょう!」
正直、初日、なんなら1箇所目で気に入ってもらえると思っていた。それぐらい、この発明を自負していたのだ。
ただ、相手にするどころか、施設内にすら入れてくれなかった。
たまたまだろうと思って次々と巡っていったが、何の成果も得られずに、そのまま1日目が終了。
だけど、ここで終わるほど俺はヤワじゃない。
「……よしっ。やるか!」
2日目。数撃ちゃ当たると思い、ありとあらゆる施設をしらみつぶしに回っていった。
ただ、やっぱり初日と変わらず、骨折り損のくたびれ儲け。
「…………」
その後も手を変え品を変え、果敢に挑戦していったが、時間だけが過ぎていった。
3日目、5日目、8日目、13日目……
気がつけば、21日。ピッタリ三週間経っていた。
「……なんでだ?」
研究所・博物館・水族館を中心に、片っ端から潰していって、話を聞いてくれたのは科学博物館2箇所のみ。あと北海道さえ行けば、東日本をコンプリートするというところまでやったのに……
「メガネを手に取りもしないで、何が分かるってんだよ!」
そう。
そもそも、誰もメガネを手に取ってくれなかったのだ。
やけくそ気味に、何も言わずにそこら辺の人にメガネをかけてもらったこともあったが、「普通のメガネ」だと言われて、思わず殴りそうになった。
どうすれば、円が見えることの素晴らしさに気づいてもらえるのか。
どうすれば、見える景色の美しさに気づいてもらえるのか。
科学者の俺にとって、それはあまりにも専門外な問だった。
「……はあ〜」
そして結局、俺は大学に戻って、大人しく論文の続きを書くことにした。
行き詰まったときは、敢えて一旦その問から離れてみるのも大事なのだ。
「本当に、申し訳ないませんでした」
「……ん?」
「……あれ? なんか変でしたね。なんでしたっけ。申し訳、ございありません? 申し訳、ありませんございます?」
「ふふふっ」
「申し訳ございません、だ」
「あっ、そうでしたね! 申し訳ございません」
大学側には、なんか、首の皮一枚というところで許してもらえた。三週間、音信不通になっても案外なんとかなったから、やっぱり、世の中なんとかなるもんなんだなと思った。
弟子は、研究室に入った瞬間にビンタしてきたけど、いつもの説教はしてこなかった。多分、怒られた後で露骨にテンションが下がっていたから、気の毒だと思ったのだろう。
まあ、兎にも角にも、俺は大学の一教授として、普通の仕事をする日常に戻ったわけだ。
あのメガネが完成してから、ちょうど二ヶ月ほど経った、ある日。
「んで、このメガネ結局何だったんです?」
弟子が唐突に聞いてきた。
「あれ? いちいち反応しないんじゃないの?」
「いや、こうもすんなり仕事に取り組んでくれるとは思ってなかったんで」
「あー、まあ。そうか」
弟子はなんやかんやで、俺が研究に打ち込む姿が好きだったのかもしれない。
時々見せる寂しそうな顔を見て、そんなことを思うようになった。
「これは、『真円発見装置』だ」
「深淵、発見装置?」
「ああ」
「……なんか、闇が深そうな名前ですね」
「いや、そっちのシンエンじゃなくて。真円、つまり、完全な円のこと」
「あー……」
俺は、自分の発明品を彼女に説明するとき、決まって彼女を弟子にした日のことを思い出す。
そう、あれは、ひどく蒸し暑い日だった。
ある講義で、俺は汗だくになりながら、自分の発明品をみんなに紹介していたんだ。
最悪だった。
説明の途中からみんな笑い始めて、講義にならなくなって。
何事だ、って心配して来た先生も、俺の説明で笑い始めて……
「具体的には、入ってくる光の明暗の差がある部分を『境界線』として認識して、その線が真円だと、その上に黒いラインを引いて通知してくれるんだ」
でも。
そんな中。
彼女だけは――
「……なるほど。なんでそんなものを」
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれた!」
俺はノートパソコンを閉じて、彼女の方に椅子を回した。
彼女の目には、俺のにやけ面が、さぞかし醜く写っていただろう。
「ずばり、世の中のほとんどの人は、円という図形の素晴らしさに気づいていないからだ!」
私は素早く立ち上がって、そして、ゆっくりと研究室内を歩き始めた。
「そもそも、現実で完璧な円を描くことは不可能だと、知っているか?」
彼女は真剣な表情で、首を傾げ、「知らない」を表現した。
どんな質問でも、必ず何かしらの反応をする。
それは、弟子だからなのか、彼女だからなのか。
……いや、そんなこと、最早どうでも良かった。
「コンパスを使って、どれだけ正確に描いても、それは円形であって、『円』ではない。ただの模倣でしかないんだ。少し複雑だけど、これがいちばん大切なとこ」
あのメガネを紹介していたときの文章を思い出しながら、それを悟られないように、俺は、言葉を、繋いでいった。
「数学で、『円』っていう図形は、『定点から等しい距離にある点の集合』のことを指す。だけど、そもそも『点』は幅も長さも厚さも無いから、我々人間は、紙に鉛筆で境界線を描いて、それを円だと表現してるってわけ」
俺は話しながら、はじめから彼女に紹介すればよかった、と後悔した。
そう、完成させた、あのとき。
数百カ所巡って紹介などせずに、あの瞬間、彼女の弟子としての意地を押しのけて、無理矢理説明を初めてしまえば良かったのだ。
だって――
「……それって、要は、『有名な絵画の写真をプリントして、家に飾ってる』みたいなことですか?」
彼女だけはいつも、俺の話を真面目に聞いてくれるのだから。
「そうそう! 本質はそれで合ってる! ただ、その絵を書いたのが数学の神様で、飾られてる家が地球ってだけ!」
「……なるほど」
「ただ、自然法則を使えば、我々も円を観察することができる。例えば、惑星とか衛星とか」
「重力の働き、ですね」
「そうそう。もっと科学的に言うなら、万有引力。2つの物体同士の引き合う力のおかげだね。あとは……」
嗚呼、話が止まらない。
「他には、磁石、とかどうでしょうか」
「おっ、鋭い! たしかに、磁石の働きも一定だから、砂鉄とか使えば、真円見れるかな? そこまできれいじゃなくても、楕円とか、半円とか、何かしらの円形を見れるかもね。例えば……」
ずっと、ずーっと、話していたかった。
世界の素晴らしさ、美しさを。
「いやいや、曲線で出来る図形だったら、なんでもいいってわけじゃない。そんなこと言ったら、三日月だってあんなに尖ってるけど……」
…………あ。
「どうしました?」
「そういえば、明日は満月だったな」
俺は、窓の外に佇む、巨大な物体を見上げた。
視界の端に写った彼女は、やはり、無表情のまま、首を少しだけ傾けていた。
「……どうですか?」
「うん、バッチリ」
時刻は午後の八時。
大学のすぐそばにある病院の裏には、学生が10名ほど集まっていた。
「校内の連絡用アプリを使ったの、失敗でしたね。教授の講義取ってる生徒、多すぎるんですよ」
「たしかに、何人居るんだろうね。多分、200は居るんじゃない?」
そういえば、授業以外のことにあまり乱用するな、って言われていた気もする……
まあ、これも授業の一環ってことにしておこう。
「それにしても、こんなに集まってくれるとは思わなかったな」
俺は、まるで多くの弟子を持ったかのように錯覚した。
というのも、弟子には、「我が子を預けられる責任感と、知的好奇心に溢れた童心を併せ持つ人材を集めるような文章を送ってくれ」と言ったのだ。
そして、30分ほど掛けて、弟子はきちんとした文章を考えてくれた。
悩みに悩んだのだろう。
文章は、これだった。
今日、日本時間午後◯時に、▢▢がある場所で会いましょう。範囲は市内すべてです。
◯のヒント:2005180925011109。二番目だけ、仲間はずれにする数。まずは、(教授の好きな数字の約数の個数)個に分けて見るんだよ。教授のエクセル特別授業受けた人ならヨユーかも?
▢▢のヒント:「◯のヒント」で仲間はずれにされた数を2文字で。ヒントとなる数字は、(教授の好きな数)−(教授の好きな素数)
「あれを読み解いた、ってことは……」
「数学好きか、俺の講義のマニアか。どっちかだろうね」
▢▢だけならまだしも、「◯のヒント」とか(好きな数字)に至っては講義の雑談のときにしか喋ってないから、きちんと話を聞いてくれていないと解けないはず。
……嬉しいねえ。
「じゃあ、そろそろ始めようか」
パンッ!
俺が手を叩くと、雑談をしていた未来の科学者たちは一斉にこちらを向いた。
「今日、ここに集まってくれたのは、ほかでもない、俺がただ新しい発明品を紹介したかったからだ」
怖いほど大きな満月が、遠くで光っていた。
月の輪郭をなぞるように、黒い線が現れた。
「俺が今掛けているこのメガネ。これが、今回の発明品だ。これは、簡単に言えば、円を見つけてくれる」
額には嫌な汗が滲んでいた。
少しめまいがしてきた。
「…………ふぅ」
いや。
取り戻すんだ。
失った、自信、誇り、そして、熱量を。
「俺は、もともと数学者だったんだ」
そうだ。
「今、こうやって化学の教授やってんのは、数学の才能がなくて、他の奴らに手も足も出なかったから。俺は、逃げてきただけなんだ」
すべてを打ち明けるんだ。
自分の弱さ、愚かさを。
俺が愚かだから、誰にも数学の魅力が伝わらなかったんだ。
俺が弱いから、自分の発明を疑ってしまったんだ。
「……でも、俺は誰よりも、数学を愛していた」
神様。
申し訳ございません。
少しの間だけ、この傲慢不遜な態度をお許しください。
「その美しさ、複雑さ、そしてその残酷さを、俺は愛してやまなかったんだ。だから今でも、未練がましく、数学のことばかり考えてしまう。このメガネは、そんな俺の傲慢さから生み出された、負の遺産だ」
ただ、知ってほしかったんです。
この地球が、どれほど美しいのかを。
そしてその美しさが、どれだけ数学に起因しているのかを。
「話を戻そう。今日は満月だ。あんなにきれいな球体が、月に一度、その全貌を見せてくれてるんだ。さあ、話は終わりだ。お菓子とジュースを……」
俺はそう言って、後ろに置いてあったクーラーボックスを取りに行こうとした。
その時だった。
パチ、パチ、パチ、パチ。
何事かと思って振り返ると、一番前で話を聞いていた子が、一定のリズムで拍手をしていた。
と思いきや、その音はどんどんと大きくなっていき、気づけば全員が俺に拍手を送っていた。
「どうしたあ? 俺は、なんにも……」
そこで、声が途切れてしまった。
「あれっ? おかしいな……」
言葉よりも先に、涙が出てきて、どうしようもなくなって……
固まったまま、ほろほろと涙だけが頬を伝って、落ちていった。
パチパチパチパチパチパチ。
「……違うんだ……ちょっと待ってて…………」
そうして、一人の女の子が歩いてきて、そっと俺のメガネを取った。
「教授。あなたはもう、一人じゃないんですよ」
それだけ言い残して、彼女は生徒たちの元へ歩いていった。
「ここからは、教授に代わって、私が説明いたします。まずこれは……」
俺はすべてを彼女に任せることにして、その場に倒れ込むように座った。
そして、木々の隙間から見える空を見上げた。
「月が、綺麗ですなあ…………」
そんな独り言は、一瞬にして、誰かの声にかき消された。
残されたのは、この景色だけ。
「すげぇ!」
「これ、先生が発明したんですよね?」
「いや、すごすぎる」
……拭っても拭っても、止まらない涙。
にじんだ光が、俺の視界をいとも簡単に埋め尽くしていった。