黄泉の女王、二度目の恋
①暗い牢に閉じ込められた女王と女給との会話
あなたに見捨てられてから何百年たったのでしょうか。光の届かない牢に閉じ込められたあの日から、私の身体は朽ちず、しかし記憶は薄れてしまいました。あなたのことを想っています。自分の名前も忘れてしまいました。あなたの名前も忘れてしまいました。でも、あなたのことを想っています。
「女王様、今夜のお食事を用意しました。今日は新鮮な魚が捧げられましたから、お刺身にしましょう。…女王様?とうとう喋ることも忘れてしまいました?」
「聞こえております。いま物思いに耽っていたのです。分かっていたでしょう」
扉の奥から女給の声が聞こえる。数年単位で代替わりするらしい女給とは食事のときだけ話をすることができ、唯一の娯楽と外の世界の情報を知れる機会となっていました。
「…この魚は何という名前なのでしょうか」
「フグ、でございます。気に入りました?」
「フグですか、あぁ何年か前に食べたことがありました。前は唐揚げでしたね。」
三切れの刺身を食べ終え、食器を扉の前に置く。扉を背にして「回収してください」という。キィと音がして女給が食器の回収をする。
「私はいつまでこの狭い牢に閉じ込められなければいけないのでしょうか。もう許されてもいいのではないでしょうか」
「本当にそう思っているのなら今すぐ振り返ってわたしを殺してしまえばいいじゃないですか。錠のついてない扉も、数年前に絶滅した本物の陰陽師も、あなたは前の女給たちに知らされていますよね」
「数十年前に試みましたが、体が震えて出られないのです」
「あなたに絆された女給がいたと聞きました。しかし、あなたはここから出ることを拒んだ」
「あのときは…、外がうるさかったから」
女給が牢の外に出た音が聞こえる。私は扉の方に体を向けて正座する。
「別にいいじゃないですか、ずーっと牢の中にいても。あなたが閉じ込められているだけでこの国から不条理な死が無くなったのです」
「そう…ですね…」
「…」
この女給は私に同情してくれない。前の女給もその前の女給も私に優しかったから、つい余計なことを言って会話を続けようとしてしまう。
「明日もまたこの時間に来ます。それとあなたに会いたいという『男』がどういうコネを使ったのか月終わりにここを訪れるそうです。では」
女給の足音が小さくなって聞こえなくなった。月終わりに『男』が来る。前に来た『男』だろうか、知らない『男』だろうか。『男』は嫌いだ。物珍しそうにわたしを観る目はあの方とは違い気持ちが悪い。しかし…
「もしあなたなら、そんな物思いをする私も気持ちが悪いのでしょうか」
②久しぶりの来訪
『男』が来ると伝えられてから数日、普段は誰も来ない時間に二人分の足音が聞こえる。わたしの牢の前に着いたのだろうか、足音が消え、女給が男に話しかける。
「みかど様、つきました。この牢の奥にいる女性が黄泉の女王様でございます。先ほど申しましたがもう一度説明させていただきます。黄泉の女王様は大変美しく、普通の人間が直視すると脳が侵され廃人と化してしまいます。なので、布で目隠しをしたうえで天井をみあげて会話してもらいます。よろしいですね」
「ああ、かまわん」
『男』の声が聞こえる。何年ぶりだろう。男特有の低い声はあの人の声とは違うもののわたしを期待させる。女給が「女王様、牢の前に座ってください」と言い、わたしに男を見る許可を与える。
「黄泉の女王よ、話をしないか」
厳格そうな顔をした男が立っている。30代くらいでいかにも偉い人な服を着ている。
「このようなところにお越しいただきありがとうございます。あなた様の目の前ではしたない姿をしている女が黄泉の女王と呼ばれる化け物でございます。今日は何用でいらっしゃったのか教えてくれませんか」
「そうだな、今日この場所を訪れたのは俺の爺さんが残した遺書に財産の半分を黄泉の女王に送ると書かれていたからだ。俺の兄弟姉妹はジジイの戯言だって言っているし、俺もここに来るまで爺さんの妄言と思っていたが、実際に居るときた。悪いがこの紙に名前を書いてもらえるか?」
男はそう言うと、懐から封筒と取り出し牢の中に差し込む。わたしは封筒を受け取るとのり付けされていない方から二枚の紙を取り出し内容を確認する。一枚は男の祖父の遺書、もう一枚は財産の受け取りを断る旨を書いた紙である。
「爺さんがなぜ赤の他人であるお前に財産を渡したいのかは知らんが、俺達には関係ないからな。本当はこんなところに来なくてもよかったのだが、周りの目と爺さんが惚れた女への興味が勝った。…とりあえず財産受け取り拒否の紙に名前を書いてくれないか」
「そうですか…、わかりました。名前は書きます。ちょっと待っていてください」
わたしは牢の奥に戻り赤黒い液体で名前を書く。名前の後ろに右の親指を押し当て印を留める。
「あの、液が乾くまでの間だけ少しお話しませんか?わたしは牢の奥の影におりますので体を自由にしてください」
「わかった、自由にさせてもらう。話といったな、俺も聞きたいことがある。俺の爺さん、名前は―――だ、爺さんのことは覚えているのか?」
男は上を見るのを止めるかわりに後ろを向いて牢に背を預けている。
「―――さん…30年ほど前にその名前を聞いた覚えがあります。ああ!確か病弱な孫が生まれたから助けてほしいと頼まれましたね。あなたがお孫さんだったのですね。その時の契約書が上の蔵にあるはずです」
「しかし、爺さんの遺書には契約書については何も書かれていない。実際に契約書があるとしてもそれは爺さんとお前との間で交わされたものだ。俺は何も出せないぞ」
液が乾いた紙と遺書を封筒に戻す。そろそろと男に近づき封筒を牢の外の床に置く。
「いえ、お孫さんの長寿の代償はすでに頂いております。それより、あなた様についてお話してくれませんか。わたしが助けた子がどんな人生を過ごしているのか気になってきました。ねえ…
『おしえて?』」
男は自分の人生を振り返るように話し始めた。幼少期の楽しかった出来事、初恋の女の子のこと、高校時代に学年主席だったこと、大学時代に運命の人と出会ったこと、父親の事業を継ぐときの緊張、…もうすぐ子が生まれること、まるで母親に褒めてほしい子供のように自慢げに嬉しそうに話した。そして、話し終えると、顔がカッと赤くなる。
「なっ!俺になにをした!体が乗っ取られていたのか、わからん。だが、俺の忘れていたことまで話すなどありえん」
男はよほど恥ずかしかったのか、振り返り牢の方を向く。自分の話をしている間にゆるんだ目隠しの布が落ち、わたしを見る。
「あら、あなた様の目は―――さんの目とそっくりなのですね。それに、女給の言いつけを破って私を見てしまうのも同じ。あほうな家族」
「あ、ああああ、美しい、もっとおまえのいや!女王様のお姿を見せてくれ!ああ触れたい。欲しい、いくらだ何が欲しい!爺さんの財産などくれてやる。その代わりに女王様のすべてをくれぇっ!!」
男は両の手を牢の中に突っ込みわたしに触れようとする。男の目にはわたししかうつっていない。さっきまでの厳格そうな男は娼婦に欲情する一匹の獣に変わった。女給はため息をついて牢の扉に寄る。
「みかど様、牢の扉には錠はありません。ほら、こちらから入れますよ?」
女給が話し終える前に四本足で牢の中に入る。わたしが迎えるように手を広げると男は覆いかぶさった。
「やはり男は気持ちが悪い。あほうな男にあほうな孫」
女給はいつの間にかいなくなっていた。
③一目惚れ
獣が牢に住み着いてしばらく経った。女給が二人分の夕食を持ってくる。
「女王様、みかど様、今夜のお食事を用意しました。米と味噌汁と焼き魚でございます」
女給が扉の前に料理を置き、獣がわたしの前まで運ぶ。わたしは一口サイズの茶碗に入った料理を食べ終える。そして、残りを獣の口に運び食べさせる。
「この獣はいつまで置いておくつもりですか。このままでは戻れなくなってしまいますよ。獣の家族から連絡がこないのですか?それともわたしへの嫌がらせですか?」
「みかど様のことですが、今日の今朝方弟様からこちらに連絡がありました。みかど様の状態を伝えましたところ、ことの重大さをようやく理解したようで、明日こちらに来るそうです」
「そうですか、しかしお前の痴態を弟にさらしてしまうのは流石にかわいそうですね。明日これの弟が来る前に上の蔵にでも隠しておきましょう」
食事が終わると獣が食器を扉の前に運ぶ。そして、獣は再びわたしに覆いかぶさる。
「お嬢様は俺のもの…、誰にも渡さない」
「はいはい、お前のものですよ」
…
翌日、獣は女給によって蔵に連れ出され久しぶりの一人の時間に安心と少しの寂しさを覚えつつ、男の弟が来るのを待つ。同じ轍を踏まないために、光を通さないほど黒く万が一にも体が露出しないほど広い布を被る。しばらくして複数の足音が聞こえた。
「ここに私の旦那がいるのですか?私には長期出張と言っていたのにこんな牢を訪れているなんて…、旦那は無事なのですか?弟君は旦那が病に伏せているとしか教えてくれません。うぅ…」
「姉さん、落ち着いて。お腹の子にさわるよ。女給さん、この先に兄さんが居るのかい?」
足音が止まる。来客は牢の中にある黒い膨らみをチラチラ見ながら、女給に説明を求める。
「弟様、奥様、この場所に至るまで詳しい説明をせず申し訳ございません。まず、みかど様のことですが実をいうとここにはおりません。病に伏せてもおりません」
「なっ⁉じゃあ兄さんはどこに?」
「その前にこの場所について説明させていただきます。ここは黄泉の女王様を閉じ込めるための地下牢でございます。黄泉の女王様とは『日本国』に不条理な死をまき散らす、呪いの源でございます。私たち女給の一族は代々この地下牢に黄泉の女王様を閉じ込め続け、人々の平穏を守ってきました」
「その黄泉の女王様と兄さんに何の関係があるんだい?」
「その黄泉の女王様なのですが、一部の界隈ではどんな願いも叶えてくれる存在として扱われておりまして、みかど様方のお爺様も一度この場所を訪れております」
「遺書に書かれていた黄泉の女王様のことだよね。もしかして、そのことと兄さんに何か」
「お爺様の願いは孫の無病息災、代償は孫の一人の譲渡。孫は血縁関係でなければいけません。血縁関係でなければ…呪いが降りかかります」
そこまで言い終えると、女給は目隠し用の布を女の方に渡す。男の方はぶつぶつと情報を整理して、その真実を理解した。
「そういうこと?え、じゃあ兄さんは今どういう状況なんだい?」
「申し訳ございませんが今はお伝えすることができません。ただ、みかど様がどうであれ決めるのはあなた様でございます。このまま帰るか、孫の証明をして帰るか、残るか。ここに残る場合みかど様をここにくる前の状態でお返しします」
女の方がわなわなと声を震わせる。
「弟君、お願い。ここに残って。私、旦那が‐――さんがいないと生きていけない…」
「………時間をください。理解はしたのですが、実感がないというか。というか冗談ですよね、なんか真面目に聞いてましたけど現代日本で黄泉の女王様とか呪いってありえませんよ。ははは…」
女給はため息をつくと、仕方ないと牢の中の布を掴む。
「そうですか、では手っ取り早く現実を突きつけましょう。奥様目隠しをつけてください」
女の方が言われるままに目を隠すと、女給が牢の布を巻き取る。布の中のふくらみが露わになる。男の目に映ったわたし。しかし、絶世の美女というほどではなくちょっときれいな女性という見た目をしている。
「この人が黄泉の女王様かい?なんていうか普通の女性だね。僕はこの女性と生涯をともにするか兄さんを置いていくか決めなければいけないのか。ば、ばかげてる。姉さん上に行こう。兄さんが閉じ込められているなら返してもらわないと」
男の方が女の方を見る。女の方は男の言葉に安心したのか目隠しを外しわたしを見る。見て、発狂した。
「あ、ああああ、ごめんなさいごめんなさい、醜い顔でごめんなさい。自由に生きてごめんなさい。―――さんと結婚して子を孕んでごめんなさい。ああああ…」
「ね、姉さん?どうしたんだい?女給さん、おねがいだから姉さんを止めて」
女給は女の口の中に錠剤を突っ込み飲み込ませる。しばらくして女はすぅすぅと寝息を立てて落ち着いた。
「奥様を上の部屋に運んできます。その間に女王様と今後のことについてお話しておいてください」
女給が女の方を運んでいった。わたしは男を見る。男を見ると心臓の音がうるさくなる。顔が熱くなる。別に男の顔は美形ほどではないはずなのに姿を見るだけで彼に従いたくなる。
「あっあの、お名前を教えてくださいっ」
「は?」
わたしは彼に一目惚れした。
④黄泉の女王、二度目の恋
何百年ぶりのときめきはわたしを浮つかせる。硬直している彼のためにもう一度話しかける。
「あっあの、お名前を教えてくださいっ」
「えっ?あぁ、――――です。あの、今ちょっと困惑しているのだけど、いくつか質問していい?」
なぎ君の声がわたしの耳をしあわせで支配する。なぎ君の要望に応えたい気持ちといじわるしたい気持ちが頭の中で討論を始め、一つの案が生まれた。
「なんでも聞いてください!でもぉ、わたしもなぎ君のことが知りたいから交代で質問しあいましょっ」
「なぎ君?…はぁ、じゃあ僕から。姉さんが発狂したのはなぜだい?」
「あれは、わたしを見たせいで不条理な病気を侵されたのです。なぎ君が病気に侵されていないのかは教えませんっ!次はわたしですね、ええと…なぎ君の好きな食べ物を教えてください」
「好きな食べ物か、あえて挙げるならあっさりとしたもの。じゃあ僕の番だね。姉さんとおそらく兄さんもだけど、あの発狂状態は治る?」
「治ると断言します。わたしの不条理な病気は何百年の研究によって確認されているものであれば治す方法が確認されてます。私の番ですね!レン君の…」
わたしたちは女給が戻ってくるまで質問ゲームを繰り返す。なぎ君はわたしの質問に観念したのか、わたしが知りたいことを聞いたこと以上に教えてくれる。いつの間にかわたしはなぎ君に抱きつきながら話していて、なぎ君もまんざらでもなさそうだ。おそらく、なぎ君は情にほだされてここに残ってくれるだろう。
わたしが30年かけた『黄泉の女王様、二度目の恋』計画は無事成功した。
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後処理
美しい、または可愛らしい姿をした少女たちが鏡に映る二人の男女を眺めながらお茶会を楽しんでいる。ある少女はよろこび、ある少女は呆れている。永遠を生きる少女たちに一つの幸せを示した女がお茶会に参加するのは何年後になるだろうか。
飢えた少女
「お母さまは恋に飢えていたのかしら」
増殖した少女
「増えたら増えただけ恋を味わえますのに」
伝わらない少女
「お母さまは伝えられて羨ましい」
のぞき見少女
「のぞき見してちょっかい掛けたいわ」
鏡の少女
「男の方がかわいそう」
次の少女
「次は誰で恋しよっかなー」
よろしければ、他の少女たちをみてあげてください。