第四十二話 明日
〈篠崎〉
どこかで誰かの叫び声が聞こえたが気のせいだろう。そう思い、病室で横たわる那覇士さんに目を向けた。
「……何しに来たの?」
「お見舞いだよ」
訝しむ視線を当てる那覇士さんに私ははっきりと答えた。しかし彼女の表情は晴れない。
当然だ、もし私が逆の立場であれば、二度と彼女の前に姿を現さず一生の後悔として胸に刻む。彼女とは永久に喋ろうともしないだろう。
でも、那覇士さんは違った。より重く、面倒な結末を選んだのだ。
「言ってくれたよね、西岡くんに。もう一度話し合いたいって」
「…」
「嬉しいよ。今まで私とああなった人たちは大体がそこで終わりだったから。もう一度話し合いたいなんて言ってくれるだけでまんざらでもないかも」
「…………ないの」
「ん?」
「怒ってないの?」
こちらを案じる顔とトーン。回復している筈なのに那覇士さんの体からはマイナスのオーラが出ているように見える。
私はひたすらに疑問を口にした。
「どうして、私が貴方に怒る必要があるの?」
「だって、、……私は長山さんに貴方のことを喋って、その結果貴方は傷ついたのに……」
「それはしょうがないじゃん」
「え、」
「誰かに話したかったんでしょ」
言った途端、彼女の目元に水が溜まり唇が震える。必死に涙を堪える様子を記憶に詰め込みながら私は一方的に告げる。
「友達を作りたいという思いで貴方に近づいた。趣味が制限されてる事情を知らなくて喧嘩しちゃったけど、別に貴方だって話したくないわけじゃなかった。
ただ話題が共有できる、世間話が可能な生徒がよかっただけ。長山さんに最終的に頼っちゃったけど、あの後ちゃんと『もう一度話し合いたい』って言ったくれた。その時点で私は救われていたの」
「そう、なんだ」
「貴方が負い目を感じる必要はない。だって、私はもう救われているから」
そう言うと、まるでそのセリフが境界線だったように、彼女は自分の事情を話してくれた。桜莉に聞いた断片的なものじゃなくて、本人からの完璧なもの。
えらく長いエピローグだった。那覇士さんが今に至るまでどういう心情だったのか、それが明かされる。病室に居たとは思えない長い時間、喋りっぱなしになった。
でもそれは私たちにとって悪いものではなく、寧ろ楽しいと感じる時の流れ。徐々に太陽が沈み、オレンジ色の光に焚き付けられるまでお互いに思いをはっちゃけていた。
門限にギリギリの時刻。私と那覇士さんは別れ際にある約束を交わす。
どちらが最初だったかは分からないが、それは最高のクラスメイトとの杯だった。
「私たちってもう、」
「うん。友達だよ」
・・・
「やっぱりここに居た」
今日までの出来事を走馬灯のように巡らせていると、開いていた屋上の扉から一人の女子生徒が侵入してきた。よく見るその生徒は眼鏡からコンタクトに変更しており、「何してるの?」と言いたげな表情を浮かび上がらせる。
「……事件以来だな、篠崎さん」
「一人黄昏てた?」
「気晴らしにな。悪いか」
「ううん。全然」
そう言うと、篠崎さんは俺がもたれ掛かる手すりに身を寄せる。てっきり自殺未遂がトラウマにでもなってるかと不安だったが、きっちり克服していた事実に安堵する。
「西岡くん」
「なんだ?」
「聞いてなかったんだけどさ、どうして西岡くんって学校にいたの? 爺さんから詳しい話は聞いたけど、そのことはよく分からないって言ってたから」
「分からない……か」
多分、執行人にとって俺が学校に居た事なんてどうでもいいのだろう。俺が学校に居ないなら居ないで他の方法を考えただろうし、よく分からないんじゃなくて、純粋に興味がないんだ。
お前の存在は可笑しいみたいな言葉を呟いてた気がするが、ぶっちゃけ俺が家にいたら知らされない情報だろうし。
―――でも、篠崎さんは違う。だって俺と篠崎さんは友達だから。
じっと見つめてくる篠崎さんに俺は経緯を話した。雲斎からの電話があって学校に来たこと、そこら辺をすべて。
「爺さんが雲斎は軽症で済んで今は療養中って言ってたけど本当なんだよな」
「うん。桜莉、長山さんに事件の前日捕まって西岡くんをおびき寄せる餌として使ってたっぽいんだけど、そこんとこはー」
「聞いてねえ! マジであのじじい、俺に話す情報仕分けやがって! つうことはあれか? 俺のせいで雲斎は傷ついたってことか!」
篠崎さんを助ける代わりに雲斎がナガッチの方に行く。最善だと思ってたがあんな作戦やっぱ無茶苦茶だったのかも…………
「それはないよ」
だが、俺の気持ちを篠崎さんは否定する。
「病室で会ったとき桜莉が言ってた。『もし西岡が自分を責めるようなことがあればそれは間違い。あの後確かにアタシは利用されたけど、あの作戦じゃなきゃ紬希は救えなかった。怪我と自殺、どっちが大切かは分かるわよね』って」
「けど、、」
「西岡くんって優しいんだね」
話題に合わない笑顔に一瞬にして言葉が詰まる。何を言ってるかわからなかった。
「西岡くんって、自分が傷つくのは平気なのに人が痛みを受けるのは凄く嫌がるよね」
「自分が平然と過ごしてる時間、誰かが怪我を負ってんだ。そんな状況許せるはずがー」
「けどそれで済んだ。だーれも重症になることなく解決した。西岡くん。後から思い返せばもっとうまくやれた事なんて沢山あるんだよ」
そう言う彼女の声は振動を起こしている。
まるで過去を掘り起こすように。
「今が良くなってるならそれで満足しよう、西岡くん」
「…………………ああ、そうだな」
あの時の行動は最善だったのか。俺が駆け付けたことで手に入れられた未来もあったのかもしれない。
―――四の五の言ってもしょうがない。今はとりあえず身が安全されたことを喜ぶのが自然か。
話題を転換するよう俺は言う。
「そういや、那覇士さんとラ〇ンで話せるようになったんだっけか」
「教室でも喋れるようになったよ」
「なら、『今後の振る舞いかた、友達のつくり方を教えて』っつうお願いも終わりか」
寂しくなるな、と自虐気味に呟く。友達もできクラスでまともに振舞えるようになった彼女にこのお願いはいらない。
そう思った俺だったが、
「終わりじゃない」
恥らしく申し訳なさそうに前髪が瞳にかかり、次の瞬間顔を至近距離まで近づける。
いつかの図書館での頼みのように、柔らかそうな口元を大きく覗かせる彼女がいた。
「新しいお願いがあるんだけど、引き受けてもらえないかな?」