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a.m.03(新しくしましょう)

 妻は世界中から集めた海水の小瓶からこの結晶を作ったと話した。それは宝石のようであり、実際宝石に見えたもちろん本物ではなかった。 

 妻は知己の学者(材料物性だって?)に組成を調べてもらった返答は殆ど塩化ナトリウムつまり塩としか云えないものであり、なのに「おかしなものだ」そして「MgマグネシウムCaカルシウムカリウムと」云々含まれているだから「ますますおかしい」出所を訊ねられたが依頼の前に(他言無用)秘密の一筆を書かせ、だから相手もまさかこんなおかしなことになるとは思っていなかったであろう。妻は宝石商を訪ねた鑑定は「九分九厘、本物のように見える」と、誠実な回答を受けたしかし「僅かな疑惑がどうしても拭い切れない」なので、「買い取れない」そして、「売り出せない」

(話し終えた妻は満足そうに微笑んだ)

 ──ぼくは、彼女が十二回目の結婚の記念日を憶えていたのか知りたかったのである。

 花屋さんで十二本の(色とりどり)薔薇の花束を作って貰いそれを居間に飾った。彼女は気付いていなかったかもしれない気付いていても何も云わないこともある。ところが、

「これ」と、妻が出したのは一組の銀色の指輪で滑らかな表面に沿ってくぼみにぴったりと石が嵌っていて、──

「指輪、新しくしましょう」

 いまのでいいのに。

「特別なもの」

 それって、もしかして(南極?)

「クジラの潮もあるけど、」それとも違うと云う(クジラだって?)

 彼女は(うっす)らといたずらっ子のように微笑み、「もっと特別な海」と、謎をかけられてもぼくは何も思い当たらなかった。

「わたしたちが初めて一緒に海を見た、あの日の標本から作ったよ」

 彼女はぼくの手を取って、これまでの指輪を抜いて、これからの指輪をはめた。今度はぼくが彼女の手を取り同じことをした。

「ありがとう」彼女は云った。指輪から仄かに潮の匂いがした。いつかの浜辺の匂いがした。

 きれいだよ。十二年目、ありがとう。(これからもずっと)ぼくは隠し持っていた小箱を取り出し(ガーネット)(あお)い薔薇の形をした結晶(カーバンクル)のブローチが入っている。リボンを解いて箱を開けた彼女は微笑み、「奇跡」と、呟く。

 ──いつかの天花粉は標本から石を作るのに必要だったのだと合点は行ったが、それがどう作用したのかは、「秘密」と笑い、ぼくも別段詳しく知りたいわけでもない(説明されても理解が無理なことは自明)なので、彼女がしたこともきっと何かの(奇跡)なのだ。

 卒業した息子は寄宿舎から別の寮生活に入った訓練を経て今はどこかの沙漠を歩いている(詳しくは教えてもらえなかった)娘も元気に大きくなって、やはり寮のある学校に入った。ぼくは定期的に子供たちの部屋の空気を入れ換え綺麗に保った。子供たちは云い付け通りきちんと整理整頓と片付けをして外の世界に出ていった。ずっと昔に買った農家風の中古住宅はすっかりぼくらの家となり子供たちの帰る場所となり、車を小さなものに買い替えぼくは再び妻とふたりきりの生活に戻ったのである。

 子供のいない家の静けさといったら! 越してきたばかりの頃のぼくらは、どのように生活していたのだろう?

 当時と違うのは、ふたりで決めることより個々で報告するようになったこと歳月と括るのは簡単だけれどもぼくは何処か寂しさを憶えなかったこともない。恐らく子供たちが手元から離れていったことも関係している妻もぼくも年相応に変わったそして変わらずぼくは彼女を愛している。

 庭の手入れをし家を修理し部屋を片付け浴槽を洗って食料品を買いに出る食事に合うワインのボトルを持ち帰る。彼女は〈標本室〉から出てこない。税関のお役人が訪ね来た。初老の男性で小さな老眼鏡を鼻に乗せ、銀色のカイゼル髭を生やし、近所の気の好い知人のような雰囲気をしていたが見た目に反して(もちろん)細やかな性格で服装も(もちろん)隙の無い。イニシャルが刺繍された綺麗な手巾(ハンケチ)を持っている彼の目的は妻の「石」だった。

 たった一ペニーもしくは一セントだとしても「税金は税金」つまりそれは数年、或いはもっと遡る「財産」目録から抜け落ちていたのはどのくらい?

 ぼくは家を売ることを真剣に考えたそれはとても胸の痛む思いだった法律も税率も(罰則も)曲げようもない。

 彼は眼鏡を直し、目を細め、手元の厚い本(税金の本)を開き「魔術師および魔導士に関する税法」と、ゆっくり穏やかに当該項目を読み上げ、──

 待ってくれ。ぼくは遮る。そんなもの、聞いたこともない。

 すると税関吏の彼は「そう」と、頷く。「この法律に抵触するかどうか」ご覧の通り前世紀の遺物と揶揄されるものだが「現在も有効」で、旧い(税法)であると認めながらも「曲げられない」と、本を閉じた。

 それは(法律)怠慢ではないかと云いかけ賢明にも口を噤み、魔術なの? と、妻に訊ねた。妻は「分からない」と、答えた。「でも、無資格(アンデパンダン)ではなかったね」

 妻のしたことは故意でも恣意でもなくただただ善意の「お礼」だった世界中から送ってもらった「標本」を「石」にして送り返したお礼の一筆を添えて世界中に送り返した長年の歳月を圧縮して次々と。法律書の厚さは世界がどれほど硬く雁字搦めなのかを思い知らされる。ぼく妻を信じる彼女は身勝手な嫌いがあると思う。けれどもズルやウソを好まないことも知っている。彼女はいつも一途で一所懸命だ。

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