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3:悪友

 無論、この壮絶な戦いの一幕など、知りようもない大城裕樹である。


「いよお、爆睡野郎」


 授業が終わると、いきなりベア・ハッグを決められた。相手はかなりの上背タッパの持ち主なので、小さい裕樹はあっという間に身動き取れなくなる。


「うぐぐぐぐ」

「さすがは伝説保持者。いい度胸してるぜ。まさかあの女センセーもターゲットなのか? だからわざと注目される振りしたんだな。相変わらずのやり手だねえ」

「ご、ゴーレム、は、放して、放せってえ……んががが」


 さっきの授業中、誰もが恐れたはずの大城裕樹にいきなり絡んできたこの巨漢は、クラスでは唯一、裕樹と中学時代もいっしょだった男子生徒だ。


「お、おまえが起こしてくれたらよかったのに。席だって近いんだから」

「馬鹿な!」


 落雷が起きたかのような勢いで巨漢は吠える。


「おれが、おまえと女性の楽しい交流を邪魔するような奴だと、本気で思っているのか!?」


 プロレスラーと見まがうような体格ばかりでなく、顔つきも大人っぽい――というより、ひとつまちがえれば三、四十代にすら見える。裕樹を絞めあげながら浮かべている笑みはニヒルでシニカルで、つまりは裕樹が夢で見ていたようなハードボイルドの世界が似合いそうなくらい。


「おまえは楽しんでるだけだろ、ゴーレム!」


 ゴーレム――とは、もちろん仇名だ。本名は、剛田ごうだ玲夢れいむ


 剛田は、奇しくも伝説のいじめっ子と同じ姓だからいかにもふさわしいものの、下の玲夢となると、いちじるしく外見と一致しない。

 そりゃ産まれたてのころは誰しもキラキラ純粋に輝いているものだから、どんな名前をつけようと違和感もなかろうが、世の親御さんはわが子の将来を多岐にわたって想像すべきである――とは、余計なお世話。

 ともあれ、剛田さんちの玲夢くんは、今日も無駄に元気だった。


「さあいくぞ、ヒロ。話を聞かせてくれまいか」


 四限目が終了したばかりなので、これから昼休み。

 二人が教室を出ると、他の男子生徒もぞろぞろ引っついてきた。

 入学直後の、ただでさえ居慣れない雰囲気に加えて、数の少ない男子生徒は常に気まずい空気にさらされているため、自然と男同士くっついていることが多くなる。


「夢のなかではもう、うちの女子生徒全員とハーレム状態か? 相変わらずやるねえ」


 昔から剛田はしつこい性格だ。見た目どおり腕っぷしの強さも随一だが、現在はそれで幅を利かせることもない代わり、面白いことを見つけたときの執着は半端ではない。


「居眠りしてただけで、どうしてそんなことになるんだよ」


 夢については、多少恥ずかしい覚えがないわけではないから、裕樹の語気も弱くなる。


「しかし、先生のことは置いておくにしても、ついに初撃墜か。いよいよ、高校でも大城伝説の幕開けというわけだな」


 裕樹の肩を抱いた剛田が、やけに嬉しそうに語りかけてくる。全員でぞろぞろ向かっている先は食堂だ。


「入学して半月ていど。まあ、遅すぎたくらいだな。おれもやきもきしていたところだ。もうあの華々しい活躍は見られないのか、とな。しかし、あの伝説がそう簡単に幕をおろすはずもない、と信じてもいた。むしろ、これからが本当のはじまりではないのか?」


 勝手に盛りあがる。

 ぞろぞろとついて歩いている他の六人――つまり、一年三組の男子生徒全員――も、思わず釣り込まれた様子で両手を握りしめる。ただひとり、仏頂面で、やや猫背気味に黙々と歩いているのが裕樹だ。


「なにしろこいつは、中学時代、撃墜率一〇〇パーセントを誇った、伝説の……『女殺し』なのだからな!」


 おおっ、と湧きあがる歓声。裕樹は彼らのあいだに紛れ込むようにしながら、周囲から集まる好奇と不審の視線から逃げようとしている。ただでさえ目立つのだ。

 男子だから、というだけでなく、『大城』という名字が意味するもの、そしていま剛田が口にした理由によって。


「噂には聞いてたけど」

「名前が同じなだけの他人かと思ってたよ」

「確かに。大城、全然そんな雰囲気ないからさ」


 最近、ようやく仲良くなりかけていた他の男子生徒までもが、好奇心を隠しきれない様子で裕樹に詰め寄ろうとする。


「だ、だから、そんなんじゃないんだって。中学時代の噂だって、勝手にいろいろ尾ひれがついただけで、ぼくはそんな――」

「よくもおっしゃる」


 ふっ、と剛田が笑う。


「最初は、うちの中学でもみんな半信半疑だったんだ。ヒロはまあ、いい奴だが、決して目立つ存在じゃなかったからな。性格は内気で、勉強は中くらい、スポーツはそれなりにしても背が足りないから活躍したってカッコよくはない。つまり、大城裕樹に女っ気はまるでなかった。嫌われてるわけでなし、面白いわけでもなし、性格的に、冗談の種にもしにくい奴だった」

「ひょっとして、ひどいこと言われてる?」


 何気にショックを受けている裕樹を無視して、剛田はつづける。


「……が、ある日を境に、こいつは校内でも名前を知らない奴はいない、恐るべき存在へと変貌を遂げやがったのさ」


 無論、廊下は女子生徒であふれかえっている。免疫がないのか、男子生徒がぞろぞろ歩いてくるだけで顔をしかめる生徒もいたし、『まわれ右』して逃げ出す女子までいた。


「こいつに関わった以上、逃げられる女は誰もいない。家族以外、ひとりの例外もあり得ない。たとえほんの些細な関わりであろうとも、この男、大城裕樹にかかっては、もはや女は蜘蛛の巣にかかった憐れな蝶も同然。逃げ出せず、身動きも取れずに、じっくり、じわじわ、蜘蛛の思うがままにさせられる運命!」

「おおおおっ」

「誤解しか招かない言い方はやめろお!」


 耐えきれずに裕樹が声を張りあげる。剛田はあきらめない。


「なにをおっしゃる。おまえにかかって、涙に明け暮れた女性の数はおれがようく知っている。へっへっへ、誰もおれさまからは逃げることなどできないんだ、観念しろい、ってな。嫌ならいいんだぜ、おまえの家族が次の生贄になるだけだからな。あんたのお母さんもなかなかの美人だねえ。妹さんも小学生ながら、出るとこ出てきたんじゃねえの」

「年増、ロリ、なんでもありか!?」

「不潔!」

「な、なんて奴だ。大城っ、おれの妹は中学生だが、おれの顔から想像されるほどの美人じゃないぞ。絶対に近づくな、たとえ親友といえど容赦しないからな」


 と最後に叫んだのも剛田だからややこしい。ちなみに妹がいるのは本当。


「そ、それで? 女子たちが噂してたみたいに、本当にあの森下さんが、大城の初撃墜の相手なのか?」

「色白メガネの学級委員長かっ。あんな真面目そうな子に、い、いったいどんな手を使ったんだよ?」

「え、い、いや、あれは……」


 『森下』の名前を聞いて、裕樹の顔がひるんだ。身に覚えがあるのだ。

 そうとわかって、男子たちの目がいっそう血走りはじめる。全部聞くまで今日はもう帰さねえ、ってな勢いのなか、


「そういや、さっきの休み時間、おまえ、どこいってた?」


 ふと剛田が冷静な声をあげた。


「へっ?」

「おれも例の森下さんとの一件を耳にしてな、おまえから直接聞き出そうと思ってたのに、さっき、教室にいなかったな。トイレにしちゃ長かった。まさか、もう別の獲物を狙いにいっていたのか?」


 うっ、と裕樹がふたたびひるむ。


「おやあ? ヒロくんは相変わらず顔に出やすいですなあ」


 剛田がにたりと笑う。二年前、中学生でありながら近辺の不良高校生たちを血祭りにあげたときとそっくりの笑顔で詰め寄られて、裕樹は青ざめた。またも肩に腕がまわる。丸太みたいに太い。


 三時限目の休み時間、女子と会っていたのは本当だ。しかし、新一年生男子たちのあいだで人気の女子生徒に呼び出されたなどと知られては、それこそなにをいわれるか知れたものではない――。


 とそのとき、ざわっというどよめきが聞こえた。また女子たちに敵意を向けられているのかと思いきや、周囲の生徒たちが注目しているのは裕樹ではなく、二階渡り廊下の下に位置する中庭だった。


「おっ」


 とひと声あげた剛田が、あれほど面白がっていた裕樹をポイ捨てした。「うわあ」と宙を舞いそうになった裕樹に構わず、生徒たちの波を掻きわけて渡り廊下から身を乗り出す。


「見ろ、見ろ」


 と促された他の男子たちもそれに倣った。まるでかぶりつきで芝居を眺めるみたいな姿勢になった彼らの見つめる先に、ひとりの女子生徒の後ろ姿があった。


 まず、その長い黒髪が目を惹いた。

 頭の後ろで白いリボンにいったんまとめられた髪は、黒い滝のようにきらめきをともなって流れ落ちている。

 足を運ぶそのたびにきめ細やかにそよいでいる様は、それだけでうっとりしそうな眺めだ。

 実際、すれちがう誰もが目を奪われている。男子、女子、また、生徒や教師の立場にかかわりなく。


「わあ、誰、誰だ?」

「スタイルすっごい。見てよ、あの折れそうなくらい細い腰!」

「脚長いなあ。マネキンみたいだ。身長の半分以上あるんじゃないか?」


 わいわい皆が盛りあがるなかで、


「あ、あんまり大声出さないほうがいいよ。迷惑だから」


 ひとり、彼らの興奮をなんとか沈静化させようとしているのが裕樹だ。


「ほらっ、早いとこ、食堂いこうよ。また昨日みたいに、女子に占拠されてたら困るだろ」

「なんだ、大城、引っぱるなよ」

「あれで、振り向いたらとんでもなかったりして」

「ふっ。馬鹿言うな」


 なにもかも悟りきったように剛田がかぶりを振る。


「見てな」


 嫌な予感に駆られた裕樹が止める間もなく、


「星粛高等学校の華よ!」


 近くにいた裕樹がめまいを覚えるほど、腹から響きわたるような大声を出した。剛田は舞台俳優のように腕を差し伸べつつ、


「どうぞ、そのご尊顔を拝しまつりたく。市井の犬がごとき卑しい身分であるこのわたくしめのいじましい願いをかなえたまえ!」

「おおおっ」


 とどよめく男子たち。「げっ」と大城裕樹だけが異なるリアクションを示した。長い髪が黒いうねりを見せて翻る。

 女子生徒がこちらを振り仰いだのだ。


 血の気の引く思いがして、裕樹はあわててしゃがみ込もうとした。遅かった。

 あの白い顔がこちらを見ている。無表情に――しかし、切れ長の双眸には確実に感情の色をたたえて。


「弟さんをお世話してまっす、剛田玲夢といいます」


 剛田は()()()()と下品に笑いながら、なおも隠れようとしていた裕樹の首根っこを捕まえて自己紹介した。ちなみに剛田が『彼女』に自己紹介したのはこれで四度目だと裕樹は記憶している……。


 細い、しかし濃い印象のある眉をちょっと寄せただけでなにもいわず、『彼女』は興味なさそうにふたたび前を向いて歩き出した。

 胸を張り、白い首筋をすっくと伸ばした姿勢といい、足の運びといい、本当に何事もなかったかのようだ。


「ああ、麗しの姫君。わたくしなど、路傍の石にも劣るといわれるか。だが、どう手を伸ばしても届かない、天上の星がごとき態度が実に素晴らしい。たとえ世俗に穢れたこの身の卑しさを、嫌というほど思い知らされようとも」


 ハンカチをひらひら振って剛田が雰囲気に浸っていたが、他の生徒たちはそれどころではない。皆、顔を赤く上気させながら、


「た……確かに、とんでもなかったな」

「女子高ってのは、本当にああいう『お姉さま』が存在するものなのか」

「ああ、せめて、今宵、夢で会えれば」

「いや――と、というか、お、大城!」


 口々にわめく彼らの興奮の矛先が、次第次第に裕樹へと向かってきた。


「どういうことだ? 剛田、さっきなんて言った?」

「言葉のとおりさ。星粛女子高等学校の華――あのお方の名は、大城真那。こちらにおわす、わが一年三組出席番号三番、大城裕樹どのの姉ぎみでいらっしゃる。それも聞いて驚け、五年前に、ご両親の再婚によって姉弟となられた……いわば、義理の姉上であらせられるぞ!」


 ご丁寧にも、それもなぜか自慢げに、他人の家族の事情をスパッと言ってのけた剛田。そんな事実を知らされた生徒たちのもう驚くまいことか。


「お、おお、お、お姉さんだって? 『女殺し』の上に、家に帰ればあんなお姉さまと暮らしてるっていうのか!?」

「おまけに義理だとう。そんな、ドラマのネタでしかあり得ない、おいしいシチュエーションが本当にこの世に存在し得るのか? いったいどこに落ちてるんだ。それとも売っているのか。いくらだよ。いくら出せばいいんだよおお!?」


 がくがくと首を揺さぶられて、裕樹の脳味噌も激しくシェイクさせられる。


「貴様となんか絶交だ!」

「このあいだ貸すって約束してたブルーレイはなしな! おまえ、好みの女優の話であんなに意気投合していたとき、本当はおれを哀れんでたんだろ!」

「ああ、おれは不幸だ。世界一の不幸者だ」


 怒る奴、泣く奴、世をはかなむ奴。


「いや、皆さん、絶交よりむしろ親友になってもらうという選択肢はいかがでしょう」

「お、おお、そのとおりだ。親友になってもらえば、家に遊びにいくという名目でお姉さんにお目どおりすることも可能だ。大城くん、ブルーレイの件だが、ぼくの秘蔵コレクションすべて贈呈するから、次の日曜日、遊びにいっていいかい?」

「さっきのこいつの暴言を忘れるんじゃないぞ、大城。それよりはまず親睦を深めるためにうちに遊びに来ないか? 秘蔵の動画ファイルすべて、きみになら公開してあげるよ」


 裕樹とて充分に予測できた事態ではあった。同じ学校に通っている以上、また、義姉がどうしても目立つ存在である以上、いつかはこうやってクラスメートに詰め寄られることもあるだろう、と。

 しかし殺気走る級友たちを見るにつれ、もう少し説明のしようもあるのではないかと、心底裕樹は剛田を恨みたくなった。


「いったいどんな会話をしているんだ? どんな言い方だ。語尾に『ですわよ』とかついたりするのか。高笑いするのか。というか、ぜひしてくれ」

「個人的には『ですわよ』より、『ふっ、貴様など』的なほうが燃えるな。そうなんだろ、たとえちがっていてもそうだと言ってくれ。あとはおれの妄想でカバーする」


 などと口々に詰め寄ってきた男子生徒たちだったが、


「おや? そのお姉さんが、面白いことになってるぞ」


 剛田がそう口にすると、「なにっ」「なんだなんだ」と裕樹のことなど一瞬で置き去りにして、ふたたび渡り廊下の下に注目した。


 裕樹の抱く、嫌な予感はなおも続行中だった。逃げるべきだ、と裕樹は思っていた。が、いつもそんな切迫感に身をゆだねながらも、剛田やら、『彼女』やらを無視できない裕樹は、結局は剛田の後ろからそろっと様子を窺うことになる。


 大城真那の後ろ姿は歩みを止めていた。いや、止められていた。いく手を数人の女子生徒に阻まれていたのだ。

 真那の前方を遮るグループの先頭に仁王立ちするのは、裕樹も顔を見知った一学年上の女子生徒――北見渚だった。


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