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1:告白

 友達が泣かされた。

 南雲なぐも凛子りんこにしてみれば、理由はそれで十分だった。


 泣かせた奴の噂を聞いたことがある。

 『女殺し』らしい。それも凄腕の。

 なるほど、電話口で聞いた友人――森下かおるの声は涙で濡れていた。電話を切った瞬間、顔をあげた凛子の目には炎が宿っていた。


 凛子にだって、おつきあいの経験くらいはある。

 小学三年生のときだ。クラス一足の速かったその男の子とのおつきあいは、いっしょに遊んでいるとき、ふざけて胸を触ってこようとしたそいつの鼻から大量の血を噴きあげさせるという壮絶なシーンで幕を引いた。

 掌底しょうていは父直伝(じきでん)だった。


 それをおつきあいと呼べるのかどうかはともかく、凛子は昔から男女問わず人気があったし、相手はなにせ『女殺し』。


 むしろ都合がいい。

 いろいろ策を弄さずとも、こちらからわかりやすい『エサ』さえ提供すれば、向こうのほうからノコノコ近づいてきてくれるはず、という確信があった。


 自分から男の子に『告白』するのははじめてだったが、その辺はかおるに借りた漫画やらライトノベルで知識を得ている。

 ()()()、と決意したその日から三日間、台詞も練習してきた。鏡の前で表情をいろいろ試してもきた。予習もトレーニングもばっちりだ。あとは実践あるのみ――。


 はっと凛子は屋上の出入り口を見やった。足音が近づいている。


 素早くスマホの時計を確認。約束の時間を少し過ぎていた。

 凛子は鼻で笑った。宮本武蔵ばりにペースを掻き乱すつもりか知らないが、甘い、甘すぎる、『女殺し(レディ・キラー)』――大城おおしろ裕樹ひろき

 おまえがどれほど大勢の女性を毒牙にかけてきたかは知らないが、さぞ自信があるにちがいない。わたしが出したラブレターでその自信をさらに深めてもいるだろう。


 入学してまだわずか半月にして、もう二人目の獲物が手中に墜ちた――と笑っているはずだ。自分を狩る側だと信じているハンターは、自分が狩られる立場になったときのことなど想像だにしない。

 その鼻っ柱が折れるときが見ものだ、と思いつつ、凛子は屋上の出入り口に姿を見せた男子生徒に、練習したとおりの微笑みを投げかけた。


「来てくれたんだ」


 ストレートのショートヘアーに手を添えながら、やや小首を傾げるように。

 男子生徒からの返事はない。赤面して見入っている――のではなく、なにやら周囲が気になる様子で、あらわれたときから終始キョロキョロしている。


 一瞬、ムカッとなりかけたものの、凛子は、まあ仕方ない、と自分を落ちつかせた。

 そりゃ周りの目が気になりもするだろう。だけど、昼休みでもない、三時限目の休み時間というのは意外に穴場だ。

 屋上に二人以外の人影はない。そんなことはひと目でわかりそうなものなのに、男子生徒の視線はいっこうに定まらなかった。


 ――本当に、こいつなのか?


 苦労して笑みを維持しつつ、凛子はちらりと不審を覚えた。もちろん、彼のことは以前にも目にしたことがある。

 新一年生のあいだでも大城裕樹の知名度は抜群に高い。「ほら、あれが例の」と友達が指差す彼を遠目にしたときも、「おや?」と思った。いまこうして間近に対峙してみると、

「おやおやおや?」

 という感じだ。


「ねえ。手紙、読んでくれたんでしょう?」


 それでも重ねて声をかけてみる。とても優しい声音を出してあげたのに、相手は「う、う、うん」と頷きながら、心ここにあらずといった感じ。

 凛子のこめかみに()()()と血管が浮かんだ。しかしここで地を出しては、せっかくの計画がご破算になる。


「それで……どうなのかな、って」

「ど、どうって?」

「どうって、手紙を読んでくれたんならわかるでしょ?」

「ああ、その、読んだ、けど」

「それなら」

「だけど、ええと……」

「ねえってば」

「う、うーん……」

「ああもう、はっきりしないなあ!」


 思わず大声が出る。男子生徒がびくりと跳び退いた。ただでさえ開いていた距離がもっと遠くなる。やばい。

 凛子はいったん横を向いて、短い呼吸を繰りかえした。すうはあすうはあ。


「……いやだなもう、わたしの口から言わせないでよ。手紙を書いただけでも精いっぱいなんだから。わかるでしょ?」


 無理矢理仕切りなおしてみる。相手は約十メートルの距離を保ったまま、おずおずとした様子でこっちを窺っている。

 まるで小動物が怯えているみたいだ。凛子は見ているだけでイライラが募ってくる。と、


「な、南雲さんのこと、ぼくはよく知らないし」


 やっと男子生徒がまともな口を利いた。おっ、と凛子は身を乗り出す。練習してきたとおりのやり取りにもっていけそうだ。


「大城くんはそうかもしれないけど――でも、お互いをよく知らないからつきあえない、ってこともないんじゃない? 少なくとも一方がよく知っていれば」

「え?」

「わたしは大城くんのこと、知ってる。だって……あなたのことを、三年間、欠かさず見てたから」


 決め台詞だ。漫画なら大ゴマ、ドラマなら主題歌が入るとこ。

 射し込む光に顔の輪郭が薄くぼやけて、微笑みをやわらかく演出する。「ずっと」と、かすかな声でつけ加えればもう完璧。が、


「……入学して、まだ半月なのに?」


 するりと大城裕樹に突っ込みを入れられた。


「う」


 凛子は返事に詰まった。練習のシナリオにはない。盲点だった。

 あの漫画は卒業を間近に控えた高校三年生の女子が主人公。入学したての一年生の台詞にはふさわしくない。


「三年間に匹敵するほどの半月だった、ってこと! その半月間、わたしはあなただけをずっと見てたの! 授業中だって、熱い視線をずうっと……」

「クラス、別だけど」

「……授業を抜け出してこっそり見てたし、大城くんをひと目見たいがためだけに校舎をずっと駆けまわっていたし、登下校するところを窓から目で追いかけていたら、友達に『なに見てるの?』と聞かれたら、赤くなりながら『ううん、別に』『あっやしー、まさか彼のこと?』『ち、ちがうったらあ』とも言ってきたし!」

「そ、そう」


 ハアハアと肩で息をしつつ、凛子は相手の様子を窺った。

 相変わらず視線は落ちつかない。ただでさえ小さい身体を縮み込ませてもいる。『女殺し』なのになぜか慣れないような態度だ。

 いいや、演技だ。凛子は断定した。

 でなければ、数々の噂と、三日前、電話口で囁かれたかおるの泣き声とが一致しない。


 プレイボーイというのはおそらく、相手の女の子やシチュエーションに応じていろいろな顔を使いわけるものなのだ。

 逆にいえば、そういう器用なことができない限り、目の前の男子が何人もの女性を惹きつけられるようには見えない。


 身長一五七センチの凛子とほとんど変わらないくらいの背丈。顔つきも幼い。

 新一年生といっても、彼の場合、中学校の新入生で通用しそうなほど。だから、かっこいいというより可愛い系……といえなくもないが、目つきの暗さに性格がにじみ出ていそうで、ルックスで人気が得られるタイプじゃないのは確かだ。


 つまり、外見以外の部分が相当『やり手』にちがいない。凛子はごくりと喉を鳴らした。やるな、と、久しぶりに燃えるものを感じつつ、強引に次のシナリオへと進めた。


「いま、つきあってる子とかいるの?」


 不安そうに、「とか」と曖昧に言葉を濁すのがポイント。


「……いないよ」


 ぽつりとした言葉が返ってくる。ふん、そりゃそうだろう。たとえ百人いたって「いない」と胸を張るのが『女殺し』。

 かおるのことだって、日常のひと幕に過ぎないというわけだ。

 どす黒く渦を巻きかけた負の思念を力ずくで抑え込みつつ、


「だったら――ねえ」


 黒目がちの目を情熱的に輝かせて、凛子は前に出ようとする。詰めの段階だ。

 が、大城裕樹はそのぶんあとずさった。彼にとっても新たな獲物を手に入れる詰めの段階であるはずなのに、むしろ目が怯えているのはなぜだろう?

 それも、相変わらずこっちを見ようとはしていない。飽きずに周りをキョロキョロしている。


 はっきりしねー奴だな、と凛子の苛立ちも限界に達しそうになったが、懸命に雑念を追いはらう。

 こういう場数は向こうのほうが踏んでいる。下手にあれこれ気をまわしていたら、あっという間に相手のペースに巻き込まれかねない。


 凛子に恋愛の経験はほとんどなくても、戦いの鉄則くらいは身についているのだ。こんなナヨナヨした野郎に引けを取るもんか。


「別に、明確な答えがいますぐ欲しいってわけじゃないから。今度の日曜日空いている? 一度、デートしようよ。そんな堅苦しく考えなくてもいいからさ。あ、デートって言い方がよくないのかな。ただ遊びにいくだけ、って考えれば。映画とか好き? いまなにか面白いのやってたかなあ――」


 暗記していた台詞を言いながらスムーズにスマホを取り出す。練習どおりだ。『女殺し』となんて、デートはおろか、正直、こうして二人きりでいるのも苦痛な凛子だが、涙に暮れていたかおるの仇を討つためなら、自分をいくら犠牲にしてもいとわない。


 女を遊び道具としか思ってない男には、正義の鉄槌を下す。

 ただぶん殴るだけじゃ駄目だ。そんな傷はすぐに癒えてしまう。

 相手と同じことをしてやるのだ。相手と同じく心を弄んで、心を傷つけて。

 そのときにこそ、相手はいままで重ねてきた罪の重さを自覚するのだ。

 などと、女子高生にあるまじき考えを抱いていた凛子だったが、


「悪いんだけど」

「あっそうだ、この前オープンしたばっかりの……え? な、なに?」

「デートにも遊びにもいけない」

「へ?」


 思わぬ返事に目が丸くなる。彼はもう背を向けていた。


「ちょっと、ちょっ……」


 伸ばしかけた手の先で、くるりと彼が振り向いた。なんだ、それもやっぱり『手』か、と怒り半分、安堵半分に凛子がこれも練習したとおりの笑みを浮かべかけたとき、


「興味本位なら、やめてほしいんだ」


 妙にきっぱりとした顔と口調で彼は言った。「う」とふたたび凛子の言葉が詰まってしまったのは、その瞬間、いままで視線を避けてきた彼がはじめてこちらをまっすぐに見ていたからだ。

 気弱そうな視線の奥に、隠しきれようもない怒りが覗けて見えた。

 ふたたび階段を踏みしめる足音。ただし今度は遠ざかっていく。

 びゅうと風が吹いた。


「……なに?」


 つぶやきが洩れたのはどれくらい経ってからだろう。

 『女殺し』なんだろ?

 来るもの拒まずなんでしょ? それが……わたしだけを……拒んだ?

 それも、わたしを……怒ってた?


 真っ白になっていた凛子の心に、そのとき、奥深くに抑えつけておいたどす黒い思念が()()()と炎のごとく立ち昇ってきた。


 怒っているのはこっちだ。

 ()()()()()


 凛子は手近になにか『殴りつけられそうなもの』だの『踏みつけられそうなもの』だのないか、探しまわった挙句になにもないことを知ると、ひとりでジタバタ暴れまわった。


「……そう」


 しばらくして、息を切らしながら凛子はつぶやいた。風はまだ吹いている。いつもよりやや短めにしてきたスカートの裾が乱れ、ほんのり日焼けした腿が露わになっていた。

 風になぶられる前髪に表情を隠しつつ、


「完敗だね。まずは、おまえの勝ちってところか」


 これもまた、『女殺し』の作戦のひとつなのだ。告白してきた相手は、まず手ひどくフッてみせる。そうして忘れなくさせる。もっと強い恋心を抱かせるために。

 つまり、彼は最初から長期戦をにらんでいたことになる。対して、せいぜいその場限りの台詞しか練習してこなかった自分が勝てる道理などない。


「見てろよー」


 ぱっと風に散らされた前髪の合間、くっきりと濃い眉毛が吊りあがり、情熱的な黒い瞳がキラキラと輝いている。


「おまえが何人殺してきたかは知らない。だけど、そう、恋は殺すか殺されるか、命の奪いあい。自分にだって殺される可能性があるんだってことを、わたしが教えてやる。必ずだ!」


 突っ込み甲斐のある雄叫びを屋上に轟かせる、新一年生、南雲凛子。

 キーンコーンカーンコーン、とお約束のチャイムが鳴った。


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