3話 どん底のアラド君
アラドはすべてを失って、逃げ出した。
右腕を失い、黄金傭兵団という羨望の職を失い、そして何よりも……希望を失った。
「……なんのために……俺は……」
アラドの目から、完全に光が消えていた。
幼い頃から剣の腕前を磨き続け、人生を掛けた。
そして黄金傭兵団に入団出来た時は、その努力が報われたと思って、感涙すら流した。
しかし今、彼はそれら全てに少しも価値が無かったことを知ってしまった。
黄金傭兵団は、部下の命をなんとも思わぬ無情の冷徹集団であり、同時に、自分たちの不名誉な事実をもみ消して名声をあげてきただけの、どうしようもない組織だった。それだけならまだしも……
――父さんと母さんが、本当は黄金傭兵団に殺されたなんて。
彼の両親は、ともに優れた戦士だと聞いていた。
アラドが物心がついた頃にはすでにこの世を去っていたが、その武勇伝は彼の心に深い誇りと希望をもたらしていた。
「……これから先、どうすれば……」
アラドは何も考えられなくなっていた。
ショックは大きすぎて、彼の思考回路はまともにうごかない。
いや、まともに思考が動かないのは彼の精神を守るための自衛反応だったのかもしれない。
彼は自分の身に起きた事実を理解することは、致命的なことだった。
利き腕を失って、仕事もなく、何よりも大切だった……夢を打ち砕かれた。
そして彼は、ほとんど夢遊状態で道を進む。
何日、何週間も、ひたすらに。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「……ああ、戻ってきたのか……」
そしてアラドは、自らの故郷へとたどり着いた。
なぜそこに向かったのかと言えば、きっと他に行くあても無かったからだろう。
そこは山間部にある小さな村。農村フリンク。
自然が豊富で、果樹園が至るところに見られる。
美してのどかな村……そしてアラドが大嫌いな故郷だった。
しかし、今のアラドには金も行く宛もなく、ほかに選択肢は無かった。
黄金傭兵団の装備が残っていれば、それを売って金を作ることもできたが、今の彼が持っているのは、道すがら拾ったボロ布と、予備の短刀だけ。
「……母さん。ただいま」
家に帰ると、彼の養母のカサンドラは目を丸くした。
黄金傭兵団へと入隊した、誇らしく、立派な義理の息子。
それが見るも無残な、乞食のような容貌に変わっている。
……しかも、利き腕も無くなっている。
驚くのは当然だ、と、アラドは自嘲的な気分に浸った。
「な……アラドかい? どうして……?」
「色々あったんだ。でも、今は疲れてて……少し休ませて」
「何があったんだい? その腕は?」
「後で話すよ」
「ちょっと待ちなよ。それじゃあ仕送りは!? あんたからの金がなきゃ、生きていけなんだよ」
「……今はやめてくれ」
アラドはひどく疲れていた。
何も考えられなかった。
軽い食事をしてから、埃を被ったベッドに向かうと、そのまま死んだように丸一日、深い眠りへと落ちてしまった。
☆
アラドは、深い眠りの中で夢を見ていた。
それは幼い頃の記憶。二人の幼馴染との会話だった。
「なあみんな。将来は冒険者になろうぜ!」
幼いアラドは、喜々として叫ぶ。
一人の幼馴染、野生児のミーシャ首をかしげた。
「ぼーけんしゃって、なにぃ?」
「ばっかねぇ、ミーシャ! ぼうけんしゃってのはぁ、魔物たちと戦ったり、ダンジョンの攻略をしたりする人たちのことよ!フリーランスよフリーランス!」
もうひとりの幼馴染、魔道士見習いのアーリンは、まだ頭のサイズに見合わない、巨大な魔道士帽を揺らしながら、自慢げにそう説明する。
「でも危ないだけじゃなくて、すごく楽しくて、いい仕事なんだよ。で、冒険者っていうのは数人のグループを組んで活動するんだ。だからオレたち3人でグループを組んで、冒険者になろう!」
アラドはニコニコと楽しそうに笑う。
「バカね! 冒険者ってとっても危険なのよ? 冒険者を続けて寿命まで生き残った人間は、歴史上一人も居ないって言われてるんだから。あんた達二人は絶対に冒険者なんてムリよ!」
アーリンは『自分は違うけど』とでも言いたそうだった。
「確かに、今のオレたちじゃ絶対ムリだよ。でも、強くなったら話は別だ。俺は剣を、ミーシャは技を、そしてアーリンは魔法を極めれば良いんだ」
「うん、わたし戦うの大好きっ!」
野生児のミーシャは嬉しそうに叫ぶ。
「へぇ、でもどうやって?」
アーリンは挑発的な目でアラドを見つめる。
「簡単だよ。俺は黄金傭兵団に入って、そこで師団長にまで成り上がる!」
幼いアラドは、木の棒を鉄の剣に見立ててその場で振り回す。
「なら、わたしは神聖騎士団にはいるよ! そこで司祭になるっ!」
ミーシャは胸の前で十字を切って、そう誓う。
「そう? なら私はスコフィール魔法学校に入って、そこを主席で卒業するわ!」
3人はそれぞれの目標を叫んで、手を合わせた。
「でさ、10年経ったらまたこの村に集まってパーティを組むんだ! 絶対な!」
そして彼らは誓いを忘れないために、微光石を使ってネックレスを作った。
不器用で、未熟で、夢に満ちた誓いは、そのネックレスに刻まれた。
☆
「アラドッ! とっとと起きなよ!」
養母カサンドラの声で、アラドは目を覚ました。
「……母さん」
「それで、何があったんだい?」
母親に聞かれて、アラドは自分の身に起きたことをかいつまんで説明した。
すると、母親の表情は曇り、そしてこう吐き捨てた。
「てことは、アンタは無職で、やることもないって訳かい?」
「……はい。残念ながら」
アラドはうなずく。
本来のアラドなら、言い返したかもしれないが、今の彼にはそんな気力も無かった。
「利き腕も失って、まともな仕事もできない。そういうわけだね?」
「……はい」
「まったく……それならいっそ……」
母親はそこまで言って、言葉を止めた。
だが、アラドは母親がなんと言おうとしたのかがわかってしまった。
(死ねばよかったと、そう思ってるんだな。母さん)
アラドの養母は現実的な人間だった。
彼女は『愛情』は持ち合わせておらず、代わりに『世間体』や『家計』のことだけが彼女の思考をいつも支配している。
両親を失ったアラドを引き受けたのも、両親ともに優れた剣士であるという血統の良さから判断した打算的なものだった。
と言っても、アラドもそのことに気づいていないほど愚かではなかった。
――まあいいさ。分かってたんだから
アラドは虚しい気持ちを胸にいだきながら、何も言わず、立ち上がった。
「薪割りをします」
「……片腕で、出来るのかい?」
「はい」
そしてアラドは、家の外に出て、薪割りを始めた。
だが、慣れない左腕一本での薪割りは、困難を極めた。
――両腕があれば、こんなの簡単に……一瞬で全部終わるのに。
そう思いながら、何回も何回も斧を振り下ろし損ねる。
何度か繰り返した末、彼は斧をその場に放り投げると、地面に大の字に横たわった。
そこに一陣の冷たい風が吹き込んで、彼の顔に大きな薪が倒れ込んできた。
どごっ
「ふべっ」
アラドの顔に薪がクリティカルヒット!
泣きっ面になんとやら。アラドは、顔にぶつかった薪をどかそうともせず、そのまま大きくため息をついた。
「はぁ……薪割りすら満足にできないのか……」
「……あれ、何あの人」
その時、近隣の住民達が家のそばを通りがかった。
「もしかして、アラド君じゃないかしら?」
「腕が無いわよ。かわいそうに……きっと戦争に行ったんでしょうねぇ。これから先、どうするのかしら? 腕が無いんじゃ、農園での仕事も難しいわよ?」
主婦たちは、地面に倒れ込んでいるアラドを見て言う。
『若くして黄金傭兵団に入ったエリート』と、彼の名前はこの村でも高名だった。
だからこそ、今の彼を見た村人たちは、彼を見て指を指す。
同情しているような言葉を吐きながら、アラドには彼女たちが笑っているように見えた。
「くっそっ馬鹿にすんなよっ!」
アラドは勢いよく起き上がると、またしても片腕で薪割りを再開した。
すると、最初は片腕では割れなかった薪が、試行回数を増やすごとに割れるようになっていく。
片腕での武器の扱いは、両腕の場合とは全く違うことに気づいたからだった。
「はっ! はっ! はっ! はっ!」
ドコンッ! ドコンッ! ドコンッ!
その微妙な感覚に気づいてから、アラドは少しづつ成長し、薪割りに夢中になった。
右腕を失ってしばらくは、武器を握ることなど考えられなかったのに。
――剣を習い始めた頃を思い出すな。
身体を動かすうちに、次第に気持ちも上向いてくる。
腕を失ったことは残念だが、片腕でも案外やれるじゃないか。
そう思いながら剣をふるい続ける。
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