第1章 第7話
IT企業の社長のようなハットをかぶり、無駄にテンション高めな夏っぽい衣装をまとっている。
ソファーに腰掛けていたその男は、初対面とは思えない距離の詰め方ですっと俺の側に駆け寄ってきたかと思うと、
「うぇーい、よろしく~!」
そう言って手を差し出し、握手を求めてきた。体中からムンムンと漂ってくる、ココナッツ系の香水がキツイ。
「あ、はい…」
やっとの思いで言葉を絞り出し手を差し出すと、男は、これで俺たち親友だぜみたいなノリで俺の手を握り、大げさに上下に揺らしてみせた。何が何だか分からず、案内されるがままここに来てしまったが、本当に大丈夫だったのだろうか?先程まで多少なりとも感動を感じていたジャージーなワールドも、今は賭博場か違法薬物の取引場所のように見えてきている。そんな言いようのない不安を掻き立てる何かが、踏み込んでいけない何かが、男の態度からは感じ取れた。
俺が戸惑っていると、男はいつの間にか俺から離れ、同様にほかの連中とも握手を交わしている。
ゴンザエモンやアンネは完全に引きつった表情で、なけなしの社交性を振り絞るようにかろうじて男の手を握っていた。言うまでもなく、彼らは同じく陰キャラである。必要以上に人と接することさえしない2人にとって、こんな胡散臭い人間との握手など拷問でしかないのだ。見ると、さっきまで悪臭を放っていたユウでさえも一歩引いている。お前はむしろ引くなと言いたいが。
「うっえ~い!よろよろしゅうしゅう!あはは~」
「おっ、キミ元気だねぇ!今度一緒にトロピカルサワー飲みに行こうよ~!」
結局対応できているのはレモンだけだった。というより、既に肩を組んで意気投合している。改めてレモンが、唯一の陽キャラとして貴重な存在であることを俺は知った。以後、この男の相手をすることがあれば、ぜひ彼女をタテにすることとしよう。
「いや~、なんかキミら鬼ヤバだったらしいじゃん。ヘンなやつに追われてたんしょ?」
俺たち(レモン以外)の嫌悪感をケツ毛の先ほども意識していない様子の男は、またソファーに腰掛けてニマニマと笑う。実に絡みづらい。
「ホミちゃんに感謝しなよ~?この子、空手4段!もうバリバリ最強No.1なんだよね!」
男が無駄なオーバーアクションを交えて話を振ると、ホミと呼ばれた女は、いやいやと幾つか謙遜の言葉を並べた。ホミは俺たちをちらっと見ると、まだ名乗っていなかったことに気がついたようで、改めて俺たちに向き合うと、その辺りのことを話し始める。
「そういえば、自己紹介もまだだったな。わらわの名はホミ。年は19だ。君たちより2つぐらい上かな。」
相変わらず一人称はわらわで違和感があるのだが、先程の尿十字の一件もあるし、そこはそういう人間として捉えておくとしよう。
「それで、ここはどこなんですか?」
アンネが尋ねる。そうだ、いろいろなことが起こりすぎて忘れていたが、そこの説明がまだ全然だった。
「ここは、ある研究を秘密裏に行っている組織、とでもいうべきかな。通称・TMRだ」
「TMRって、あの体中にガムテープを巻いて風を浴びている、あの…」
「いや、それではなく」
言い掛けたユウの言葉をホミが遮る。
「TMRは、過去に人々が封印した“LOVE”を取り戻すための組織なのだよ。」
「“LOVE”?聞いたことがないな」
ゴンザエモンが珍しく首をかしげている。
「いや、実はわらわたちもよく分かっていないんだけどな。“LOVE”は人々に幸福をもたらす存在で、かつて世界は“LOVE”であふれていたらしい。」
幸福をもたらす何かに秘密結社、そして後ろに座っているハットの男。まるで胡散臭さの宝石箱みたいな状況だ。
「私たち組織の目的は、それが何なのかを解明し、現世に再現させることなのだ。そして彼は組織のリーダー、NTだ」
「イエース!その通り、仲良くやろうぜ!」
NTは、またも距離を詰めると、さっとすばやく俺たちに名刺を配った。
「秘密結社 TMRリーダー NT」
書かれている情報はそれだけだった。それだけである分、逆にものすごく主張が強いように感じる。
「秘密結社って言うと何だか怪しく感じるかもしれないが、別にヘンテコなローブをまとった宗教団体とかではない。現状やっていることは、基本的に過去の文献を調べて行動しているだけだからな。いわば歴史の研究だな。」
リーダーが生んだ不審をフォローするかのように、ホミが付け加える。
「ところで気になったんですけど~」
レモンがのんびりとした口調で、おずおずと手を挙げた。
「はい、レモンちゃんどーぞ!」
NTがビシッと指を差す。
「TMRって何の略なんですか?」
「あ~…」
バツが悪そうに目を反らすホミ。嫌な予感がブワッと全身を駆け抜ける。そしてホミは、1つ間をおいてからその正式名称を口にした。
「T(多分)M(間違いなく)Rの略だ」
ダメだ、これはダメだ。レジスタンスって、反逆組織じゃん。多分って付いてるけど、間違いなくなんでしょ?ダメじゃん。アウトじゃん。悪の組織だよ絶対。
「僕が説明しよう」
意味の分からないタイミングで、ややイケボ風の声が響き渡った。ふと声がした方向を見ると、今までいなかったはずの部屋の隅に、奇抜な衣装の男が1人立っていた。