第1章 第2話
ゴンザエモンをスルーして席に座る。
「おぉ、俺のかわいいいちごちゃん」
部屋の片隅に設置された小さなビニールハウスの中では、俺の栽培しているいちごが、その可愛らしい果実を実らせている。
「うん、素晴らしいな」
なぜか俺は、いちごというものに心を惹かれてしまう。見ているだけでも幸せな気分になるし、口にしたときの甘さとジュルッとした食べごたえが、またたまらない。永遠に見つめていたいくらいだ。
「見てくれよ、これなんだけどさ」
そんな俺の気持ちをブチ壊すユウの声が、耳に乱暴に耳に飛び込んできた。渡されたのは、カタツムリのおもちゃ。あぁ、そういや発明品ができたとか言ってたな。頭のてっぺんの2本の目だかツノだかが大きく伸びており、ストローになっている。
「名付けて、カタケムリー君だ!」
説明は以上らしい。なるほど、機能についての説明は、俺が興味津々で「え~すごい!どんな機能なの?」と聞いてきてからしようという腹づもりか。ムダな会話のラリーを要求するつもりなら、容赦はしない。
「あ、待って待って、今話すから!握り潰さないでくれよ」
「おっといけない。思わず手に力入っていたようだ。あと1秒遅かったら、俺のラスティーネイルが食い込んでいたな。」
ユウは、危ない危ないなどと言いながら大げさに胸を撫で下ろす仕草をすると、ようやく説明に入った。
「これは、カタケムリー君から発せられる煙と、オナラのガスを混ぜ合わせることで、濃い霧を吐き出すことができる機械だよ。これを使えば、誰がオナラをしたのか犯人が一発で分かるのさ。オナラだけに、一発でね!」
「なるほど、いらんな。」
窓から投げ捨てようとする俺の手を、ユウが慌てて止める。
「いやいや、考えてみてくれよ!この世には、すかしっぺをして何食わぬ顔をしている極悪人どもが後を絶たない!この間なんか、エレベーターの中ですかしっぺをした誰かのせいで、なぜか俺が白い目で見られちゃってさ。そんな不条理がまかり通ってる世の中、誰かが変えなくちゃいけないだろ!?」
また始まったか。こいつはこの手の話を語り出すと止まらない。ユウは毎度毎度、もっともらしい理屈を並べては、極めて重要度の低い珍品を作ってみせる。頭がいいのか悪いのか分からない人間の典型だ。ある意味、人はそれを天才と呼ぶのかもしれないが。いや、コイツの場合違うか。
ユウの演説から逃れたいと思って辺りを見回すと、ちょうどタイミングよく占いを終えたらしいアンネがこちらを見ていることに気がついた。仲間になりたそうにこちらを見ているのかと思ったが、そうではない。視線は俺の背中のブーメランに注がれている。そういえば俺も忘れていた。俺は今、この上なく不自然な格好でここにいるのだった。
「ねぇ、それなんなの?」
少し怪訝そうな顔で問いかけてくるアンネ。まさか俺がクラゴンドエストの主人公よろしく、ここにいる部員たちに全体攻撃を仕掛けようとしているとでも思ったのだろうか?とりあえず誤解を解くため、俺はそれを机の上に置き、先程突然現れたじいちゃんから、突然ブーメランを渡された旨を40字以内で説明する。
「そういえば、ヨシタカのおじいちゃんさ、ブーメランじゃなくて別な呼び方してなかった?」
観客不在になって演説を中止せざるを得なくなったユウが、話に入ってきた。ん?ちょ待てよ?そういえば、そうだったな。
「あぁ、え~っと、なんだっけ?」
どうやら忘れてしまったような。昔から、どうでもいいと感じたことに対しては興味が薄いのだ。今回の場合、渡された物はともかく、名前に関してはテキトーに付けたものであることが聞いた瞬間すぐに分かったので、記憶に残ってはいなかった。
「確かね~、う~んと…」
探偵のように大げさに首を傾げ、腕を組む仕草をしながら、考え込むユウ。
「あ、そうだ、ロマンティックジャスティスだ!」
これまた大げさに、手をポンと叩きながらユウが言い放った。
「そうだっけ?」
俺はまだ思い出せずにいた。
「ロマンティックジャスティス?あはは、なんかムーンシャイン沼崎みた~い!」
週刊誌をめくりながらレモンが笑う。いつの間にか読んでいる雑誌が、ファッション誌から美容系のものに変わっている。
「ほんとだね~。それにしても、このブーメランが別名ロマンティックジャスティスとは、面白いこともあるもんだ」
ユウは心底感心した様子でうなずくが、しかし結局のところ、このブーメランの通称らしき名前が、そのロマンティックジャスティスだと分かったところで、そのロマンティックジャスティスをじいちゃんがなぜ俺に託したのかという謎については、何一つ解けていない。話題を仕掛けてきたはずのアンネも、すっかり興味を失い、占い道具を片付け始めている。じいちゃんは一体、俺に何が言いたかったんだろう?まぁそこは帰ってから直接聞けばいいだろう。はい、この話はこれでおしまい。
「ロマンティック…ジャスティス!!」
おしまいかと思いきや、話に入ってくるには明らかに遅いタイミングで声を挙げた者がいた。まだその話が続くのかとうんざりしかけた俺だったが、その声の主が分かると少しだけ驚いた。ゴンザエモンだった。俺が知る限り、本日の第一声だ。彼は別に完全なる無口キャラというわけではないのだが、ずっと黙っていたと思ったら急に大きい声を出すので、びっくりしてしまうことがある。一言発したと思ったら、ゴンザエモンは再び取り憑かれたようにパソコンのキーボードを叩く。
長門有希ばりにタイピング速度で何かを検索し、そしてある画面を表示したかと思うと、おもむろに俺たちの方へ振り返った。
「そのロマンティックジャスティス、ブーメランじゃなくて、そこに付いてる布のことだと思うぞ?」
俺はゴンザエモンが言う言葉の意味が一瞬分からなかったが、そうだ、確かにこのブーメランには、一枚の白い布が通してあるのだった。
俺はその布を外してみた。何の変哲もない三角形をした布で、三角形の辺の部分にそれぞれ穴が空いていて、物が通せるようになっている。一番長い辺の中央部分には、何の意図か分からないがピンク色のリボンが付いている。ブーメランを通すのにぴったりな形ではあるか、通したところで汚れや傷を防ぐような役割を果たすものにはならなそうだ。ということはやはり、これそのものに、何か別な意味があるということだろうか?じゃあこのブーメランは一体何?
ゴンザエモンはさらに続ける。
「以前考古学者たちのサイトで、ロマンティックジャスティスという名を見たことがあってな。何でも、かつて人類の発展に一役買った品らしい」
「人類の発展に?この布にそんな力があるとは思えないけど」
アンネが当然の疑問を口にする。
「さぁ、それ以上はどこのサイトにも載ってないからね。分からないよ」
そう言ってゴンザエモンは手をひらひらさせる。こいつが本気を出せば引き出してこられない情報はないと思うが、そのゴンザエモンにも分からないのなら、現状知るすべはないのだろう。人類の発展とは、どういう意味の発展なのか?かぶると頭が良くなるとか?いや、この布にそんな機能が備わっているとは思えない。仮に備わっているとすれば、かぶった瞬間この布の繊維が何かやばい形で脳内に刺激を与え、やばい人間になってしまうとか、とにかく大きなリスクがありそうだ。使い道という観点から考えてみるとどうだろう?ブーメランに通す以外にぱっと思いつくのは、バニーガールのカチューシャの耳の部分に申し訳程度にかぶせることだが、ブーメランのときと同様、具体的に役に立つものとは思えない。
アンネは何か考え込んでいる様子で、ロマンティックジャスティスをじっと見ている。もしかして、この布に感じるものがあるのだろうか。まさか、さっきの占いの結果がこれと結びついているとか?
「う~ん、そろそろ帰ろっかな~」
俺の思考を打ち消すようにして、レモンが突然呑気な声を上げた。まぁ考えたところで答えは出そうにない。
「ちゃんと服着て帰りなよ~?」
「あ、そっか、忘れてたや。えっへへ~」
ユウの言葉に、レモンは改めて自分の全身を見回すと、またわざとらしくペロッと舌を出しながら、壁際に掛けてある服を取りに行った。本当に貴重な陽キャである。
そのとき。不意にこっちを向いたレモンの尻と、俺が持っていたロマンティックジャスティスなる布とが一直線に重なる。もう一度布をよく見る。まさか、そんな…。理由は分からない。おそらく先天的な何かなのは間違いない。
そう、俺はシッテイル。コノ布ハアソコヲオオウモノナノダト。
ハカセナキャ…ハカセナキャ…。ソウ、俺ガヤラナキャ。
「ちょ、何?ヨシタカってば何してんの?」
レモンの言葉にハッと気がつく。
「あれ?俺は一体…」
気がつくとレモンの後ろに立ち、目の前の尻を撫で回していた。
「そんなとこ撫でられてると、服が着れないんですけど?」
ふくれっ面で抗議するレモン。
「あ、ごめんごめん」
俺は慌てて謝ると、手を引っ込めた。
「ふむ、分かればよろしい」
レモンは再び上機嫌に戻ると、いそいそと服を着始める。今のは何だったんだ?それにさっき触ったレモンの尻の感触。やはりロマンティックジャスティスは…。
「ヨシタカ、お前…」
何か言いたげにゴンザエモンが声を掛けてきたが、それきり口を閉ざしてしまう。俺も帰ろう。気になることもあるし、なんだか頭痛がする。お家へ帰ろう。シチューを食べよう。
「さ、みんな、今日はもう帰りましょう」
そんな俺の表情を察したのか、アンネが早く帰るように促してくれた。俺を気遣ってくれたのか、何かが起こりそうだからなのか、それは分からないが、その場はお開きとなり俺たちはそれぞれの帰路についた。