第1章 第1話
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“ロマンティックジャスティス”として厳重に保管されていた白い布。かつて“パンティ”と呼ばれたそれは、女性たちが下着として当たり前のように身に着けていたもので、男性たちの胸を高鳴らせ興奮状態にさせるものだったらしい。興奮した男性と女性は、お互いに、LOVE”と呼ばれる最大の幸福とも言える感情を抱き、そこから子孫繁栄に繋がっていたと、クロニクルには記されている。
しかし子孫の繁栄といえば、今や人工授精が当たり前。人工授精で生まれた子供は、生活力のある1人または複数の大人によって育てられる。一度育児を開始した大人は、その子が成人するまで責任を持って育てることが義務付けられており、成長した子供は大人となり、また子供を育て始める。確かに人類には、男性と女性という形の違う2種類が存在するが、だからといって特別な感情を抱くことなどない。
それが当たり前になっていた現代。“LOVE”の存在に気づきつつある一部の集団がいること、人々はまだ知らなかった。
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「はぁ~~~」
俺は大きなあくびをした。教室では英語教師が、英語と思しき言葉を熱のこもった放ちながら、チョークを叩きつけるように黒板に文字を書いている。この教師は、話していると自分の中でスイッチが入るのか、どんどん熱が入ってきて、口調にもアクションもどんどん暑苦しくなってくる。
スタローン似の男教師・サラマンダー52歳は、油ギッシュな見た目とヨレヨレスーツが特徴で、視界に入れるだけでテンションがダダ下がる。ネイティブっぽい発音を意識するあまり大量にツバが飛ぶのも悪しき特徴の一つで、最前列の生徒は傘をささなければ授業を受けられない。
一度、ツバが飛びすぎて、サラマンダーの口元に虹が掛かっているのを見たことがある。ガン!という音がしてチョークが折れる。これも日常茶飯事で、ざっと数えただけでも、一度の授業につき50本は消費している。そんなんだから、当然内容の方は頭に入ってこない。3分の1も伝わらないとは、まさにこのことだろう。音楽のセレナ先生のときは、テンション上がるのだがなぁ。特に音楽に興味があるわけではないが、あの整った顔立ちと透き通った声には、なんだか心地よいものを感じる。こないだ教科書を忘れて怒られてしまったが、なんかそれすれらも、そんなに嫌じゃなかったような。やっぱり見た目は大事ってことなのかねぇ。何はともあれ、早く終わってくれないかしらこの時間。できれば今すぐ!秒で終わってくれ。
「ちょっとヨシタカ。さっきから何言ってるのさ。」
隣の席のユウが、俺の顔を覗き込むようにして話し掛けてくる。
「あれ?俺、声に出してたか?」
「ううん、声には出てなかったけど、ヨシタカの脳波が凄まじい不満を訴えかけていたからさ。」
「勝手に人の脳波を測るな。」
ユウは学校で俺に話し掛けてくる、数少ない人物の一人。同じ部活に所属しているという繋がりもある。俺とユウは「未来創造部」という、若干パリピ臭のする恥ずかしい名前の部活に入っている。一応活動自体はそれぞれ真面目?にやっていて、その名の通りそれぞれの未来を創造するため、日々研究を続けている。俺はというと、やっているのは主にいちご栽培だ。育てている苗にいちごが成るのは、なんだかとても嬉しい。いちごとともに俺は成長し、未来への道を歩んでいる。ちなみに「主に」というのは、いちご栽培以外に、ユウの実験台につき合わされることが多いからだ。俺は真剣にいちごの観察をしているのだが、どうやら周りは俺がヒマだと勘違いしているらしい。
「ねぇ、今日も部活くるでしょ?」
ニヤニヤしながらユウが聞いてくる。
「もちろん行くぞ。…で、今度は何を作ったんだ?」
ユウがわざわざこうした愚問をぶつけてくるときは、大抵俺に見せたいものがあるときだ。よくぞ聞いてくれましたといった表情で、ユウは自慢げに言う。
「ふっふっふ、今度のはすごいぞ。世界を変えるかもしれない革命的な力なのだ!」
「ふーん、こないだの全自動鼻くそほじくり機のときも、確かそんなこと言ってたが?」
「こ、今度のはほんとにすごいんだって!」
「まぁ期待しておくよ。」
俺が乗り気じゃない態度を見せると、ユウは不満げな顔で俺を睨む。おだてるとどこまでも気に上るタイプのコイツには、これぐらいの塩対応がちょうどいい。
夕方、授業を終えると、俺たちはすぐさま教室を出て部室に向かう。ユウは早く自分の発明品を見せたくて仕方ないのか、俺を急かしてきた。しょうがないとため息をつき、俺も小走り気味に歩き出した。
そのときだったーーーー
突然目の前に飛び出す、一つの黒い影。一瞬、巨大な都こんぶが振ってきたのかと思った。だがよく見ると、それは黒いトレンチコートで、その下から見知った顔が覗いていた。
「じ、じいちゃん?」
それは祖父の義夫だった。突然のことで目を疑ったが、ウソだろ?と思うほどインチキ臭いそのヒゲは、じいちゃんに間違いない。全身汗だくで、今にも倒れそうなくらいに息を切らせている。コートの下のTシャツもダルダルでところどころ茶色く汚れており、半ズボンの裾からはしなびたキンタマが、ハローレボリューションしている。しかもそれに加えて、「水野晴郎事務所(トイレ用)」と書かれた不思議なスリッパまで履いている。流行にとらわれない驚くべきファッションスタイルだ。
そんな祖父に何も反応できずにいると、そんなことはお構いなしとばかりに、じいちゃんは背負っていたブーメランを下ろして俺に渡す。そこには、何やら三角形の白い布のようなものが通してある。それを俺の手に握らせると、じいちゃんは真に迫ったような表情を俺に近づけた。
「奴らに捕まる前に!こ、この“ロマンティックジャスティス”をお前に渡す!お前の力で、この世界に“LOVE”を取り戻してくれ!頼んだぞ!」
それだけ言うと、足早に去っていった。
「ねぇヨシタカ、何なの?それ」
ユウが不思議そうな顔で俺を見ている。
「いや、俺に聞かれても」
手元のブーメランを改めて見る。さっぱりわけが分からない。この布は何なんだ?パッと見はただの布切れにしか見えないが、なんとなく神秘的な香りを漂わせているような気もする。俺はとりあえず、クラゴンドエストの主人公のようにブーメランを背中に背負うと、再び部室へと向かった。
階段を上がって廊下を進むと、少し奥まったところに、「未来創造部」と書かれた看板が見えてくる。そのまま突き当りの部屋まで進み、ドアを開けると、既に集まっていたほかの部員たちの姿が目に入った。皆一様に、それぞれの“研究”に勤しんでいて特に会話はなく、活動の音だけがやたらと耳に入ってくる。様々な機械が可動しているため、常に寒いくらいの冷房が効いており、校舎のどの部屋よりも異質な空間だ。まぁ俺にとっては、いつもの光景だが。
中に入り、自分の席にカバンを置くと、そこでようやく俺たちの存在に気づいたようで、何人かが顔を上げた。
「あ、ヨシタカ、ユウ、こんにゃっほい!」
声を掛けてきたのはレモンだ。いろいろ混ざってるっぽい、自己流の挨拶を当たり前のように使っている。
こいつの挨拶は、ノリによって毎回変わる。毎回それに合わせても疲れるだけで、指定の口座にお金が振り込まれるわけでもないので、俺は毎回「おう」とだけ返している。というか、挨拶よりもまずツッコミたいところがあるのだが。
「っていうか何?その格好」
先にツッコミを入れたのはユウだった。栗色の長い髪をポニーテールに束ね、冷やし中華を食べながらファッション誌をめくっているレモン。ここまではまぁいいのだが、なぜか服を何も着ていないのだ。
「え~だって暑いんだも~ん。教室のレーボー壊れててさ~、もう汗びっしょり!だから今服を乾かし中なのであります!」
全裸仕様のレモンは、びしっと敬礼しながら言う。
「あはは、レモンは相変わらずだなぁ」
ユウの言う通り、確かにこの緊張感のなさは至って通常のレモンである。全裸の人間がファッション誌を見ているというパラドックスに全く触れないユウも、俺から見れば相変わらずなのだが。
彼女的にはファッション誌を見ることは研究で、実際そこからアレンジして様々な服を生み出している。それはなかなか秀逸で、そっちの界隈では珍しいデザインとして、それなりの評価を受けていると聞いたことがある。今のネイキッドな見た目からは想像もつかないが、実は将来デザイナーとして一花咲かせる逸材なのかもしれない。
「未来創造部」とは何でもアリの部活なのだ。それぞれ自分の思惑を胸に、何かを作っていればそれで良し。そもそも部長も顧問もいないから、採用基準もクソもないのだが。
そしてある意味何でもアリの象徴なのが、もう1人の女子部員のアンネ。呪術を得意としていて、この世界で“何をすればどうなるか?”という法則について研究をしている。時折心霊系のテレビ番組などに出てくる、座ると死ぬ椅子や見ると死ぬ映画のような、いわばオカルト的な部類にあたる。そういう言い方をするとアンネに怒られてしまうが、「この世に死の法則があるのなら、ほかの運命に導く法則も必ずあるはずだ」というのが彼女の言い分だ。
大げさに言ってしまえば、法則に従って行動することで、自分の人生を全て思い通りに運ぶことができるらしい。壮大過ぎる理想ではあるが、確かにそう考えると夢がある。アンネは日々研究に余念がない。例えば今も、テーブルの上になにやらアイテムを並べているが、よくよく見てみると、亀の子だわしに瀬戸内弱小のCD、キンタマの肖像画にふわとろオムレツと、これまた奇妙な組み合わせだ。この行動を起こすことで、どんな運命に結びつくのだろうか?俺には見当もつかない。こんな組み合わせで物を並べた人間は未だかつていなかっただろうから、何が起こっても不思議じゃないのかもしれない。俺の視線に気づいたのか、アンネが顔を上げた。
「あぁ、これ?」
俺が頷くと、アンネは今の状況を説明してくれた。
「今から私がケチャップを掛けて、オムレツを食べるんだけど。そうすると、私たちの運命が大きく変わるみたいなのよ。」
そう言うとアンネは、おもむろにケチャップを手に取り、キンタマの肖像画の上にぶちまけた。
「そっちに掛けるのかよ!」
俺は反射的にツッコミを入れた。肖像画の中では、キンタマが血まみれのような様相になっており、ネオグロテスクを醸し出している。アンネは何か問題でも?と言わんばかりの表情で、何も掛かっていないふわとろオムレツを一口食べた。
あ、しまった…。俺はツッコミの順番を間違えたことに気がついた。アンネの言うことが正しいならば、これで俺たちの運命が変わってしまうとのことだが、そういうことは許可なくやってくれるなと言っておくべきだったか。しかし、キンタマの肖像画がケチャップまみれになった結果、大きく未来が変わってしまうって、人の人生ってそんな程度のものだったのだろうか。いや、きっとそんなものなのだろう、人の人生などのいうものは。…まぁいいけどね。平穏で退屈な毎日に活を入れてくれるのなら。刺激を求めてこの部活に入ったようなものだしな。せいぜい俺に、程よい刺激を与えてくれるような結果を頼みたいところだ。
一方のゴンザエモンは、俺たちの一連のやり取りに見向きもせず、機械に囲まれた一角で黙々と作業に没頭している。両手で複数のパソコンを同時に動かしているその姿は、まるで幾つものシンセサイザーを使いこなすTKのようだ。ゴンザエモンのコンピューター技術は、部活内だけでなく一般的に見てもかなりすごいらしい。企業が専門の部署を組んで立ち上げているようなシステムを、たった1人で作り上げている。その権利を買い取ろうと、各企業の担当者が、莫大な金額が記された書類を持って学校に詰めかけたこともあるくらいだ。当の本人は、金が目的というわけではないみたいで、結局断ってたけど。高身長でルックスも良く目標に向かって走り続ける男ということで、無口なクセしてやたらと人徳がある。噂ではファンクラブまであるとかないとか。まぁ今は忙しそうなのでとりあえず放っておこう。