序章
そこから見る景色は、まさに絶景。パノラマ世界だった。まだ完全に日が落ちていない空からは、雲越しにオレンジ色の光が差し込んでいて、とてもこの世とは思えない、天界か魔界のような幻想的な世界を作り出している。現実世界にいながらRPGのラストダンジョンにいるかのような、ファンタジックなドキドキ感を感じさせる光景がそこにある。それとは裏腹に、緊張感を感じさせる影が1つ、動く。
「なるほど、ここじゃな・・・」
やや離れた場所にある高台の上から、大きな双眼鏡で数十メートル先の建物を覗きながら、老人・副島義夫は、インチキ臭いヒゲを風になびかせほくそ笑む。目線の先にあるのは、西洋の国にある古城のような巨大施設。あの中には、義夫の探し求めていた“古代の宝物”が眠っている。崖の一角をくり抜かれたような盆地に立てられた施設の中から、それを強奪してくるのが、今回義夫が自らに課した使命だった。
年甲斐もなく気持ちが昂ぶる。最近深刻になってきている尿漏れが、激化しそうな予感すらある。鼓動が高鳴っている。離れた高台にいるにも関わらず、辺り一帯に聞こえてしまいそうなほど、心臓が愛撫されているのを感じる。
「落ち着け・・・」
自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、義夫は水筒の水を一口飲んだ。一息つくと、義夫はロープを使い、高台をゆっくりと降りていく。
今回、宝物を盗み出すにあたって、これといった対策は何も立てていない。というより、中の者に見つからず例のものを盗み出す方法は、調べた限り見つからなかったのだ。建物内に死角はなく、あらゆる角度から監視カメラが狙っている。最新且つ厳重なセキュリティ。扉の認証システムも幾重にもパスワードが組まれていて、コンピューターでの外からの侵入も不可能。おまけにガーディアンロボットも搭載されており、怪しい者の行く手を阻むという徹底っぷりだ。その結果導き出された答えは、強行突破以外になかった。義夫が手に入れようとしている宝物は、それほどに貴重であり、奴らにとって、外部に決して知られたくないものであるということだ。
施設の見取り図は、NAVERまとめで調べて手に入れてあった。目的の部屋までのルートは、バッチリ頭に入っている。建物の東側に降り立った義夫は、壁沿いに裏口の方へ進むと、ひょっこりはんの如く物陰から顔を覗かせ様子を窺う。
「2人か。意外に少ないな。」
黒い制服を着た2人が、両手をポケットに突っ込んで暇そうに駄弁っている。ここまでは、予想通りの展開だ。見張りが交代する時間帯を見計らって、乗り込んできた甲斐があった。あと数分で仕事を終えるタイミング。誰もが一番油断する瞬間だ。
「好都合だ。」
義夫は、水筒の水を一気に飲み干し、乗り込む体勢を整える。
「ゲェ~ッ」
その瞬間。義夫を強烈なゲップが襲った。先程飲んだ水は、なんと炭酸水だったのだ。なぜさっき一口飲んだ時点で気づかなかったのか?自らの失態を嘆いた義夫だがもう遅い。油断していたのは相手だと思っていたが、まさか自分の方だったとは。
「誰だ!」
ゲップの音に反応して、見張り2人が一斉に身構えた。先程の気だるい雰囲気が嘘のような動き。やはりそれなりに訓練を積んだ、プロのボディーガードのようだ。一気に表情の変わった2人が懐へ手を入れる。手にしたのは、ドラマでもよく見るあの拳銃だった。「まさか…いきなり撃つつもりか!」
考えている余裕はなかった。義夫は反射的にズボンに手を掛けていた。2人が銃を構えて狙いをつける。同時に、義夫が下半身を露出させる。どちらが先にタマを出すかの攻防戦。両者がそれぞれの“引き金”に手を掛ける。
勝利したのは――義夫だった。義夫は空中に幾つもの残像を残しながら、流れるような動きで半回転する。一秒にも満たない時間のあと、2人に尻を向ける。その刹那、時空が歪み、この世の因果がコナゴナに破壊された。そう、義夫が思いっきり屁をぶっ放したのだ。菊門がぶっ壊れる程の勢いで放たれたそれは、またたく間に黄金の霧となってフィールド一体に広がる。
意表を突いた防御無視に、見張りの2人は一瞬何が起こったか分からないといった反応を見せた。そしてその顔が、一気に苦悶の表情へと変わる。義夫の菊門には、拡張期のようなものが刺さっている。1日の放屁回数が常人より数十倍多い義夫が、自分のチャームポイントを活かして作った専用武器。名前はまだないが、義夫の屁に含まれるメタンガスとニオイ成分を爆発的に増大させ、強烈な悪臭と屈辱感で敵を殲滅する力を持つ。このニオイに包まれた空間で自在に動けるのは、普段からこのニオイを嗅ぎまくっている影響で嗅覚がブチ壊れている義夫ただ一人だ。
瞬く間に意識をもぎ取られ倒れていく、死霊のような激臭に見舞われた見張りたち。粘膜をやられたその顔は、目や鼻、口などあらゆる箇所から液がこぼれ出ていて、生前見られた気品など微塵も感じない。(いや、まだかろうじて死んではいないが)
義夫は見張りの懐から、すばやくIDを抜き取ると、入り口の認証システムに当てる。ほげーという音がして門が開く。今のは開閉音だろうか?スマホなどにも、一体誰が設定すんねんといった違和感たっぷりな着信音が内蔵されていたりするが、そういった類のライブラリが、この扉にもあるのだろうか?そういうのものを敢えて選ぶことで、自分は人とは違うぜアピールをしたい輩の仕業か?いや、今はこの際どうでもいい。義夫は再度屁をこくと、開いた門から、放屁のジェット噴射に押されるように中へ潜入した。
「一体何が起こったんだ!」
「なんだ、このニオイは…くさっ!」
続けざまに屁を乱発しながら進む義夫に、施設内の人間たちはモーゼの十戒のように道を開ける。本当は一秒間に16発屁をこくことも可能だが、菊門に仕込むバネを忘れてきてしまったため、今はそれはできない。だがそれでも十分過ぎるほど勢いだ。
義夫はどんどん奥へと進む。どうやら施設の人間たちは、まだこの事態を異臭騒ぎとしか認識していない様子。侵入者が入ったことに関しては、まだ正確には認識できていないようだ。義夫は階段を一気に駆け抜け上がる。まずやるべきことは、セキュリティシステムの解除。建物のちょうど中心にある広間にやってくると、義夫は、先程使っていた双眼鏡に手を掛けた。
「よし、今のうちにこれを使って」
ドアの前で双眼鏡を首から外すと、ストラップを一気に引きちぎり、双眼鏡を宝物庫の方へ向けた。瞬間、双眼鏡のもう一つの機能が発動する。
ヒィィイイイイン!
「狂い咲く音の波」
音という防ぎようのない力を一点に集中して当てるによって増大させ、その力であらゆる機器を狂わせ自由自在に操る。義夫は、悪臭とか騒音とか、そういった嫌がらせ系の攻撃が大好物な超陰険オヤジだった。
カチャン。ウィーーーン。
狂ったコンピューターは、侵入者を簡単に受け入れてくれる。
「機械は説得が楽でいいな」
どこかで聞いたようなセリフを口走りながら、義夫は開いたドアからどんどん奥へと進んでいく。
プスン、プスン。
「おっと、さすがにガスが切れてきたか」
ガスケツ、いや、ガス欠である。あと数分で屁のニオイも沈静化し、この悪臭騒ぎも収まってしまう。そうなれば身体とプライドをズタズタにされた研究員たちが、死に物狂いで侵入者の排除に乗り出すだろう。そうなる前に仕事を済ませ、ここから抜け出さなくては。
「この先だ!」
義夫は、宝物庫へ続く階段を駆け上がる。すると通路の奥から、何やら嫌な予感を掻き立てる機械的な声が聞こえてきた。
「シンニュウシャハッケン。タダチニハイジョスル。」
ガーディアンだった。明らかに頑丈そうな金属で出来た物体。それが2体もいる。狂い咲く音の波を受けながらも何の影響もなく活動しているところを見ると、バリアのようなシステムも組み込まれているらしい。当然屁も効かなければ、義夫の得意とする物理攻撃である、こちょこちょと膝カックンも効かない。
「ハイジョ、ハイジョ」
ガーディアンは義夫を発見するや否や、突然レーザービームを放ってきた。
突然の攻撃をキンタマに受け、のたうち回る義夫。しかも2体のガーディアンが放った虹色のレーザービームが、両方のタマに同時にヒットしていた。
「オゥッ!マンマミーア!」
It's痛恨の一撃。義夫は飛び上がり悶絶した。シュワリと突き刺さるとんでもないレーザービームだ。急所を瞬時かつ的確に突く動き、まさに人の心を持たざる者だからできる攻撃方法。義夫のふぐりがひんやりした外気に当てられて固くいなかったら、今頃義夫の男としての機能は、穏やかに終わりを告げていただろう。
次にもう一度食らったら生死に関わる…いや、精子に関わる。義夫はのたうち回ってレーザーを躱しながら、この状況を打破する策を考える。
「…!そうじゃ!」
こんなとき役立つのは、不思議と昔プレイしたスーパーファミコンの知識だった。そう、思い出すんだ…あの珍天堂の人気ゲームソフト『星のカビ』にハマっていたあの日を!
義夫はガーディアンAの肩に素早く駆け上ると、顔部分の動力らしき箇所を前に身を隠す。
「ハイジョ、ハイジョ」
その瞬間、もう1体のガーディアンBのレーザーが鮮やかに発射。そして、義夫が乗っているガーディアンAの動力部分に直撃した。
ちゅどーん!!!
リア充かのように爆発しながら、義夫が乗っていたガーディアンが前のめりに倒れ込む。そして、もう1体のガーディアンBを押し潰すようにして崩れ、再度爆発。2体とも完全に、その機能を停止させた。
「やった…」
このご時世のセキュリティシステムが、まさかスーファミ世代の知識で突破できるとは。思いついて実行までしておいてなんだが、義夫も正直夢にも思っていなかった。
ひとまず攻略できてしまったので、ありがたく宝物庫の中へ入らせてもらうことに。早速、目的のものを探す。隠してあるかと思いきや、意外にも一番目立つ中央のショーケースに飾ってあった。しかも鍵などは掛けられていない。先程の狂い咲く音の波で一緒にドアと一緒に解錠されたのか、それともセキュリティを信頼しすぎてたかをくくったのか。どちらにせよ、いろいろと手間が省けて好都合だ。義夫はすぐさまそれを手にした。
「これが、私が探し求めていた“ロマンティックジャスティス”か!」
それは綿で出来た、三角形をした布だった。二等辺三角形で、各辺の部分にはそれぞれ穴が空いており、一番長い辺のちょうど真ん中には、何に使うのかよく分からないキュートなリボンが付いている。実は義夫も、この宝物に関しての詳しいことは分かっていない。ただ過去の文献を見る限り、かつてこの世界で存在していた、人類にとって極めて重要なアイテムの1つであることは間違いない。
「これは一体…」
引っ張ったりニオイを嗅いだりしてみるが、やはりただの布にしか見えない。そのとき、複数の人間の足音が聞こえてきた。
「おっと、こんなところでのんびりしている場合ではないな」
義夫は背負っていたブーメランにそれを通すと、懐からペンキを取り出し、宝物が汚れないよう細心の注意を払いながら、壁と同じ模様を全身に塗りたくる。そして、壁と一体化する。
「こっちだ!」
研究員は、義夫に気づかず通り過ぎていく。
「ふふ、バカなやつらよ。わしがここにいるとも気づかずに」
義夫は優越感にひたりながら、だるまさんがころんだの要領で徐々に入り口の方へ移動し、外へ出た。
「これで、人類の未来が変わる!」
期待を不安が入り交じった複雑な感情を胸に、義夫は施設をあとにした。