第三話 変差
彼の名前は神旗理央——————偽名である。
彼の名前は若鷹相馬——————偽名である。
彼の名前は松葉辰巳——————偽名である。
彼に本当の名前はない。
あるのは殺し屋の技術とP105の特殊拳銃だけ。
いや、今言うならば居場所はあるだろう。
警察庁『暗殺科』所属。
一度仕事でヘマを起こして捕まり。その後、後見人となる人物に諭されてから。当時付けられた『エルマ』と言う名を使って生きている。
「·····················」
「どうしたの?」
彼が懐から出した拳銃のグリップ辺りで壁を叩く。
確かにここの道の狭さはサーチに向いているとは思うが、細かい路地となると難しいハズ。
「いや······やけにここあたりの建物が空洞だなぁ、と」
「はあ!?この道に繋がっているのはチェーン店やら老舗があるから普通ゴッ······って!コンクリートなんだから空洞なんてわかるわけないじゃない!!」
「フューチャリングだよフューチャリング。······ここの街の住民に聞いたが10年前とある大工事がここら一帯で行われていたらしい」
「10年前なんてどうでもいいのよ。——————今はあの二人を殺すだけ。マップ見せて」
彼女が手をくいっ、と動かして催促する。彼はポケットに入れていた紙のマップを取り出す。
あみだくじ状に広がっているこの地図。裏から逃げられ、暫くたった今では追うことも出来ないかもしれないが——————。
「この道には地下道への入口はあるけど入らないわね。ここの地下道は急なハズだから、男の子の方は知らなくても女の方は知っているハズ。私達にとって一番マズい事は?」
「人に見られること」
「——————そう。ならあの二人は人の多いこの大通りを進むハズ。より全力疾走でね。しかし、心配性ならより人の多い根元の方で曲がるハズだから······ここね」
彼女が指差したのは大通りに繋ぐ大広場。ちょっとした公園もある道だ。
「先回りは——————出来そうだな。よし、散」
彼は先回りのルートを見つけ出し、出発の命を出した。
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「まだ······走るんですか!?お姉さん!!」
過呼吸寸前の突然の疾走で悲鳴をあげる体を無理に走らせて前を走るお姉さんに問いかけた。
「取り敢えず大通りの近く!でも近すぎてもだめ!」
「なぜです!?」
お姉さんは先程のようなひょうひょうとした態度ではなく、いかにも真剣。命がけの姿だ。
それは分かる。僕も心臓を素手で撫でられた感触。頬を伝う冷たい汗よりも凍えそうな心がバクバクと激しく鼓動を続けている。
「一番近い所を選ぶと先回りされる!そうすれば死ぬぞ!!」
「死ぬって······穏やかじゃないですね——————!!」
「穏やかじゃないだろ!!既に私達は撃たれているんだ!!」
互いに怒りをぶつけ合いながら走り続けているとやがてワイワイガヤガヤと群衆の楽しそうな声が聴こえる。
「見える出口から二番目の道を抜けるよ!!」
「は——————!?」
プシュッ······!と炭酸飲料のペットボトルが開けられるような音が微かに鳴って、お姉さんが崩れ落ちた。
「ぐっ······ガハッ!!」
「お姉さん!!」
お姉さんは撃たれたであろう胸辺りを押さえて蹲る。
「逃げ······るんだ······。このみくん······。私はもう、置いていけ······」
「だめですよ!今から病院に連れてかないと!!」
「何を言っているんだ······君は。私は、もう、無理だ。喋る事が······限界だよ······」
「嫌です!このまま死なせるなんて!!」
「私と君は違う」
僕の叫びをお姉さんは否定した。
「私と君は【デスループ】がある······。元凶が潰されない限りはずっと生かされ続けるだろう。死に続け······生き続け······そうした因果関係はずっと繋がっていく」
DNAの螺旋構造の如く。ロミオとジュリエットの仲のように繋がったり切れたりするものだとお姉さんは言う。
「······そうだな。次君と出会う時は······もっと別の場所がいいな······」
まぶたが徐々に閉じていき、お姉さん——————君方未来さんは力尽きた。
たとえその名が偽名だとしても——————。
「クソッ!クソックソッ!!!」
ピクリとも動かないお姉さんの亡骸の前で、拳を地面に叩きつけて己の弱さに怒りで震えた。
敵は心臓を狙える程の距離にいるかその技術を持っている······。下手に立ち止まったり慌てた方が危険だ!
僕が殺し屋ならどうする!前か!後ろか!!
逃げる道が一つしかない前——————人通りの多い広場ではなく、多数ある後ろ——————あみだくじ状の道を選んだほうが得。
つまり敵が待っているのは後ろ——————!!
僕は手元にあったゴミを拾って走る。
アレの貫通力は弱い方だ。あのお姉さんの傷が前にしかなかったから——————!
前に······!前に······。前に······?
あれっ······。何で前にしか傷がなかった······?
「悪いが······上なんだな」
プシュッ······キンッ!
それに気づいた数秒後。答え合わせをするかの様に銃弾がくるくると廻って落ちていき、その尻を弾くようにもう一発の銃弾が——————。
「ぐっ!!」
眼前が真っ赤に染まり、胸に鋭い痛みが走る。
「残念だ少年。君はとても運が悪かったな」
パルクールの応用版。俗に言う『壁キック』。その逆バージョンの降りるずり下りをして降りてきた。
白の短い髪が風でたなびく。
黒のロングコートを身につけているので、フードこそ被っていないものの、その姿は死神のようだった。
「ぜーぜーぜーー!!······あんたが、お姉さんを——————!!」
「お姉さん······?あぁこの女の事か······」
「触るな!!」
地面に横たわるお姉さんに男が触ろうとした事が許せなかった。
元凶が、元根が、やっていい事じゃない。
「その人に······触るな······!!」
膝が笑うと言うか、膝が震えて動けなくなる。
この死神が銃を持っているのも、心臓に的確に当てられた銃弾が断続的に血の放出を促している。
「手元にあったダンボールを使って最低限コイツの威力を止めようと考えたのはあっぱれだが······。マシに止められた分銃弾が心臓を撫でているハズだ」
「——————長々と話さないでサッサと殺したら?」
声がし、暗闇から出てきたのは薄いタイツ姿の女性。
一見泥棒に見える漫画で言う『キャッツアイ』の正装のような衣装を身に着けた女性は何ら変わりなく『殺し』の言葉を放った。
「······そうだな。少年、君の運が悪かった分最後に一言援助をしておこう。——————君への暗殺依頼は······【上】からもらった」
「——————え?」
死神が、意味不可思議な言葉を言った後に、僕の意識は再び途絶えた。
——————例えるならば僕は、さながち死神に嫌われた人間なのだろう。
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【世界は崩壊されました】
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「おにいちゃああああああ!!」
始まりと同じ妹のモーニングコールで三度目覚める。
3周目のリスタート。
あの時と変わらない——————、
「痛っ!」
額辺りに鋭い痛み、一回目も二回目もこのような事はなかったのに······。
「えっ!······あっごめん強くしすぎた!?」
どうやら彼女は抱きしめ過ぎたと思ったらしく慌てて僕の体から離した。別に抱きしめが痛かったのではないが······。
「ッ——————お兄ちゃん!!」
「ん······?」
あれっ、何か温かいものが流れているような——————。
「ん!あっえっ、血ィ!?」
僕が額を拭うと手の甲に付いていたのは赤い血だった。
「いっ!委員長さぁあああああんんんん!!」
「ちょっ!!」
委員長じゃなくてお医者さんだろ!?(別にそれはどうでもいい)
兄の血を見て錯乱した我が妹がコールボタンを連打。この使い方は正しい使い方なのだが、始めて見る光景にちょっと戸惑いを感じる。
「何でそのボタンと言うかスイッチを押してるんだ?」
「フエッ!?······お兄ちゃん。頭大丈夫?」
露骨に頭を心配された!!
まァ言えばそうだけど!!頭から血を流す兄がナースコールについて質問するなんて事は心配にあたいする物だろう。僕だったらそうした。
「頭は······大丈夫。傷はなかった。零れてきたんじゃないか?」
「零れるような物はないよ」
「······ほら、イタズラとか」
「イタズラとか私がさせるわけないじゃん」
「——————あの······見舞いの果物とか?」
「お兄ちゃんのクラスメイトから果物は送られてきたけどりんごもみかんも剥いてないし、剥いていたとしても赤いわけないじゃん」
「魔法でチョチョイと······」
「ホントに頭大丈夫?」
ヤバい僕の立場と正気度が危うくなる。
「失礼するよ——————おや、目覚めたんだね」
二つノックされて入って来たのは医院長先生だった。
「ええ、目覚めましたよ」
僕は出来るだけ淡泊に話して、立場を出来るだけ上へと自分を置いた。
「君に話したいことがあってね——————」
「——————答えはNOですよ」
話の内容を知らない。いや、現実的に言えば俺だけが知っているであろう今後の話題。ポックリと、アッサリと死んで目の前が見えていたあの時と答えは違う。
こうして、徐々にだが未来へのルートを変えていくのだ。
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考えた事なのだが——————。
この世界と少し前の世界は違うのではないのか?
始めてお姉さんと会った時も、二回目お姉さんと会った時は別の印象を感じたからだ。
全てを見通しいた、神様のような全能感が始めて。二回目はどちらかと言うと片っ端から情報を求める収集家のようだった。性根はどちらも変わらないけど。
妹の桜だってそうだった。
ナースコールのスイッチを押さずに行ったのは二回。今回は錯乱しながらもスイッチを連打していたのだ。
ほんのちょっと辻褄と言うか僕の行動がちょっと違うと、相手の反応も違う。やったことはないが恋愛ゲームと似ているだろう。無数の選択肢から更に多くの相手の行動を読み取らなくてはならない。
しかもこれは現実。
コンピューターに保存された人の願望がより優られたものではなく、一人ひとり個性を持った存在。泣いたり笑ったり怒ったりするのは人それぞれだ。
更に今回のループでは僕の額から血が流れて、その上で額に傷がついていなかった事から——————一つ前の外的感触から今の自分に戻ってきたと言うものか。
あの男に額を撃たれて血が流れた。その流れた血がこちらに移行されたようなものだ。
「大丈夫だ······落ち着け。記憶は残っている。ポジティブに考えろ。そうすれば全員笑顔のハッピーエンドだってあるんだ」
自分を言い聞かせる。
恐怖で震える自分を鼓舞する。
今じゃ桜がりんごを切る時の果物ナイフですら青くなってしまう事もあった。
先生は精神的病だと言っていたが、原因自体は分かっている。
人の死体は見たことがなかった。
母の亡くなったときはここまで酷くなかった。悲しいだけ。怖くなかった。
綺麗に整えられていた母の顔と違って、撃たれて歪んで目を閉じたお姉さんは著しく違った。
人の死を無理矢理分からされた。
自分もそうなってしまったのではないかと思ってしまう。
「ん······あれ?」
先生に頼んで気分を晴らす為に散歩をさせて貰った。
そのルートは適当。取り敢えず少し広い道を通ってみようと思った。
「何してるんですか?」
相手は警察官だった。
制服を着て望遠鏡を目に当てて学校の校庭を見る姿は変態そのものだったが。
「——————君も同類か」
「は?」
納得したように頷いた警察官は望遠鏡を僕に渡す。
「君も女子高生に興奮する性癖なのだろう?」
「ちげぇよ!!」