第ニ話 疑問
「························」
前回と同様にナースコールの存在を忘れ、桜はお医者さんを呼びに行った。
僕は寝転んだ訳ではなく、座ったまま服を脱いでいた。
······待ってくれ。このシチュエーションに興奮した訳じゃない。
ただ、怪我一つ本当に無いか確認しているのだ。
昨日なら怪我の判定はされている筈なのに、体育の授業で負った脇腹のかすり傷が無くなっている。
これは桜も知らない筈だから無傷と言っても仕方のない話だろう。
もしも桜と料理をしている最中に包丁で指を切って、その傷が無くなっているならば桜も疑問に思うだろう。
だって僕は漫画や小説で出てくるような回復キャラでも、魔法使いでもないのだから。
かすり傷であっても、血は流れてそれなりの怪我だった筈なのだが、それはきれいさっぱり無くなって周りと変わりない肌色が見えている。
なんだったら僕の体の痣なども全て消え去っている。
鏡でみると一生消える事はないと言われた頭のタンコブも、その際に出来た10円ハゲすらも消えて変わらないふさふさの髪になっている。
つまり、昨日も二週間後も無くなっているのか······?
それとも、新しい僕が生まれ変わっているのか?
僕はざわる胸の中、トントンとノックをされたドアの方を向いて「どうぞ」と言う。
「やあ、新崎くん。調子はどうだい」
年相応なシワと白髪と髭を蓄えた男性がこの部屋に入ってきた。
「調子は良くないですよ。なんせ貴方の病院の車にやられましたからね」
皮肉を込めて僕は言うと、男性はポリポリと頭を掻いた。
「それは痛い所をつかれるなぁ······。まあ君には裁判を持ちかけられたら、完敗しそうだ。それよりもこの病院はその前に終わりそうだ」
「なんですかね。それは」
「ここから先は大人の事情と言う訳だから他言無用だ。もちろん君にもね」
口の前に人差し指を立てて、静かに、と言う意図を感じる体勢をとる。
この男性の名前は脇田修一。
この病院の医院長と言う立場にいる彼が何故ここにいるのかと言うと、多分だが裁判までは持ち込まないでくれと言う意図が入っているだろう。
所詮自分の保身の為だろう。
ただ、僕がここで裁判をかける前に病院が終わると言うのはどういう事なのだろう。
「ところでだ、新崎くん。服は着ないのかい?」
「あっ」
そういや半裸でした······。
@@@@@
あの時貰った電話番号が書かれた紙がここまで巻き戻った訳でもなく、僕自身病室に戻ってから見ようと思っていたので覚えることなど論外だ。
「············よし、ポジティブにいこう」
頬を数回叩き気合いを入れる。
よし、充電完了。取り敢えずやってみようか。
@@@@@
時間自体は変わりなく、前回と同じように一日だけの仮退院を通して外に出ている。
とは言っても前回とは違うのは一つ。
『人を探している』ことだ。
本を買いに出かけている訳じゃない。人に真相を聞きに行こうとしているのだ。
病室を出て、病院を出て、大通りも、交差点も、抜けていく。
そしてそこには——————
「お兄さん——————」
「君方さん。少し話を伺っても?」
僕に話しかける前に、僕が話しかけてきた事に、一瞬彼女は——————お姉さんは呆気にとられたが、「これはデートの誘いかな?」と、年上らしき余裕を見せて応じてくれた。
@@@@@
「ここのドリンクはとても映えるそうだ。とは言っても雑な私じゃ意味のない様だがね」
お姉さんは、近くにあった喫茶店と言うような建物に連れていき『トロピカルフラワードリンク(パイナップル増しまし)』を注文し、あまり興味のない話題を延々と続ける。
「少年。君ちょっと童顔だからさ、これ持ってニコッて笑ってよ。そっちの方が合ってると思うからさ」
「君方さん?」
「ほらほらはいチーズだぜ。君の笑顔を全国に広げよう!!」
「君方未来さん!!」
当たり障りのない——————と言うよりも、どこかのらりくらりと話題から遠ざけようとしていた彼女にイライラが溜まっていた。
すると彼女はくすっ、と笑って。
「ようやく私の名前を呼んでくれたね」
「え············」
今度はこちらが呆気にとられる番だった。
お姉さんはカラカラとストローを動かしながら言う、
「『君方』と言う苗字は手に数える程しか無いが、手に数える程の人数はいる。その中で君は真っ先に『君方さん』と言ったのだろう?でも下の名前は呼んでいない。もしかしたらと思って付いてきたが——————むしろ連れてきたが、これは杞憂に過ぎなかったね」
「······じゃあ、もしも僕があなたの名前を分からなかったら······?」
「その時は手を振ってバイバイだね。でも君は覚えていたじゃないか。それだけでいいのさ。『佐藤弘』さんのように、とりあえず言ったら合ってそうな名前を言うんじゃなくて。一発で正しく当ててみせた。それで納得がつく」
一つ深呼吸をつく。
「『信頼は正しい情報からではなく、自ら与えた間違った情報から生まれる』——————当たり前だろう?この世の中正しい情報なんていくらでも手に入れられる。でも個人から騙された情報じゃ差異が生まれないだろう」
そうか。つまり、『君方未来』と言う名前がパスワードと言う訳だ。とどのつまり彼女本名ではないと言う事だ。
そしてその上で囮として僕にでまかせを言ったのか。
「さて、まずは君の信用は出来たところだし。次は信頼をさせてもらおうか!」
パン!と両手を叩き大声で言う。
ちょっと迷惑ではないか、と周りをきょろきょろ見渡すが、この店にはひと一人いない。店員すらも。
「安心しなよ。ここは完全AI化を目指した特別カフェだ。聞いたことあるだろう?」
そういえば最近のニュースで接客業でAIを使ったのならどうなるかと言う実験が行われているとは言っていたが、まさかこことは。
「厳密に言うならば全国に7つくらいあるらしいから、特別というかは分からないがね」
ん、と言ったお姉さんから受け取ったジュースを口に含む。うわ甘っ!?
すっきりとはいわないが、渇きが無くなった口で言葉を発する。
「じゃあ······信頼とは?」
一間。
「君の持っている情報をくれよ」
「え?······」
何を言っているんだこの人は。情報?何それ?
「例えば······どういう物なんですか?情報って······」
流石にこちらも下手にしか出れないので畏まって聞いてみた。
すると、お姉さんは掌を上に向けて机に乗せる。
フォン、と何やら電子的な音を立てて表示されたのは、何やら地球儀のような物だった。
「君の『死因』さ。それを聞くことでこれからの生存率が上がる」
生存率······?僕の死因を聞いて一体何の役割を持つと言うんだ······?
············あっ。そっか。
頭を一瞬悩ませたが、僕が思いつき、そして見たのは時計だった。
喫茶店特有の振り子時計やカフェのちょっとおしゃれな時計ではなく、近代的な現在時刻を立体化させている目の疲れそうな時計。
3時39分。
小さな子供ならお菓子を食べ終わり、うたた寝を付き始めるその時刻はちょうどと言うほどの良い時間だった。
2時間前なのだ、あの時最後に時計を見たのは。
もちろんラグが仕事をすると思うし、スマホや時計を見ながら歩いてはいなかったので正しいとは言えないが——————。
「これから······」
「ん?」
「これから約2時間後に僕は看板に潰されました——————ヒッ!」
か弱い悲鳴を上げたのは、お姉さんが目を見開いて僕を睨んでいたからだ。
「その話······詳しく!!」
閑話。
お姉さんはスラスラと紙にペンを走らせる。
すると、まるで魔法のようにふわりと文字が浮かび上がり、小体地球儀の絞られた画面に導かれるように進み浸透していく。
「【神野町】の【交通道路2-2-3】の【株式会社リバティダイス】の看板か······」
「あの······これっ、なにが起きているんですか?」
僕は恐る恐る超常現象と言うべきそれを指差して問う。
お姉さんはニッコリと笑って、
「この紙はね。『電子的構造改革紙』と言うややこしい名前を持っている『小体地球儀』のセットの······いわゆる副産物だ」
そう言ってお姉さんはもう一度地球儀を絞る。
球体から楕円形に変わり、平面に変わる——————すると、赤紫色のピンが立つ。
「ここが君の死んだところだ······。こんな小さな所で死んでいる。それで戻ってきている。······だが不自然だ。ここは先日確認した所なのに」
「それは······この前の雨が原因じゃないでしょうか?」
「何を言ってんだよ少年。縦1メートル80センチ、横2メートル30センチの看板がそんな雨で倒れる訳がないじゃないか」
「でも古くなってたら······!!」
「ここの【株式会社リバティダイス】は設立してまだ半年も経っていない。おまけに言ったとおり先日見に行ったんだ。死なない可能性を増やす為にね」
「······なるほど············」
お姉さんの言っているのは至極まともだ。
生きる為に100パーセントじゃ足りないから120パーセント以上の準備をするように、不安だから必要以上に用意するのは当たり前の事だ。僕だってゲームで回復道具を異常に持ち歩くのと同じだ。
······うん······。頭がこんがらがってきたぞ······。
常にオーバーヒートに熱せられている頭を癒やす為にトロピカルフラワードリンク(まだ返してなかった)を一息に吸——————。
カシャン······!。
「え······?」
「ん······」
僕の手元にはチョロチョロと中身をこぼすドリンクカップ。
そのカップにはきれいな円形の穴が。
「逃げるぞ!少年!!」
真っ白になった頭を無理矢理起こす事が出来たのはお姉さんの声のおかげだろう。
お姉さんは僕の手を引き、すでに金額を払っていたであろうドリンクを放っておいてトイレの方へと向かう。
「取り敢えずこの窓から出ろ!」
「誰がやったんですか!?」
「暗殺者······って言ったら笑える?」
「笑えないよ!!」
@@@@@
つい先程まで許斐達がいたカフェに二人の影が延びる。
「ニュハハハ!【殺し屋】のアンタが殺り損ねるとはね!!」
季節外れのダウンコートを着て、奇怪な笑い声をあげる女性に指さされるのは、同じく季節外れの黒いフレンチコートを来た男性。
「まァ!アンタにとっても嫌な仕事だとは思うけどサ!!諦めなよ!」
男性はワザと外したドリンクカップを手に取る。
「お前は······何かこの違和感を感じた事はないか?」
「んあ?」
既に話の興味を無くし、お人形遊びに没頭していた女性に男性は問いかける。
「どうゆ違和感?具体的がいいなぁ〜」
男性は一つため息をつくと。
「世界が何度も作り変えられる感覚だよ。あくびをしている合間に体の疲れが変わる時がある」
「まぁ〜〜殺し屋だから0.1グラムの重りすらも感じる事は聞いたことがあるけどサ。それを違和感にするのはちょっと······」
「そうだな······。だけどそれが現実になる事も何度もあったしな。その場合俺は、『あの男』が関与していると思うんだ」
「まぁ〜でも無理じゃない?命令だしさ」
この二人に与えられた指令は『暗殺』。ターゲットは件の二人。
「仕方ないな。上からの命令だ。殺しても、恨まれいない殺しがいいな」
見た目優男の白髪の男性は、先程とは打って変わって鋭く、冷たい顔で一つ弾を詰めた。