5
オレたちは並んで歩いた。懐かしい話をしながら、松並木を進んでいく。
ホタルと会話しながらも、オレの目は松を数えていた。二十本目、二十一本目。
「あ、見えた、祠だ。埋めたのはあの脇だったよね、ちゃんと埋まってるかな」
「ああ……」
わくわくしているホタルの隣で、オレの胸は妙にざわめきだしていた。
両脇の松の木から見下ろされているような気がする。不気味な視線。
嫌な予感がした。
二十二本目、二十三本目。
数えるな、とオレのどこかが警鐘を鳴らしている。心臓がどくどくと不吉に高鳴った。けれど、どうしても目が松に引かれてしまう。
二十四本目――駄目ダ――二十五本目――
そして、オレは立ち尽くした。
二十六本目の松の木の前で。
「ホタル……」
「ん、どうかした?」
「三年前に来たとき、松は全部で二十五本だったよな……?」
最後の松を見つめて呆然としているオレに、ホタルは黙った。それから、そっと口を開いた。
「そうだったっけ」
「そうだったよ、間違いない。二人で数えただろ。オレ、よく覚えてる。なのに」
よろめくようにして、一歩あとずさる。目は松の木に釘付けにされたまま、そらすこともできない。
「二十六本ある……!」
ホタルもじっと松を見つめた。それからゆっくり視線をオレに移して、にこりとする。
「大丈夫」
「え?」
「きっと、きみの数え間違いだよ。こんなに暗いんだもの、一本くらい間違えたっておかしくない。そんなに怯えることじゃないでしょ?」
「そう、かな」
「そうだよ。――そんなこと気にしてないで、さぁ、タイムカプセルを掘り起こそう」
「あ、ああ……」
さっさと祠の脇のほうへ行ってしまうホタルを追いかけながら、オレは二十六本目の松の木を一度だけ振り返った。
間抜けなことに、オレもホタルもスコップを持ってきていなかった。だから、タイムカプセルを掘り返すのにひどく労力を使うはめになった。
「なんで持ってこなかったんだよ、スコップ」
「きみだって」
文句を言い合いつつ、石や枝、手を使って土を掘る。そんなに深く埋めてはいなかったはずだし、土も軟らかいからなんとかなるだろう。
「だいたいホタルは、ライトも持ってきてないじゃんか。オレの携帯があったから良かったものの」
「それは……つい、うっかりさ」
「ていうか、おまえ、携帯も持ってないのか」
「持ってないよ」
「ふぅん」
ホタルは少し目を輝かせてオレを見た。
「ねぇ、やっぱり便利なの? 携帯電話って」
「別に……オレはたいして使ってないから。持ってないと不便かもしれないけど、持ってるとわずらわしいよ」
「そうなんだ…っと。あ、何かある」
カツンと硬い音がした。オレたちは顔を見合わせ、一気にそれを掘り出す。
「これだ」
「うん。うわ、なんか緊張してきたね」
手を土まみれにして、やっと二つの缶が出てきた。
「せーの、で開けようぜ」
「いいよ」
「よし。……せーの!」
缶を開けると、中には小学生のころコレクションしていたカードがぎちぎちに入っていた。わかってはいたが、我ながら子供っぽい趣味だった。ちと情けない。
「これ、今売ったらプレミアとかつかないかなー」
さすがに暗すぎてよく見えず、携帯電話のライトをつけようとした、そのときだった。
「――いけない!」
突然、ホタルがオレを乱暴に引き寄せた。
「わっ! な、何だよ?」
「静かに。明かりをつけないで、隠れて」
「は?」
ホタルは少し苦しそうな顔をして、松並木の方を見やった。
「来る……」
しぼり出すような声音。
押されるままに、缶を抱えて祠の裏に移動する。
「ホタル、大丈夫か? どこか具合でも悪いのか」
一瞬触れたホタルの背中は冷たく震え、冷や汗をかいているようだった。
「僕は、平気……お願いだから、静かに」
とても平気そうではなかった。ホタルはひざをつき、息苦しそうにして祠に寄りかかった。
「ホタル」
「僕に触らないで」
背中をさすってやろうと手を伸ばすと、さっと身を引かれた。
「ごめん、僕に触らないで……お願い、お願いだ……まだ」
ホタルは怯えたように自分の身を抱きしめ、汗か涙かわからないもので頬を濡らしていた。
「どうしたんだよ、ホタル。苦しいのか?」
「静かに、して。気づかれる……から……!」
わけがわからなかったが、ホタルのあまりに必死な様子に、オレは言うとおりにするしかなかった。押し黙り、ホタルの隣に座り込む。ホタルは相変わらず辛そうにしていたが、小さく「ありがとう」とつぶやいた。
しばらくすると、確かに人の気配が近づいてきた。何か、動物が鳴くようなか細い声と、土を踏みしめる足音。
「なんだ……?」
オレが祠から顔を出してうかがおうとすると、ホタルに袖を引っ張られた。それを「ちょっとだけ」と振り払って、松並木の方をそっとのぞいた。
ゆらゆらと揺れる、小さな光がある。一瞬息を呑んだが、人魂の類ではないようだった。生きた人間がぶら下げている、ライトの光だ。
その光が照らし出す人影は、妙なものだった。大人の男のように見えるが、何か大きな荷物を担いでいるらしい。
目を凝らしているうちに、彼はどんどんこちらに近づいてくる。それにつれて、うなり声もはっきりと聞こえるようになってきた。――子供の声だ。
どくん、とオレの心臓がはねた。
男が抱えているのは、子供だった。小学生か幼稚園児くらいだろうか、男に担がれて、懇願するかのように悲痛なうめきを上げている。
緊張して口が渇いた。どういうことだ? まさか――
男は祠の前まで来ると、林のわきに入って、乱暴に子供を地面に降ろした。ぎゃっと悲鳴が上がる。
オレの目は見た。男のライトが揺れ、浮かび上がらせたシルエット。その男は、子供に馬乗りになり――首を絞めているのだ。
「な、何やってんだコラァッ!」
考える間もなく、オレは男に飛びかかっていた。オレの名を呼ぶホタルの悲鳴が聞こえた。
夢中で男を子供から引きはがし、押さえ込もうとする。
「逃げろ! ――うっ」
思い切り腹を殴られ、オレはふっとんだ。倒れこんだところに、男がのしかかってくる。そして首に汗ばんだ手が絡み、ぐっと絞められた。
「っ……ぐ、う」
やばい、と思っているうちに、気が遠くなってきた。窒息させられるより先に、首の骨を折られそうだ。
「その手を離せよ」
ホタルの声。
バカ、出てくるな、と声にならず怒鳴った。が、どうしたのか、男の手はするりとオレの首からほどけた。
オレは思い切り息を吸い込み、ゴホゴホとむせる。暗い視界になんとか目を凝らすと、立ち上がった男はホタルを凝視していた。
「ホタルッ……逃げろ!」
必死で叫んだが、ホタルは動かない。恐ろしく冷めた目で、男を見据えている。そのまま一歩踏み出すと、男は悲鳴を上げて逃げ出すようにあとずさった。
「ヒッ、ヒイイィィーー!」
そして、後ろにあった松の幹に勢いよく体を打ちつけ、倒れこんだ。後頭部を強打したのか、白目をむき、口からは泡を吹いている。
「……な、何なんだ……」
オレはあっけにとられて呆然としていたが、子供が大声で泣き出したので我に返った。
「おい、おまえ、大丈夫か?」
急いで駆け寄ると、子供はオレにしがみついた。よく見れば、どうやら女の子らしい。浴衣を着ているところを見ると、夏祭りに来ていたのだろう。
わんわんと泣いている子供に、オレはほっと胸をなでおろす。
「それだけ泣く元気があるなら平気だな」
「きみの方は大丈夫?」
振り向くと、ホタルが心配そうにオレをのぞき込んでいた。
「ああ、なんとか……とりあえず、警察に通報したほうがいいよな。っと、その前に、あのオッサンを動けなくさせておくか」
オレはベルトをほどき、失神している男の腕をきつく縛った。
「ホタル、おまえのベルトもよこせよ。足のほう縛るから」
しかし、ホタルはやわらかな視線でオレを見つめ、首を振った。
「ホタル?」
「お兄ちゃん……誰とおしゃべりしているの?」
ふいに、子供が不思議そうに尋ねてきた。その目には、不審と恐怖があった。
「あ? 誰って、そこの友達だよ」
オレが指差した方向を見て、子供はさらに不安そうに顔を歪めた。
「誰もいないよ」
オレはホタルを見た。ホタルは変わらず微笑していた。そして、静かに言った。
「僕は、ずっと待っていたんだよ。きみがここに来てくれるのを」
「ホタル……?」
ホタルは二十六本目の松の根に立っていた。首塚の松。
オレは唐突に、この三年間、ホタルが音信不通だった理由を理解したような気がした。連絡したくても、できなかったのではないか。けれど、その考えを自分で必死に否定した。そんなはずはない、そんなはずは――
「きみが引っ越す日の朝だった」
「……やめろよ」
「細い路地で、いきなり後ろから殴られて」
「やめろってば!」
オレが怒鳴ると、ホタルは目を細めた。
「見送りに行けなくてごめんね。……それだけ、ずっと謝りたかったんだ。さよならも言えなかったから」
「なんだよ、何、言ってんだよぉ……っ」
まだよく信じられなくて、哀しいとは感じられなかった。
ただ、オレの知らないところで、オレの見えないところで、ホタルがひどい目にあっていたことが、悔しかった。想像もできないほどの恐怖と苦痛の中にホタルがいたとき、オレはのんきに裏切られたと思い込んでいたのだ。
そんなの嘘だ、と胸で繰り返し叫んだ。
おまえは、こんな寂しくて暗いところで、一人ぼっちだった。
それなのにオレは、ホタルは平気な顔して生きているんだろうと当たり前のように思っていた。オレがいなくなっても、平然と。
勝手にそう思い込んで、勝手に恨んでいた。恨めしく思うことがまた悔しくて、そんな感情を認めないようにさえしていた。
本当はずっと、オレを呼んでいたのに。友達だったのに。
「ごめん、ごめんな、ホタルッ……」
目に涙がにじんで、オレは必死にそれを押しやっていた。そうでなくとも、ホタルの姿はもうぼんやりとしか見えなかった。
「家族は、必死になって僕を探してくれた。学校のみんなも、町のみんなも。でも、とうとう見つけてはくれなかった。だけど、きみならここまで来てくれるって信じてた」
にっこりと、ホタルは微笑んだ。
「来てくれた」
オレの頬にそっと触れた手は、この世のものではない冷たさだった。けれどやわらかく、優しかった。
オレがここに来たのは――おまえがオレを呼んでいたからじゃない。
オレが、おまえを呼んでいたからなんだ。ずっとずっと、呼んでいたからなんだ。
「ここにはね、おしゃべりの相手ならたくさんいるんだよ。だから、実はそれほど寂しくはないんだ。だけどやっぱり、もう一度きみに会いたかった。大人になるきみを見たかった。僕は――僕はずっと変わらないから」
あんなに似合って見えていた学ラン姿は、夢のように消えて、ホタルの姿は小学六年生のあの頃のものに戻っていた。
ホタルはいたずらっぽく笑う。そして、オレにタイムカプセルの缶を差し出してきた。素直に受け取って、驚いた。空だったのだ。
「本当はね、きみと掘り返す直前に一人で来て、蛍をたくさん入れておくつもりだったんだ。都会から戻ってきたきみに、見せてあげたかった」
ホタルの優しい光を。
消えかけた手で、オレの涙をぬぐってくれる。
「ありがとう。君のおかげで、僕はもう休むことができる」
「ホタル……」
「ねぇ、覚えていてね。きみがどこにいたって、僕はずっときみの友達だってこと。君はひとりじゃないってこと」
ホタル、待って、と必死に繰り返し呼ぶオレに微笑みかけたまま、ホタルの姿はゆっくりと消えた。
やがて、ホタルから受け取った缶の中から、蛍のような小さな光が現れた。残された暗闇の中でただ一つ、ゆらゆらと優しく揺れて飛び回る。微笑うように。そしてまた、静かに見えなくなっていった。
逮捕された男は、町の「駐在さん」だった。しかし実は、彼は警察官などではなく、長くそのふりをし、また町の人もそう信じていただけのただの中年男だった。「神隠し」とされてきた児童失踪事件は、彼による犯行だったのだ。
男の供述により、松林の至るところから、白骨が発見された。人間の子どもの遺体が二体と、あとは猫などの小動物の骨だった。見つかった一人は二十年以上前に行方不明になった当時小学校低学年の女児のもの。そしてもう一人、男児のもの――それがホタルだった。
彼が言うには、三年前の夏祭りの夜、猫を殺して死体を埋めているところを写真に撮られたと思い込み、カメラを持っていたホタルを狙ったのだという。数日後、ホタルが現像された写真を受け取って店から出てきたあとを追い、殺した。
ホタルの遺体には、一緒にその写真が埋められていた。けれど、それには松林など一つも写っていなかった。夏祭りの法被を着て、仲良く笑っているオレとホタルがたくさん写っているだけだった。
さらにその後、この事件に関して奇妙な噂が立った。犯人の男は、殺したはずのホタルの姿を見た、と真っ青になって供述したという。それからもう一つ。警察が最初に捜査のため松林に入ったとき、松並木は合計二十六本だった。しかし、遺体が掘り起こされた後は何度数えても二十四本しかないのだという――
夏休みが終わり、オレは受験生に戻った。この衝撃的な事件の犯人逮捕に貢献したことで、一時期は時の人のような扱いを受けたが、嵐が過ぎ去ってしまえば、そのあとは毎日、相変わらず勉強ばかりしている。
今さらながら、ホタルが行方不明になった当時の新聞を調べたりもした。地方紙に小さく載るホタルの顔写真は、あの日の最後に見たホタルと同じ顔で微笑んでいた。
夏が過ぎ去って、世紀末を超えて、以前のオレと違うのは、笑うようになったこと。携帯電話の16和音の出番が増え、受験の愚痴を言い合う友達ができたこと。母親に、オレにはオレのペースがあると穏やかな気持ちで言えるようになったこと。
見上げれば空は今日もくすんでいるし、冷たい風にはガスの匂いが混じっている。それでもオレは、もう逃げ出したいとは思わない。胸にあの夏の光が灯っているから。
歩いていこう。蛍の点滅のような一瞬一瞬を、めいっぱい輝かせて。