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オレが小学生まで住んでいた町のはずれには、古い松林があった。
小学校のすぐ裏手にあり、子供たちのかっこうの遊び場になっていたが、その松林にはまことしやかに噂される言い伝えがあった。
「あそこの松林はね、昔は処刑場だったんだ。切られた首が祟らないように、その数だけ松が植えられていったのさ」
最初に誰から聞いたのかは、覚えていない。けれど、町に住む人なら誰でも聞いたことがある話だった。
他にも、あの林に入ると神隠しに遭うだとか、火の玉が出るだとか、いかにもな噂はいくらでもあった。
親や学校の先生たちも、子供が松林で遊ぶことを禁じていた。なんでも、本当にいなくなった女の子がいるとかで。
そういう、ちょっと怪談めいた話は、まだ鼻水たらした子供だったオレの胸を余計にときめかせたのだった。
「なぁなぁ、ホタル。今度、『オバケ森』で肝だめしやろうぜ」
オレがそう提案したのは、六年生の夏休みの日だった。
町の納涼祭が近く、高学年の子供たちは公民館で八木節の練習をさせられていた。
その帰り道、運悪く夕立に降られて、オレとホタルは果物屋の軒下で雨宿りをしていたのだった。
「ええ? どうしてまた」
ホタルはどんぐりのような目をぱちくりさせた。驚いた拍子に、練習のご褒美にもらったアイスキャンデーを落としそうになっていた。
「最近また神隠しがあったから、絶対あそこで遊んじゃいけないって、先生たちも言っていたじゃないか」
「馬鹿だなぁ、おまえ。そんなの迷信だよ、メ・イ・シ・ン」
アイスなど早々に食べ終わってしまったオレは、練習用の枹を一本くるくると回しながら、得意になって言った。
「でもさ、みんながビビってできないようなことやって見せたら、すげえって感じじゃないか? オバケ森の奥には祠があるっていうだろ、そこまで行って、証拠写真を撮ってくるとかさ」
「なるほど……うん、面白いかも」
ホタルはふと思いついたように、控えめな微笑みを浮かべた。
「そうだ。どうせなら、タイムカプセルを埋めようよ。記念に」
今度はオレが目を丸くした。
このときのオレは、夏休みの終わりと同時に転校することが決まっていた。親の転勤で、都会へ引っ越すことになっていたのだ。
そこがどれだけ遠いのか、実のところはオレもホタルも分かっていなかった。新幹線に乗っていく、と言ったら、クラスのみんなに羨ましがられた。
オレはプライドが高いから、寂しいなんて死んでも言うつもりなかったけれど、ホタルの気持ちはなんだか嬉しかった。
「いいな、それ。何を埋める?」
オレの顔がわくわくとしていたからだろう、ホタルもにっこりとした。
「そうだなぁ……」
その夜の夕立は、珍しくおとなしいほうだった。
雷は雲の上でゴロゴロいっているだけで、雨もそんなに強くはなかった。
むわっとした蒸し暑さと、アスファルトが濡れた特有の匂いを、どこかで鳴っている風鈴の涼しげな音がなだめていた。
「ありがちだけど、やっぱり自分の宝物を入れようよ。きっと開けたときには、くだらないものだなって笑えるんだろうけど」
「失敬な! オレのウッカリマンカードはくだらなくなんてないぞ!」
その頃のオレの宝物といえば、もっぱらウッカリマンカードだった。チョコのお菓子のおまけで入っているカードで、ほぼ全種類そろっているコレクションは汗と涙の結晶といってもよかった。
オレの真剣な目がおかしいと言って、ホタルはくすくすと笑った。あんまり楽しげに笑い続けるものだから、そのうちオレは腹が立ってきて、ホタルのアイスを奪って一気に食べてやった。
「あ、当たり」
アイスの棒から出てきた文字を、二人同時に読み上げる。
顔を見合わせ、はじけたように笑った。
あの頃のオレとホタルの笑い声が、鮮やかに耳によみがえる。
オレはハッとして目覚めた。慌てて腕時計を見、寝ていたのはほんの数分間だと確認して息をつく。次の乗換えまで、まだ余裕がある。
座りなおして、改めて周りを見やった。
夏休みとはいえ、まだ盆には早い。
昼間の下り列車には、人影もまばらだった。すみで舟をこいでいるよれたスーツの中年、重たそうな体つきの主婦連中、甲高い声でおしゃべりしている女子高生と、それを眺めている日に焼けた金髪の若者たち。
誰もかれも、頭が軽そうに見える。面白くもないことに馬鹿笑いして、惰眠を貪って。自分は一生懸命やってる、世界は自分中心に回っていて当然だという顔をする。頭の中からっぽのくせに、思い通りにいかないことがあるととたんに文句を並べるのだ。
窓の外では、購買意欲をそぐようなビルの看板ばかりが流れていく。くすんだ景色。
どいつもこいつもくだらない。くだらない、全部くだらない。
くだらない、と思って塾をさぼってきたくせに、かばんの中にはしっかり高校入試の参考書が入っているオレも、くだらない人間だ。
ふいに、かばんごとぶん投げてやりたい衝動に襲われたけれど。
そんなことをするほど思い切れない自分に、吐き気がする。
オレは小学生最後の夏休みを満喫した。
朝ははりきってラジオ体操に参加して、カードにスタンプをためてお菓子に交換してもらうことに燃えていたし、昼間は学校のプールで遊び倒した。
小学校の前には小さな駄菓子屋さんがあって、泳いだ後にそこでアイスを買い食いするのが至福だった。青々とした水田に囲まれた一本道を、干上がってアスファルトにはりついたカエルの死体を踏まないように、つま先立ちで跳ねるようにして帰った。それから、夜は八木節の練習だ。
オレはお調子者で面倒見のいい方だったから、けっこう人気者だった。みんなでわいわい集まって、蝉やカブトムシを捕まえに神社の裏山に行ったり、ザリガニ釣りに川へ遊びに出かけたりしていた。
友達は多かったけれど、一緒にいていっとう楽しかったのは、ホタルという少年だった。本名ではない。だけど、みんながそう呼んでいた。
多分、オレにとってホタルという友達は「特別」だった。ホタルは、明るいけれど騒がしくなくて、大人びているけれど嫌味っぽくなくて、オレと性格が似ているわけでもないのに、不思議とウマの合う奴だった。
一緒に道草しては、畑からトマトやキュウリを盗んで食べた。オレが家からこっそり持ってきた塩を懐から出すと、ホタルも笑って味噌を見せるという具合だった。二人だけの秘密をつくるのが楽しくて、何かにつけて一緒に行動していたと思う。
ただ、オレは勉強も遊びも人より得意だったけれど、ホタルに勝ったと思えたことはなかった。
二人で、用水路のドジョウを捕まえようとしていたときだった。オレは捕まえることにばかり夢中になって、気づけばシャツを泥だらけにしてしまっていた。母親にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。そのとき、母親はため息交じりで言ったのだった。
「どうしてあんたは、ホタルくんみたいに上手に遊べないの?」
マヌケにも、オレは言われて気づいたのだった。捕まえたドジョウの数は変わらないのに、ホタルのシャツはちっとも汚れていなかった。
学校のテストなら、ホタルとオレがいつもクラスで一番だった。だからみんな、オレたちのことをすごいと言った。ホタルの方がずっと優秀なことを知っていたのは、オレだけだった。ホタルに勉強を教えてもらっていたのだから。
オレはホタルに、教師になるのが向いているんじゃないかと言ったことがある。
「僕が、学校の先生に?」
きょとん、としてホタルはオレを見つめた。
「そうだよ。だっておまえ、頭いいし、教え方うまいし、子供好きだろ?」
いつものように八木節の練習に行った帰り、オレたちは蛍を捕まえに遠回りして畦道を歩いていた。
川の蛍はもう季節が終わってしまったけれど、水田にはまだあちこちにいた。
夏の初めに、川べりでおびただしいほどの蛍が飛び交っている眺めもなかなか壮観だ。けれどもオレは、盆近くの水田の静かな景色の方が好きだった。
墨のように真っ暗な一面の田に、チラチラと星よりも儚く瞬き、頼りなく揺れながら蛍が飛んでいる。
水の匂いと、湿った風と、この幻想的な光景。そして虫の声。
まるで天の川を歩いているようだった。
この感覚が無性に好きで、夕立のない夜はついつい来てしまう。おかげで、体じゅう虫刺さればかりだったけれど。
「うーん…。学校の先生になるかはわからないけど、大学には行きたい、かな。勉強は好きだし」
オレはひらめいてホタルを振り返った。
「そうだ! それならさ、同じ大学に行こうぜ。中学も高校も違っちゃうけど、大学ならおまえも都会に出てくるだろ」
無邪気に言ったオレに、ホタルは微笑んだ。
「そうだね。そうなったら楽しいだろうな」
「オレ、おまえに負けないくらい勉強するから。遠慮なく、レベルの高いところ狙っていいぞ」
捕まえた蛍をビンに入れ、ガーゼをかぶせて輪ゴムでとめる。ツユクサを振り回しながら、オレは陽気に歩き出した。
「ほう、ほう、ほーたるこい」
一小節分ずれて、ホタルも楽しげに歌う。
「ほう、ほう……」
歌声は、夏の夜闇にそっと響いて吸い込まれていった。