61.法の全権執行官
桜の居る世界とも椿姫の居る世界とも別の世界で、もう一つの物語が始まっていた。
彼女の名は、マリー・フォン・エルメス。彼女はその国で貴族の四女として生を受けた。彼女はとても正義感が強く、犯罪が大嫌いだった。
だから、彼女は法律を学び、武術も身につけた。法を守る番人になる事を決めた。彼女は美しい少女だった。美しく伸びた銀髪、白い肌、金色に輝く目、スリムな肢体の百合の花の様な少女だった。
その国では、犯罪発生率が高かった。理由は貧富の差だった。貴族たちは優雅に暮らしていたが、一般市民の暮らしは貧しく、貴族から窃盗を行う者が多かった。また、奴隷も存在していた。奴隷たちは所有者である貴族から逃げ、野盗になった。
ゆえに、法の全権執行官という役職が作られた。なれるのは貴族のみ、貴族以外の平民や奴隷は、法の全権執行官の独断で死罪に出来た。そして、その刑の執行も許可されていた。
しかし、多くの法の全権執行官はその場で断罪することは無く、正規の手続きを経て裁判を行い。冤罪が出ないようにしていた。
だが、マリーは違った。法の全権執行官のトレードマークである制帽と外套に身を包み、犯罪者を見つけ次第、断罪していた。
マリーは男の部下二人を連れて、街を歩き、犯罪者を探していた。市場を見回っていた時に、少年が果物を売っている店からリンゴを一個盗んだ。店主の小太りの中年男性は他の客と話していて、盗まれた事に気づいていなかったが、マリーは見過ごさなかった。
少年の腕をつかみ、冷たく見下ろして凍るような声で話しかけた。
「いま、盗んだよね?」
「ごめんなさい。でも、妹がお腹を空かせて待ってるんです」
少年は泣きそうな顔で訴えた。少年が着ていた服は薄汚れていた。とても親が居るように見えなかった。明らかに孤児であり、保護が必要だった。
「そう、両親は?」
「居ない。ある日、この街に僕を置いてどこかに行った」
「そう、同情するわ。でも、盗みは良くない。孤児院を紹介するから妹を連れてきて」
「う~ん。分かった」
少年は一瞬考えたが、そう言って妹を迎えに行った。マリーは店主に話しかけた。
「リンゴ。盗まれましたよ」
「ああ、これは執行官様。ありがとうございます。ですが、良いんですよ。あの子、孤児でして、孤児院を紹介してやったんですが、どうも馴染めなかったみたいで、もう少し大きくなれば分別もつくでしょうし、それまでは大目に見る事にしてるんです」
「そうですか、では、孤児院を紹介しようとしたのは不味かったですね」
「いえいえ、とんでもございません。あの子もこれをきっかけに孤児院でまっとうに暮らそうという気になったのかもしれません」
「そうだといいですね」
店主はニコリともしないマリーを不気味だと思ったが、相手は貴族である。心証を悪くするのは気が引けたので顔には出さなかった。
少年はマリーに言われた通り妹を連れて来た。
「良い子ね。これからは孤児院でまっとうに暮らすのよ?」
「うん。分かった」
「よし、では犯した罪を償ってね」
マリーはそう言うと顔色一つ変えずに少年の右腕を切り捨てた。
「あああああ~~~」
少年は絶叫した。
「大丈夫よ。窃盗の罪は盗んだ腕一本で終わりだから、あなたは死なないわ」
そう言って、マリーは少年の傷を魔法で直した。ただし、切り落とした右腕はマリーの部下が回収した。少年は右腕を失った。
「返してよ。僕の腕、返してよ」
少年は泣きながらマリーに言った。
「だめよ。あなたの犯した罪は償わないと、これに懲りたら犯罪は二度とやらない事ね」
マリーは自分が当然の事をしていると思っていた。店主は、それを見ても何も言えなかった。少年を可哀そうだと思ったが、マリーにたてつくと同じように切り捨てられると思ったからだ。
「それと、店主。あなたを犯罪幇助の罪で断罪します。なにか反論は?」
店主はマリーの言っている事の意味が分からなかった。
「なぜ、幇助なんです?私は被害者のはずでは?」
「さっき、少年の窃盗を見て見ぬふりをしていたと自白していましたよね?被害者なら犯罪が発生したら裁判官に報告する義務があります。犯罪を見て見ぬふりをするという事は犯罪者を野放しにしているのと同義、幇助罪が適用されます」
「ちょっと、待って、納得できない」
「納得する必要はありませんよ。ただ、罰を受けなさい」
そう言って、マリーは店主の右目を剣で潰した。
「ひぎゃ~~~~」
店主は悲鳴を上げた。その店主の両手をマリーの部下が抑える。マリーは店主に近づき右目の傷だけを魔法で直し、右目は治さなかった。
「見て見ぬ振りをしたんだから、その目は要らないわよね。でも、今回は片方で許してあげる。次は無いわよ」
マリーは淡々とそう告げて、少年を孤児院に連れて行った。
マリーは自分が正義だと信じていた。法律を守り、犯罪者を断罪し、世の中を良くしていると思っていた。
だが、彼女はやり過ぎた。何十人もの人間を独断で断罪し続けた。そうして、町民に『断罪の魔女』とあだ名されるようになった。
町のある一室に十人程の町民が集まっていた。町民の一人が話始める。
「断罪の魔女を私刑に処す。異議のある者は?」
誰も異議を唱えなかった。
「では、どのように処刑するかだが、意見のある者は居るか?」
「野盗に引き渡しましょう」
「どうやって?」
「犯罪の密告をする振りをして人気のない場所に誘き出しましょう」
「なるほど、それで行こう。誰が密告役を?」
「俺がやる」
そう名乗り出た男はマリーに右目を潰された店主だった。
マリーはその日も男の部下二人を連れて街を見回っていた。市場に通りかかった時、マリーが片目を潰した店主が話しかけて来た。
「執行官様。報告がございます」
店主は笑顔で言った。
「いいわ。話してみて」
「ありがとうございます。実は犯罪を目撃しまして」
「どんな犯罪かしら?」
「先程リンゴを盗まれまして」
「ふむ、他に目撃者は?」
「ああ、盗みの現場は私も見てましたよ」
マリーの問いに答えたのは客の一人だった。
「あなたと店主との関係は?」
「初対面です。たまたま買い物に来たら盗みの現場を見てしまっただけです」
「そう。協力に感謝するわ。これで、犯罪として立件できる」
「ありがとうございます」
店主は客に礼を言った。
「それで、なぜ追いかけなかったの?」
「ああ、居場所は知ってるんです。知り合いだったので」
「そう、場所を教えてくれる?」
「案内いたしますよ。いや~助かります。知り合いだから私一人だとうやむやにされそうだったんで、執行官様が来て下されば心強い」
店主はそう言って、マリーを人気のない倉庫に案内した。倉庫には最初人が居なかったが、店主とマリーとその部下が倉庫に入ると倉庫の外から大勢の男たちが入って来た。その数は二十人だった。
店主はマリーたちを残して倉庫を出た。
「ずいぶん恨まれているんだなお嬢ちゃん」
浅黒い肌、上半身裸の筋肉質の中年男性がサーベルを片手に持ちマリーに話しかけた。その胸には奴隷の証である焼き印が押されていた。彼は野盗の頭目だった。
「恨みを買うような事をした覚えはないわ」
マリーは毅然として言った。
「そうかい。まあ、とりあえず手足を動かなくしてから楽しむか」
「貴族のお嬢ちゃんがどんな声で泣くのか楽しみだ」
そう言って男たちは薄ら笑いをした。マリーの部下は事情を察知し、マリーと男たちの間に立ちふさがった。
「お嬢様、お逃げください」
二人の部下はマリーの護衛でもあった。
「大丈夫よ。これぐらいの人数なら私一人でも勝てるわ」
マリーは自分の実力に自信があった。
「しかし……」
部下の言葉を待たずに、マリーは声を上げた。
「罪状、殺人未遂、判決、火刑」
その声と共に、男たちは炎に包まれた。
「あづぃ~~~~~~」「ぎゃ~~~~」「だずげで~~~~」
悲鳴を上げて燃える者が三人いたが、他は魔法の発動を察知してマリーに肉薄していた。
二人の部下は野盗と剣で戦い始めるが、数が多いためマリーは野盗に囲まれてしまった。
野盗の一人がマリーに切りかかった。狙いは手だったが、マリーは攻撃を躱して反撃で野盗を切り捨てた。その動きは洗練されていた。マリーは剣の稽古を欠かすことが無かった。
訓練をしていない野盗如きに負けるつもりは無かった。野盗を三人切って捨てた時、野盗の頭目の男が号令した。
「楽しむのは止めだ。この女、殺そう」
「ええ~?諦めるんですかい?」
「これ以上、お前たちに死なれたくない」
「分かりやした」
そう言うと野盗の動きが変わった。やみくもにマリーに近づく者は居なくなり、マリーを半包囲してスリングで石を投げて来た。
「卑怯者!正々堂々と戦いなさい!」
マリーは魔法で石を防ぎつつ吼えた。
「これは決闘じゃないんだよ。お嬢ちゃん。ビジネスなんだ。あんたを殺せば報酬が入る。だから、どうやって殺すかなんて意味ないんだよ」
「こんな事、許されない!奴隷風情が私を殺すだなんて!」
「そうかい。だが、別にあんたの許しは必要ないんだ。人間死ぬときは死ぬ。貴族だろうと奴隷だろうと同じように死ぬんだ。死に方は色々あるが、貴族だから死なないってことは無い。あんたにとってそれが今日だっただけだ」
野盗の頭は淡々と話していた。貴族という生き物は自分が特別だと思い込んでいる。よくある事だった。彼は貴族を狙って殺して奪って来た。命乞いをされる事も多かったし、マリーの様に上から目線で意味不明な事を言う者もいた。
その度に思った。こいつらは馬鹿だと、特別な地位に居るから何でも許されると思っていた。因果応報、誰かを虐げれば仕返しされると思っていない阿呆ばかりだった。野盗の頭は目の前のマリーがどんなに美しくてもその性根が腐っているのを知っていた。だから、命乞いをされても殺すつもりでいた。
マリーは野盗の攻撃を魔法で防いでいたが、魔力が尽きて全身を石に打たれて命を落とした。マリーは最後まで命乞いをしなかった。
死に際に願った事は、『もっと力が欲しい』だった。犯罪者を断罪するための圧倒的な力を欲して、彼女は死んだ。




