45.死線
その日もプラントEは平和だった。午前中の農作業を終えて、桜は昼食を食べて、昼寝をしていた。と言っても寝ているのはエナだった。
桜はエナに寄り添うように横になり、寝息を立てているエナを見ていた。可愛い妹を優しい眼差しで見ていた。
桜自身は疲れを知らない体だった。農作業をしても、授業をしても疲れることは無かった。本当は夜も眠る必要がない事を理解していたが何故か眠ってしまうのだった。
最近は、ずっと農作業の白い服を着ていた。施設から持ち出したお気に入りの黒い服はハンガーにかけてある。もっと色んな服を持ってくれば良かったと思ったが、いつ覇国の刺客が襲ってくるか分からない状況で、村を離れるわけにはいかなかった。
お店も無い。レストランも無い。図書館もテレビも新聞も無い。こんな世界でも幸せはあった。それは、桜の隣で寝息を立てている。
毎日、寝る前にその日の出来事を嬉しそうに話してくるエナに桜は救われていた。そんな幸せな時間を壊す存在が来た。
(敵性勢力の接近を確認しました。桜、カイに救援を要請してください)
月読の要請に桜は違和感を覚えた。
(どうして、戦闘モードに移行しないの?)
これまでは有無を言わさず戦闘モードへ移行していた月読が、それをしなかった。
(桜は戦いたかったのですか?でしたらすみません。すぐに戦闘モードに移行いたします)
(いえ、しなくていいわ。気を遣ってくれたのね。ありがとう)
桜は、カイの元へ急いだ。
「父さん。また、敵が来たって!」
「そうか、後は任せておけ、それで何が来たんだ?」
(月読、説明して)
「主天使一体、力天使二体、能天使五体、権天使五体が来ています」
「団体さんか、さて誰が行くべきか……」
「エナ、カナタ、カイ、カイル、レミ、それと銃士の方二十名程で撃退可能です」
「亜人の方々の協力は必要ないのか?」
「不要でしょう。彼らは既に戦闘経験済みで練習も不要でしょうから」
「そう言う事か、分かったその構成で当たる。戦術はフォーメーションAで良いのか?」
「ええ、それで構いません」
カイは、これが予行演習である事を理解した。ゆえに迅速にメンバーを集めに行く。そして、月読はタイミングを見計らって妨害電波を流す準備をしていた。
カイは、主要メンバーを集めて、村の東にある草原に布陣していた。カイは錐形の陣を敷いた。先頭にはエナ、続くようにカイとカイル、その後ろに銃士達、最後尾にカナタとレミが居た。
主天使ドミーは異様な光景を目にしていた。機人ミリアが出てくると思っていたのに、布陣しているのは人間だけだった。戦闘可能範囲に進軍したところで、妨害電波が発生し、通信が途絶した。
この時点で、ドミーは情報を持ち帰る為には生きて帰還する事が必要になった。覇国の機人達は変形の横陣を敷いた。先頭の横陣には近接戦闘型の重装甲機人、能天使。
両肩に百二十ミリ砲二門、両腕にガトリングガン二丁、全身の装甲厚二百ミリの重戦車と言えるほどの性能を持つ機人だった。それだけの装備でも人間の形を保っている。
そのすぐ後ろの横陣には戦闘補助の機人、力天使。修復能力、弾薬供給、魔力充填、通信中継、妨害電波、十五センチ中距離榴弾砲を装備している。
距離を空けて、遠距離攻撃特化の機人の権天使。両肩に二十一センチ榴弾砲、両腕に迫撃砲、全身の装甲厚三百ミリ、装甲の厚い自走砲だった。流石に人間の形を保っていなかった。足はキャタピラで胴体と呼べる物は無かった。
そして、最後尾にはドミー。主天使は指揮官機、補助観測機を五機、他の天使への命令権、飛行能力、暗号通信機能、光学迷彩、音波吸収素材、スナイパーライフルを装備している。
先手を打ったのは覇国だった。無線通信は封じられていたので光によるモールス信号でドミーは部隊に指示を出した。
≪部隊B、榴弾砲射撃準備用意≫
≪≪榴弾砲射撃準備開始!≫≫
≪射角四十五度、目標敵部隊中心部!各自、環境情報分析の上、射角微調整!≫
≪≪射撃準備完了!≫≫
≪撃て!≫
ドミーの合図で射程距離の長い権天使による榴弾砲の一斉射撃が行われた。
「カナタ!要塞を出せ!」
カイは覇国側の攻撃を見てカナタにすかさず指示を出した。
「分かった」
カナタは即座に部隊を丸ごと包み込む要塞を出現させた。要塞は、榴弾の火炎を完全に防いだ。
それを観測したドミーはすぐに任務の重要性を理解した。ただ、脅威を伝えるのは簡単だが、正確な戦力を分析して伝えるのでは、覇国の勝率が違い過ぎる。それが分かるからこそ、ドミーは戦闘してからの撤退を選択した。
ドミーは部隊に通達した。
≪全部隊員に通達、覇国の勝利の為に死ねるか?≫
≪≪死ぬために志願した≫≫
それは、ドミー以外の全ての機人からの応答だった。
≪覇国の為に、私の生存を許容するか?≫
≪≪馬鹿な事を質問するな。役割は理解している≫≫
≪すまない。敵の戦力分析を行った上で私は撤退する≫
≪≪いいから、指示を出せ≫≫
ドミーは理解した。ここに居るのは戦士だけだと。
≪通達、敵が使った魔法防御に対する飽和攻撃を実行せよ≫
ドミーは命令した。敵の防御陣がどれほどの強度を有しているのか計測するための命令だった。
≪≪了解≫≫
シンプルな回答の後で、それぞれの武装による最大の攻撃が敢行された。要塞があった場所は紅蓮の炎に包まれ、榴弾、徹甲弾が次々と撃ち込まれていく。
≪撃ち方止め≫
五分ほどの飽和攻撃の後、炎は消え、煙も無くなった。そこには要塞が無傷で存在した。ドミーは理解した。この反乱は、機人ミリア一体を倒せば終わるレベルではない事を……。
そして、熾天使の間違いを理解した。だから、ドミーは敵の攻撃能力を分析したうえで生還しなければならなかった。自分がしくじったら覇国は完敗する。
≪各自、臨戦態勢を維持。敵戦力の攻撃能力を分析する≫
≪≪了解≫≫
ドミーは敵の出方を伺った。和国の要塞から歌声が聞こえて来た。歌っているのはレミだった。
「戦え戦え戦士達よ。進め進め戦士達よ。
勝利の為に命を捨てよ。
怒れ怒れ戦士達よ。殺せ殺せ戦士達よ。
敵を粉砕し勝利せよ」
それは、レミが味方と認識した者の身体能力と知覚能力を高める魔法だった。エナに歌が魔法の効果を底上げすると聞いてレミも真似た。
和国全員の身体能力が飛躍的に上がった。しかし、和国は動かなかった。ドミーは次の指示を出した。
≪部隊A、微速前進。部隊C、部隊Aに追従しサポートせよ≫
≪≪了解≫≫
ドミーは部隊を三つに分けて管理していた。能天使で構成された近距離戦闘部隊A、権天使で構成された遠距離攻撃部隊B、力天使で構成された攻撃支援部隊Cである。
部隊Aは両肩と両腕を要塞に向けたままの姿勢で、ゆっくりと要塞に近づいていく。その後ろを力天使が、同じ速度で前進している。
要塞との距離が一キロメートルを切った時に、要塞からゲンの声が響いた。
「銃士隊!構え!」
野太い声は戦場によく響いた。
≪部隊A、敵の攻撃に備えよ!≫
≪≪了解≫≫
能天使達は、敵の攻撃に即応できるように体を半身に構える。敵の攻撃手段は分からなかったが、この距離での攻撃は物理なら銃撃、砲撃は無いかもしれないが、一応砲撃があった時に装甲厚が最大になるように正面から角度をつける体勢をとった。
「撃て!」
能天使達は、魔力反応を検知していた。ゆえに即座に防御魔法をカウンターで発動させる。それは、銃弾を防ぐための壁だった。しかし、和国の銃弾には想定外の魔力が付与されていた。
その銃弾は防御壁をあっさりと突き破り、能天使の装甲をも貫通した。和国の攻撃で能天使二体が前進不能となった。
力天使が動けなくなった能天使の修理の為に移動を開始した。
≪部隊B、援護射撃!≫
≪≪了解≫≫
ドミーは能天使の修理の時間を稼ぐために、要塞に向けての榴弾攻撃を命令した。それは、一時的に敵の視界を奪うための牽制だった。
しかし、部隊Bの攻撃が始まる前に要塞から二人の人影が飛び出してきた。それは、カイとカイルだった。カイは両こぶしを目の前に揃えたファイティングポーズのままで、カイルは刀を抜き放った状態で上半身を上下させない独特の歩法で力天使に向かっていった。
「全て打て!全て討て!打たれたものに終焉を!この世で最も硬き拳よ!我が両手に現れよ!金剛拳!」
カイもエナに倣って歌で武器を顕現させた。ただし、エナの様に存在しない物は作れないので、ダイヤモンドと同じ硬度の小手を拳にまとった。
「全て切れ!全て斬れ!斬られたものに終焉を!全てを削り流す刃よ宿れ!流刃」
カイルは先祖代々伝えられてきた日本刀「ムラマサ」に水の刃を纏わせた。それはウォーターカッターと同じ原理の物だった。ダイヤモンドでさえ切ってしまう水の刃をムラマサに纏わせたのだった。
「カイル!右をやれ!俺は左だ!」
「はい!父さん!」
カイとカイルの動きを見た能天使が、両腕のガトリングガンで攻撃を開始する。しかし、二人は人間とは思えない速さで銃弾を躱して力天使に肉薄した。
カイは力天使の懐に飛び込み不敵に笑った。そして、飛び込むと同時に正拳突きの準備は完了していた。そして、力を貯めこんだ一撃を力天使のみぞおちに叩き込んだ。
力天使はみぞおちが吹っ飛んだ。そして、残った部分も亀裂が走りバラバラに崩れ落ちた。
カイルは、力天使に肉薄すると、下段に構えた刀で流れる様な連撃を放ち、そのまま力天使の横を通過した。カイルが通過した後で力天使は細かく切り刻まれ鉄屑となった。
カイとカイルは、力天使を倒すと能天使には見向きもせずに権天使に向かって前進を開始した。
要塞でゲンの声が上がる。
「狙い頭部!銃士隊放て~!」
その号令で、能天使達の頭部が砕かれた。それは、一瞬の出来事だった。ドミーは敵の攻撃力を理解した。後は逃げるしかない。
≪部隊B、敵を足止めせよ!≫
≪≪了解!どうかご無事で!≫≫
権天使達は、これがドミーからの最後の命令だと悟った。能天使と力天使がなすすべもなく倒された。敵の前進速度も驚異的だった。だから、ドミーを逃がす為に最善を尽くす事にした。つまり、ここで死ぬまで敵と戦うのだ。
迫ってくるカイとカイルに向けて榴弾が発射された。しかし、カイとカイルはそれらを躱して権天使に肉薄する。
ドミーは全速力で戦場を離脱した。飛行用の燃料を惜しむことなく使い。音速を超えて戦闘領域からの離脱を図った。
しかし、要塞から小さな人影が飛び出し、ドミーを追いかけて来た。それはエナだった。エナは邪悪な笑みを浮かべつつドミーを追った。
ドミーは逃げつつ、エナにスナイパーライフルの照準を合わせて牽制射撃を行った。エナはその攻撃を難なく躱してドミーに迫る。
ドミーは、エナを振り切る為に射撃を続けた。射撃を躱すたびにエナとの距離は開いたがエナを引き離すことは出来なかった。そして、ライフルの弾丸が尽きた。ドミーは残りの魔力を全て使って自身の飛行速度を底上げした。
機体性能以上の速度を出した為、空気との摩擦熱で体の表面が融解を始めていた。それでも、ドミーは速度を緩める事は出来なかった。引き離したとはいえ、エナは依然ドミーを追いかけてきていた。
いよいよ魔力も尽き、エナが追いついてきていた。そして、エナは歌った。
「全て断て!全て絶て!敵対するものに絶望を!この世の全てを絶つ光の剣よ!我が右手に現れよ!断絶剣!」
歌の後で、エナの右手にはこの世に存在する全ての物質を両断する光の剣が出現する。それを見てドミーは死を覚悟した。
ドミーが死を覚悟した時、前方に見えたのは九体の座天使だった。熾天使に次ぐ単体戦闘能力を持つ機人達だった。それが、空中でドミーを待っていた。
座天使の飛行のための翼しかない細い円筒形の体は高速戦闘に特化していた。武装は神の白金で作られた槍と軽機関銃のみだった。まさに空で一騎打ちを行うために作られた機体だった。
エナは迷っていた。戦うべきか退くべきか。
エナが迷っている時、月読は焦っていた。予想外の出来事が起こっていた。ルシフェルがこのタイミングで情報を探る為に、座天使全員を投入して来るとは思っていなかった。
だが、今はまだ動けない。エナが正しい判断をする事を願って月読は沈黙した。魔法の貯蔵と人間の戦闘能力の向上までは知られても良かった。だが、エナの実力を把握されるのは不味かった。最終決戦時の切り札を知られたくなかった。
座天使九体程度ならエナは倒せる程に強くなっている。だが、倒している間に主天使は逃げる。エナの戦闘データを収集して……。
エナは座天使九体と対峙していた。そして、情報は隠蔽するという月読の指示も理解していた。だから、一度は目撃者全ての抹殺も考えた。
だが、エナは情報を隠匿する事が不可能だと気が付いた。敵の数が多いため、どんなに頑張っても全滅させる事は出来ない。ならば、今出来る事は何か考えた。
その結果、エナは何もしなかった。攻撃されたら逃げるつもりだった。逃げた先に居るのは、頼れる父であり姉であり兄だった。魔法による強化によって、彼らは機人を殺せる存在になっていた。
その場まで、誘導出来れば一網打尽に出来ると考えた。だからエナは、主天使が逃げるのをただ見ていた。
座天使は、困惑していた。主天使の十番ドミーが満身創痍で逃げてきた事、それを事前に知らされていた事。そして、追撃者が居た場合、死ぬ覚悟をする事を言い渡されていた。だが、追撃者はこちらを攻撃すること無く対峙して居た。
相手は十代の少女、ただの和人のエナである。だが、その右手に握られている光の剣を目にしたとき、座天使の機能をもってしても倒せる相手ではないと悟った。
そして、ドミーから通信が入った。
≪あれは、化け物です。戦わずに済むのなら、そのままの撤退を提言致します≫
≪忠告、感謝する。我々も不用意な戦闘は避けるように言われてきた。相手が攻撃しないのならば貴殿を守って撤退する≫
ドミーは死線を超えた。空気との摩擦熱でボロボロになったが和国の戦闘能力の高さを把握し、和国とエナの脅威を伝える事が出来たのだ。
戦闘を終えたエナが村に戻ってくると、桜はエナに駆け寄った。光の精霊を通してエナの戦いぶりを見ていた。その実力は熾天使に迫っていた。
「エナ。無事で良かった」
そう言ってエナを抱きしめた。
「敵を一体逃しちゃった。大丈夫かな?」
エナは勝ったことを喜ばずに、敵を逃がしたことを嘆いていた。
「大丈夫だよ」
桜は根拠もなくエナを慰めた。
「月読先生も同じ意見?」
(月読?)
(大丈夫だと答えてください)
「大丈夫だって言ってるよ」
「そっか、良かった」
エナは嬉しそうに笑った。カイ、カイル、レミ、カナタ、ゲンと銃士隊も戻って来た。みんなが戻ると、カイは声を上げた。
「俺達は機人に勝った!」
『うおおおおおおお~!』
村は歓声に包まれた。村人の数は二千人になっていた。その殆どが戦士だった。
「勝てる!勝てるんだ」「覇国に勝てる」「自由を取り戻せる」「救世のエナだ」
村人は歓喜した。自分達の力で覇国から独立を勝ち取れると本気で信じていた。
桜はそんな村人たちを見て、少し心が痛んだ。自分はこのまま守られる存在で居て良いのか?エナを戦場に送り出して、自分は待っているだけで良いのか?だが、桜は決断出来なかった。決断してはいけない気がした。




