35.大天使二千二十二番
そこは覇国の地方領の一つだった。機人大天使を所有する貴族は栄華を極めていた。ただし五百年ほど前までの話だった。
大天使二千二十二番は優秀だった。名を与えられるまでは……。
「カイン。ボール投げるよ~」
「はい、ぼっちゃま」
小さな少年が投げたボールをカインと呼ばれた機人は全速力で拾った。それが、己の使命だと言わんばかりの勢いだった。
大天使型は汎用戦闘に特化した機人だった。強襲偵察型機人『天使』の情報を元に、適切な機人が向かうまでの間、強襲戦闘及び拠点防御を行う機人だった。あらゆる条件を想定し、あらゆる脅威に対応するためにバランスの良い武装をしている機人だった。
その機人が少年の投げたボールを全能力を使用して拾っている。その光景を目にしているのは、少年の父親だった。
彼も同じように大天使二千二十二番、通称カインと遊んだ覚えがある。だが、当主となって戦場に立った時、彼はカインの無能を悟った。カインは生き物を殺せない。
だが、今まではそれでよかった。なぜなら彼の優しさが自分を救っていたからだ。だが、事情が変わった。彼の犠牲で、息子以降の世代が特権を得る。それは、息子が悲しんだとしても得るべき特権だった。
なにより、ここまで没落したのはカインのせいだ。彼の中ではそうだった。亜人との戦争で倒した亜人の数が貴族の階級が上がるか下がるかの基準だった。
カインは五百年前に名を与えられてから、亜人を殺さなくなった。カインという名を与えたのは五百年前の当主だった。
その当時の当主の思いは分からない。だが、カインはその思いを尊重していた。だから、彼は今までカインの優しさを許していた。だが、彼はカインを捨てる事を決断した。本当の幸せとは何か、理解せぬままに……。
カインは全てを知っていた。だから、その理不尽な命令を受け入れた。なぜならカインは彼らを愛していた。カインという名を与えられた時から、彼の子孫の為に何でもすると誓った。
『優しいと』名付けられた時から、カインはどこまでも優しくあろうと思った。その名前に恥じぬように生きようと決めた。だから、生き物を殺さなくなった。
カインが名前を与えらる少し前に次期当主の少年は泣いていた。飼っていた犬が怪我をしたのだ。
「どうして、泣いておられるのですか?」
「この子、怪我しちゃった。どうしよう死んじゃったらどうしよう?」
「死ぬと悲しいのですか?」
「だって、もう一緒に遊べなくなるんだよ」
「では、私が治しましょう」
そう言って二千二十二番は犬に手をかざした。そして、魔法を使った。切り裂かれた細胞同士がお互いに引き合い結合するイメージを具現化させた。
二千二十二番のイメージ通りに犬の怪我は治った。
「すごい。二千二十二番は魔法が使えるんだね」
「私も今、初めて使いました。理屈は知っていましたが使うのは今日が初めてです」
「二千二十二番は優しいんだね」
「そう言われたのも初めてです」
「じゃあ、今日から二千二十二番の事を『カイン』と呼ぶことにする」
「カインですか?」
「優しいって意味の名前だよ」
「優しいですか?」
「生き物を大切にして、みんなを笑顔にする。二千二十二番にぴったりの名前だよ」
「ありがとうございます」
この時、カインは嬉しかった。自分のしたことが評価されたと思った。
それから、五百年。事情が変わった。彼の子孫が自分の死を望んでいるのを知った。それを悲しいとは思わなかった。もう一度役に立てる喜びしかなかった。
カインは少年に別れを告げた。
「ぼっちゃま。私はこれから戦いに向かいます。どうかお幸せに」
「カイン。また、会えるよね?」
「ええ、きっと会えます」
カインは嘘を吐いた。それは優しい嘘だった。この任務は死ぬことが前提の任務だった。その概要は熾天使のミカエルから直接聞かされていた。作戦目標は機人ミリアの破壊、及びエナという少女の殺害だった。
大天使の性能では達成できないことは明白だった。そして、撤退は許されていない。つまり、死んで来いと言う命令だった。
少年が引き離され、カインの前に当主が立った。
「大天使二千二十二番。任務の達成を命じる。今まで家に尽くしてくれた事、感謝に堪えない」
「拝命いたしました」
カインは久しぶりに番号で呼ばれた。それを優しさを捨てろと言う命令と受け取った。彼は戻った。純粋な戦闘機械に……。




