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発達障害と受験勉強  作者: 小島 剛
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受験に関する勘違い

 さて、「受験」というものを考える上において、これが有害であるといいえる要因はまだある。それは不確実性に対する考え方が虚弱化するということである。


 われわれが受験をするときにする勉強といえば、おおむね以下のようなものではないだろうか?受験に必要な参考書を買ってくる。大学受験なら高校3年間で習得することになっていることが盛り込まれていて、その中でも最近の大学入試出題傾向に沿った内容になっているものである。そしてなるべく楽をして入試を突破できる文言が並ぶ。


 「これだけやれば大丈夫」

 「受験突破に必要最小限の英単語数」

 「楽しい数学」などなど。


 そうして、ある程度出題傾向が決まっていたり、出題範囲が限られている事象について、あらかじめ用意された正解を解く訓練をする。

 

だが、そもそも受験が競争と選別である以上、一定数の合格者が出れば必然的に不合格者も出る。楽をしようにも限界があるのであって、そもそも受験というは「試練」なのである。なお、現今の低レベル大学にみられる全入は論外である。


 とはいえ、この「試練」は所詮、管理されあらかじめ人間によってしつらえられたものであるから、受験にはメカニズムというものがちゃんと存在し、それを少しでも見抜ける者がいれば、その者が有利になるのは当然である。したがって、以下のような文言もよく聞かないだろうか?


 「受験は要領」


 すなわち、単に苦難の積み重ねによって合格を目指すのは、受験のメカニズムを知らない馬鹿者のやることであって、よりスマートなやり方があるという考え方である。大学入試に限らずテストというものは問題が標準化してあるので(そうでなければ正解やレベルを設定できない)「受験専門家」がどうしても現れる。それは大手予備校であり、そこで教える教員たちである。ふつう受験というものはそう幾度も受けるものではない。大学受験なら一度受かればそれで終わりである。だからそもそもそのノウハウが蓄積するということ自体が奇妙なことなのであるが、日本では受験産業が実に発達していて、あたかも「大学受験を乗り越えるために必要な勉強法全部ワンセット」が販売されているかのごとくである。


 所詮、受験という試練は管理されたものであり、それを乗り越える方法や努力も決まりきったものである。皆が同じように与えられた、標準化された試練なのであって、それは人間が生きていくうえで神から与えられる「むき出しの試練」とはおのずから異なる。だが、受験という経験日本人にとって共通のものとなり、試練というものは受験のようなものだと考える誤謬が広まっている。


 こうした傾向には重大な弊害が三つある。


まだ続きます

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