受験問題正解の真相
まず受験や学校のテストに有る「問題-正解」図式というもの自体がいったいどれだけの無理・無茶の上に成り立っているのかを理解している人が少なくないだろうか?
私は、大学学部生後半から日本学術振興会研究員に採用されるまで(おおむね1998~2002年あたり)、大学受験の問題の模範解答をつくるアルバイトをしていた。断っておくが、あれは「正解」ではない。大学が発表しないので別に業者が「つくる」のである。
私が担当していた教科は英語だった。まずそれを高校の先生などに頼んで一度解いてもらう。そしてそれをまた2番目に確認するのが私の仕事だった。大学はあらゆる学部からレベルに及んだが、たくさん売れる大学の問題を私は任されなかった。勤務態度が悪いので信用されていなかったからである。そもそも研究でいっぱいいっぱいで、そちらの方に気が回らなかったのだ。こういうところは自閉症スペクトラム症っぽいかもしれない。自分が好きではないことは一生懸命できない。また、シングルタスクに向いているので、どうしたって研究に神経が行っていれば、バイトに気が向いていかないのである。ニートたけしはビートたけしのように、一遍にいろいろできない。
そこで肝心の高校の先生の問題なのだが、さすが高校教員のことだけはある。実にたくさん間違えてくれる。だがここで高校の先生の学力が低い(それもあるが)と決めつけるのは間違っている。そもそも選択肢としても、決めがたいものが多い。そういったわけで
「この問題について、同僚のネイティブに聞いてみたのですが、その方でも判別不能ということでした」
と書いてあることも珍しくないのである。現に、
「先生、アンタの言うことわかるよ!!」
なケースはそんなもんである。ネイティブでもわからないのだ。当然、私も
「これは苦しいっすよー」
と言って、ペンディングにして渡すことが多々あった。
そもそも、このバイトを始める時に、このような注意を受けた。
「大学から『これが解答です』って模範解答が来ることがあるんですけどね、そもそもその『模範解答なるもの』がよく間違えているんですよ。それは高校の先生とかには出さないんですけどね、それが間違えていないかどうかのチェックもしているんで、お願いします」
というのである。はじめは半信半疑であったが、なるほど、大学から送られた模範解答」はよく間違えている。こちらの方がむしろ簡単に間違いを明瞭にできる。それにしても
「よくこんなんで受験が成り立つな」
の感はぬぐえない。その点に関しても業者さんの方から「我々が思うには」という推測があって、
「多分、本当の模範解答は、問題を作った人が解いているんだと思うんですよ。でもそれを本当に公表しちゃうと、いろいろ問題があるんで。大学のもっと雑用もやる人、ホラ、助手の方とかに解かせて、それを送付しているのではないかと思うんですけどね」
というのである。だが真偽のほどは定かではない。堂々と「間違い模範解答」で採点しているかもしれない。
この話に「ウソ臭い」という人は、実際に英文を作文するなり、引用するなりして、一定のレベルに問題を均質化しながら作問し、正解を設定する作業をしてみればよいのである。実に難しいことがすぐにわかるはずだ。ただ、英文を読み解けばいいというのではない。高校3年生レベルに難易度を設定し、不正解の選択肢も作り、正解は「わかる人にはわかるが、学力不足の人には選ぶのが無理」にするのである。相当な達人でなければその作業を完璧に行うということが不可能なことがすぐわかるはずだ。
そもそも、である。ある文章(英文でも現代文でも古典でも)を読むときに一つの正解をしつらえるということを社会では行っているだろうか?もちろん機械の取扱説明書のように唯一解を必要とする文章もある。だが入試問題はそれを文学的文章や評論文などで行おうとするのである。
『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」に唯一の読みがあるか?
「朝日新聞の社説」を世間ではどう読んでいるか?他紙でメチャクチャ言う人いないか?
受験問題はそんなことを知ったこっちゃない。一つの「正解」のローラーで、多様な読みを押しつぶしていくのである。自閉症スペクトラム症のニートたけしに言わせれば
「そりゃあ、『正解』への『強迫神経症』だよ。3か月精神科に任意入院したらどうだ。ミソ汁で顔を洗って、鳴尾浜から出直して来い」
とでも毒づきたくなる。