7.男爵説明する
読んでいただきありがとうございます。
日本人の感性からすると身支度にずいぶん長くかかって一階に降りていったのだが、応接用ホールで待っていたシーデーン男爵にとっては長くはなかったようだ。
姿を現した私に「ご無事で何よりです、ゲルダ様」と笑顔を向ける。怒ってはないらしい。主家の姫に怒れないのかもしれないが。
グレータさんの弟、ゲルトルーデ嬢の乳兄弟、イデオン・シーデーン男爵は、一言で言うと小動物系美少年であった。明るいブラウンの髪、琥珀に近い明るい茶の瞳。全体的な色素が明るいせいで、リスっぽい。
可愛らしい雰囲気のせいか、グレータさんに適当にあしらわれる姿が、似合いすぎるほど似合う。
がんばれイデオン君。
負けるなイデオン君。
密かに応援しておこう。
シーデーン男爵の傍にいるフィーちゃんはもくもくと蜂蜜を食べていた。まだ食べたかったのか。
ハニー・ジャンキー・ドラゴンに呆れながらも、シーデーン男爵に強張った笑顔で会釈をすると、彼はバッと頬を染める。うむ。見た目通り純朴そうだ。
「ゲルダ様、どうぞ」
グレータさんはそつなく私をソファに誘導した。
どこが上座で下座も良く分からないから助かる。
この部屋での序列第一はグリーム公爵令嬢のような気がするけれど、単なる公爵の娘と男爵位を持っているイデオン君では、彼の方が上かもしれないと思っていたから、グレータさんの誘導はありがたい。
「待たせましたね、イデオン」
「いえ」
彼女が声を掛けると、ぴしりと男爵の背筋が伸びる。お姉ちゃんが怖いか、そうか。
「お嬢様はまだご気分がすぐれませんが、話をお聞きくださるそうです。お嬢様と闇龍殿の前で説明なさい」
「はい。姉上」
物凄く上から目線でもう一回喋れ、と言われたにもかかわらず、頬を紅潮させた美少年は文句を言うそぶりも見せない。
訓練が行き届いているな。姉と弟の関係性はどこでもこんな感じなのだろうか。
「僕は四日前の事件の後、ギル様から可能な限り早く屋敷に戻って、お嬢様をお守りするように命じられました」
「王都から三日で戻って来たの」
驚いたようにグレータさん。フィーちゃんも蜂蜜から顔を上げる。
「ずいぶん早かったではないか」
「グリーム家の馬を借りられましたから」
にこにことシーデーン男爵。
一人良く分かっていない私に対して、グレータさんが「王都からグリーム公爵領まで馬車で七日ほどです」とこっそり耳打ちしてくれる。
それを私はドラゴンでひとっ飛びだったのか。
気絶していたから、実感はないんだけど。
ちょっと惜しい事をしたかな。ちゃんと起きていたら、この上なくファンタジーな空の旅を楽しめたのに。いや、気温が低くて風圧が凄そうだから、そうでもないのかな?
「四日前、というと。フォス・ホリスモス中に何かあったのですね」
懐かしそうなグレータさん。
そのノスタルジーに共感できない私。
何ですか?フォス・ホリスモスって。
きょとんとしている私に、またもや耳打ちするグレータさん。
「学生の長期休み前のお祭りです。試験終了後のダンスパーティがメインですね」
ゲルダ様もイデオン君も、どこか学校に通っているのか?学園って言葉が何回も出てきたもの。
良家の子弟が通う学校だから、レベルの高いところか?このままゲルダ様のフリを続けて復学する羽目になったらどうしよう。
勉強について行けるか不安だ。少なくとも、英・数・国・理・社の五教科ではあるまい。魔法生物学とか、闇の魔術に対する防衛術とか、そういうファンタジーな学科が出てくるに違いない。
「ええ。そうですよ、姉上。フォス・ホリスモスの間、僕はギル様のお供をしていたのです。ゲルダ様のお傍を離れたのが悔やまれてなりません。
ゲルダ様が闇龍殿を呼び寄せられた時、確かに恐ろしいほどの闇の力を感じました。
いったい何があったのですか?
ライオネル殿下は、ゲルダ様がシェリー・チアーズ嬢の才能に嫉妬して、暴力を振るったと主張されています。
シェリー・チアーズ嬢を庇った殿下まで傷を負われたそうです」
「……」
変な話になっているな。
そもそもあのキラキラ王子様は無傷じゃないか。
ビームサーベル少女だって驚いて座り込んでいたけど、捻挫だってしてないだろう。
答えられずにグレータさんへ視線を移すと、心得たりと彼女は大きく頷く。
「お気の毒なお嬢様。
身に覚えのない誹謗中傷が行われているのですね」
というのが、グレータさん、私、闇龍の公式見解だ。
よよよ、とやや大げさに涙するふりをするグレータさんに、イデオン君の方が慌てた。
「泣かないでください、姉上!
大丈夫です。ゲルダ様の無実を信じる生徒も沢山いるのですから!」
イデオン君の方がしっかりしろ。
こんなワザとらしい泣き真似に引っかかっていたら、財布がいくつあっても足りないぞ。
「良かったわ。お嬢様がそんな野蛮な真似をなさる方ではないと、多くの方が信じてくださるのですね」
「もちろんです」
学園を半分ぶっ飛す野蛮な真似をしたのは、ゲルダ様だけどね。
ハニー・ジャンキー・ドラゴンが確認済みだ。
「しかし、王子殿下の中傷を信じる方もいらっしゃるのでしょう?」
「……はい」
苦悩に満ちた顔で頷く美少年。
他人事であれば物凄く麗しい絵面なのだけど、ゲルトルーデ嬢犯人説を「誰が」信じているかによって大きく物事は変わってくる。
学園生徒の間での噂話ならまだしも、権力者が信じるとややこしいぞ。
「神殿側が、聖剣の乙女を傷つけられた、と怒っています。神殿長自身が即日グリーム公爵に抗議したようです」
ぐぬう。
権力者が信じていた。
「もちろん旦那様もギル様も否定しています。
神殿側もグリーム公爵側も、王家に潔白と相手の中傷を非難しているようです」
「では、王家のご見解は?国王陛下はどのような裁定を?」
泣き真似していたはずのグレータさんは、ギラついた目で迫る。
お嬢様の為に嘆き悲しむ侍女というキャラがぶれているけれど、大丈夫だろうか。
イデオン君相手なら、平気か。
「それは。まだ」
「光の神殿と闇を束ねるグリーム公爵と、どちらとも対立は避けたいところでしょう」
グレータさんは推理している。
対の王家だったり、闇を束ねていたり、グリーム公爵家は多才だな。
「ギル様も同じことをおっしゃっています。
陛下は、すぐにどちらに罪があるとは決められないだろうと」
「では」
「しかし神殿側は、聖剣の乙女を守るためにはゲルダ様を拘束するしかない、と言い出しました」
過激だなぁ。
バランスを取りたい王家が黙っている間に、神殿とやらは、相手を攻撃に走っているわけだ。
またもや、ちらりと私がグレータさんを見ると。
「神殿に法的な拘束力はありませんが、聖騎士団を抱えてもいます」
囁いてくれる。
つまり、強引にゲルダ様を捕まえるだけの暴力装置は存在しているわけだ。
「神殿内も一枚岩ではありません。もちろん穏健派もいれば、過激派もいます。
グリーム公爵家としても、穏健派へ接触を図って和解を探っていたところなのですが。
ギル様に、過激な一部が、既に王都を発ってグリーム公爵領へ向かったという情報が入りました。
お嬢様に危険が迫っていると分かったので、僕がお嬢様をお守りする為に、急ぎ戻って来たのです」
「ありがとう、イデオン君」
喋らない約束だったのに、思わず声に出すと、火がついたようにイデオン君は真っ赤になる。
「もったいないお言葉でございます。ゲルダ様!僕はゲルダ様の為なら、なんだってできます!」
おおう。
それは忠誠心を通り越して、愛を感じてしまう勢いだな。
身を乗り出さんばかりのイデオン君の頭を、ぴしりとグレータさんは叩いた。
目にもとまらぬ早業。慣れた手つき。
相手が男爵でも気にしないのか。流石だ、グレータさん。
「失礼いたしました、ゲルダ様。弁えなさい、イデオン」
「はい」
しゅーん、とうなだれるイデオン君。
さながら雨に濡れた洗濯物、ご主人に怒られた犬のようだ。
「それで、神殿の過激派というのは、何人でいつ到着するのです?」
「分かりません。
神殿の使いより早く到着することを目指していたので、そこまでは」
見た目どおりちょっと抜けているイデオン君。
それにしても、彼が言う通りの内容で進んでいるとしたら、かなり重要そうな話なのに、聞き流すとはグレータさんめ。
弟を蔑ろにし過ぎじゃないか。
イデオン君が重要情報を携えていないと分かったグレータさんは、怒り出しそうだったけれど、私はそっと彼女の手を押さえた。
ここで怒っていても、事態は改善しない。
私の行動に、はっ、と息を呑んだグレータさんは、冷静さを取り戻す。
「ご苦労でした、イデオン。
お嬢様をお守りするよう、貴方もお屋敷に滞在しなさい。
ギラー様にはわたくしからお伝えしますわ」
「もちろんです、姉上」
にこりと笑うイデオン君。三日も馬に乗って駆けつけてくれた上に、まだがんばってくれるとは、良い子だ。
「お嬢様はお部屋へ。
お身体の調子がすぐれないうちから、無理はなりません」
大人しくこくりと頷く。
もちろんグレータさんが言う事に否はない。
「闇龍殿は」
「余はまだ滞在する」
蜂蜜の為か、ゲルダ様の為か分からないけれど、フィーちゃんはそんなことを言い出した。
「部屋まで送ろう。出来るだけ一人にはなるな」
ソファから立ち上がったフィーちゃんは、片手差し出す。
一瞬、何のつもりか把握できなかったのだが、「エスコートをお願いしますわ」とさりげなくグレータさんが言ってくれたので、この腕に捕まるのだなと理解する。
おずおずと片手を絡ませ、グレータさんを伺うと、微かに頷いてくれる。
合格らしい。
グレータさんと共に降りた階段へ向かって、今度はフィーちゃんと歩き出す。
いくら大金持ちのお屋敷でも、階段であってエレベーターはないのだ。
「あの小僧と小娘は、怪我などしていなかった」
二人きりになった途端、フィーちゃんは低く囁く。
王子様とビームサーベル少女の事だろう。
唯一あの場に居合わせたフィーちゃんもそういうのだから、私の記憶は正しい。
しかし、事実を証明できなければ、何が皆に信じられるのか、が問題なのだ。
ゲルトルーデ・ドゥケンハイム・グリーム嬢は、じわじわと追い詰められていることに間違いはない。イデオン君がもたらした情報通りだとすれば、捕まるのはとても危険だ。
私とフィーちゃんは、三階位の高さまで吹き抜けになっている玄関ホールを歩いていく。
「玄関ホール」という言い方をすると、下駄箱が並んだり、傘立てが置いてありそうだが、このお屋敷では「玄関ホール」も立派な部屋だ。
ソファがいくつもおかれ、絵画だの彫刻だのが飾られている。
ふと、私は、二階へ向かう階段へ視線を上げる。
吹き抜けのホールには。物凄く大きな絵が飾られていた。
青く透き通った空を背景に、黒々とした巨大な竜が蹲る。
竜に比べれば、小人のように小さい二つの人影。
一人は天まで届く光の槍を。もう一人は同じように闇の槍を。
人の姿は小さすぎて、男女の別も分からない。
ベットでの天蓋にも描き込まれていた意匠。
打たれたように、私は思い出す。
知っている、この絵を。
これは、恋愛シュミレーションRPG「聖王国リヒトと剣の乙女」のパッケージイラストだ。
腕を取って隣に立っているドラゴンを振り仰ぐ。ゲルトルーデ嬢の頭は、彼の肩までしかないのだ。
中性的な美貌。仄かに輝く銀髪、宝石みたいな青い瞳。黒尽くめ。
このキャラクターを知っている。
「あなた、もしかして、フィアツハイブルグ」
「余は初めからそう言っている」
憮然とした様子のフィアツハイブルグ。
「聖王国リヒトと剣の乙女」は、昔かなりはまり込んだゲームだ。
それの良く出た2.5次元の舞台の如く、私の前に広がっていた。