3.ドラゴン再登場
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ベッドの上で唸っている私と、困ったように見守っているグレータさんの元に、慌ただしく知らせがやってきた。
「グレータ様!」
激しくノックが鳴り響く。
ノックって、二回とか三回ではなく、返事があるまで鳴り響くものだったらしい。
こんこんこんこんこんこん、とキツツキ並みの激しさだ。
「何事ですか?」
答えるグレータさんは、きびきびしている。デキる女っぽくて、カッコイイ。
「お嬢様の寝室ですよ。静かに」
「申し訳ございません。グレータ様。シーデーン男爵閣下が、急ぎお会いしたいと」
「イデオンが?あの子、いつの間に王都から。……お嬢様は療養中です。お逢いにはなりません」
「いえ、グレータ様に」
不思議そうに、グレータさんが首を傾げる。
心配そうに私を振り返ってから「お嬢様は大変お疲れです。わたくしが戻るまでお静かにお休みいただくように」と指示している。
つまり私と他人がしゃべるのは禁止と言う訳だ。
私が公爵令嬢ではない、という事を知っているのは、限られた人数なのだと思うべきだろう。
「お嬢様。すぐにお嬢様のお好きな蜂蜜入りの紅茶を淹れてまいります。
もう少しお待ちになって下さい」
優しく言い聞かせ、けれど有無を言わせず私をベッドに押し込む。さっさと天蓋のカーテンを引いて、私の姿を隠してしまうあたり、用意周到だった。
それにしても、手慣れているな、この人。
主人と入れ替わった私が相手だからではなく、公爵令嬢にもこういう態度なのだろう。お姉さんというか、お母さんというか。
公爵令嬢の乳兄弟イデオン・シーデーン男爵の姉だというから、小さなころからお世話係だったのだろうか。
公爵令嬢に対する思い入れの深さから鑑みても、相当大事にしてきたのだ。
こんなに大事に思ってくれている人がいるというのに、公爵令嬢は何をそんなに絶望したのだろう。
押し込まれた布団の中から見上げると、そこは天蓋の内側だ。
昼間なのに天蓋のカーテンはかなり光を遮る。
薄闇の中で、ベッドの天蓋に描かれた絵画が浮かび上がる。ホント貴族。凄いわ。ただ寝るだけの場所に、美術館並の絵画を飾ってしまうんだから。
長い金髪と長い黒髪の人物の二人が、光の槍を掲げて、強大なドラゴンの前に立っている絵だ。どこかで見たことあるなぁ。
物凄く引いた絵で、二人の人物が男か女かすらはっきりしない。
巨大なドラゴンの縮尺的にそう描くしかないという事か。
「あのドラゴンも、大きかったし」
顎まで引き上げたフワフワ羽毛布団を堪能しながら呟くと、
不意にベッドの上に人が現れた。
「あれは余の母上の姿だからな」
「うひぃ!」
何だ。今度はお化けか幽霊か!?
「そんなに驚くな。二度目だろう」
何処からいつの間に侵入したのか、ドラゴンの美人がベッドの上に座っていた。
膝ぐらいまで届きそうな長い銀髪は、仄かに発光していたる。蓄光塗料みたいだ。そのせいで薄暗かった天蓋の中が、良く見えるようになる。
あの真っ黒ドラゴンの容姿は。
銀髪、青い瞳、青白い肌。衣装は、墨のように真っ黒。鱗が服なのかな。
そして、イケメンの大特価セールでも起きているかのような美貌だった。いや。いや。アイドルとか俳優っていうより、彫刻みたいだわ。
天使像のような、中性的な美男子です。目の保養です。ありがとう。
「え、あ、あの?ドラゴン?」
「そうだ」
うむ、と重々し頷く。
「お前が余の事を思い出すまで、傍には寄れなかったのでな」
呼ばれるまで部屋に入れない吸血鬼的ルールがあるのかな。
「さて、客人よ。これからどうするのだ?」
答えは私の側にあるかのようなドラゴンの態度だ。
どうするのだと聞かれても、私にも分からないよ。むしろ私こそ、どうしたいのか教えて欲しい。
「どうする、と言われても」
「余のゲルダの願いはこの世の全てを滅ぼすことだ」
さらりと言われるけれど、かっ飛んだお願いごとだ。
魔王がよく「人間を滅ぼす」とか「世界を支配する」とか言うけど、実行するのは大変そうだ。公爵令嬢は、どうしてそんなことしたくなっちゃったんだろう。
「私はそんな人型決戦兵器じゃないですよ」
「むう。しかし、ゲルダが命を捧げて引き寄せた最強最悪の凶霊なのだろう?」
なんと。無自覚ながら、私は最強最悪の凶霊になっちゃっていたのか!
自分の名前が出てこないことよりも、驚きだよ。
日本の小市民だったはずなのに。
しかも、命を捧げてって。それはつまり。つまり。
「この身体の持ち主は、死んでるんですか?」
勇気を持って、あけっぴろげに尋ねると、ドラゴンは実に悲しそうな顔をした。
「おそらくは。
余がお前の姿を見た時には、ゲルダの魂は、この身体から離れて周りを漂っていた。
今は、何処に行ってしまったのか余にも分からなまい」
それは、十中八九死んでいるのと同じですよね。
「余のゲルダが、命を捧げて望んだことだ。
客人よ。どうするのだ?王都まで行ってひと暴れするか?余が手伝えば、一日もあれば、皆殺しにできよう。
逃げ出す人間どもを捕まえるのは、少々苦労するだろうがな」
物憂げな美青年風でありながら、口に出すのは大量虐殺計画であった。
流石ドラゴン。発想が人外だ。
グレータさんが何度も「あの邪龍」と言っていたのも、咎められないじゃないか。
それにしても、「闇の精霊は静けさと安らぎ」って言ったの誰よ。凶霊召喚なんて、十分凶悪な魔女の所業じゃないか。
「いや、それはちょっと」
「一人でやりたいのか。責任感が強いな。流石余のゲルダが選んだ凶霊だ」
驚きつつもなぜか満足そうなオオトカゲ。
いやいや、なんですか。その、責任感が強い凶霊って。
私は決して「獲物は渡さない」的な意味で言ったわけじゃないです。
「大量虐殺計画はご遠慮したいのですが」
「余のゲルダの願いを叶えてやらないのか?」
ドラゴンの表情が一転して厳しい。それもコワイ。
つい「頑張ります」と言ってしまいそうなほど怖い。
しかし、迫力に負けて、なりゆき大量虐殺は嫌だ。そもそもできないでしょう、そんなこと。私が大量虐殺に走るなら、テロしか思いつきませんよ。
「さっきから、余のゲルダって言ってますけど、ドラゴンさんと公爵令嬢はどのようなご関係で?」
ドラゴンは不思議そうに眉を顰め。
「余はゲルダの騎士だ。
ゲルダがまだ五歳だった頃。わが住処に登ってきおった。攫って愛でようと思ったら、逆に説教されてな。
美しい娘を愛でる悪いドラゴンから、姫に仕える良いドラゴンになろうと思ったのだ」
「……思ってた以上にメルヘンな理由ですね」
ドラゴンって光物が好き説があるけど、お姫様に仕えたくなる、そう言う生き物なのか?
「ゲルダの絵本に載っていた。由緒正しいドラゴンの生き方だ
きっと母上もお喜びだろう」
何の疑いもない純粋な目が、辛い。
どうしてドラゴンの模範的生き方が、幼女の絵本に載っているのか。このドラゴン、チョロすぎないか?公爵令嬢は、無意識に騙しているぞ。
絵画の題材にされるレベルの母上は、泣いているんじゃないか。
「ゲルダの騎士なのに、余はゲルダを守れなかった」
ドラゴンが肩を落とす。美形が目を潤ませているのはとても絵になるのだけど、何ともちぐはぐな印象だった。
ゲルトルーデ・ドゥケンハイム・グリーム公爵令嬢。
彼女は、責任感の強い凶霊を召喚して、死んでしまった。
その願いはこの世のすべてを滅ぼす事。
この純粋ドラゴンを、絵本で騙した公爵令嬢。
出来る女グレータさんが、大切にしているお嬢様。
婚約者の王子様が好きだった、次期公爵を産むべき大貴族のお姫様。
そして、私が受け取った、胸が千切れそうな絶望の感情。
周辺事情を少し聞くだけでは、とても大切にされた幸せそうなお姫様だというのに、彼女の願いは凶悪すぎる。
「ドラゴンさん」
「余はフィアツハイブルグという」
そんな舌噛みそうな名前は覚えられません。
「……ドラゴンさん」
「フィアツハイブルグ」
「フィーちゃん」
「好きに呼ぶがいい」
わりとすぐに投げた。
根気がないとみた。
絵本で騙されるレベルだからなぁ。顔が良くても、頭はトカゲ並かもしれない。
「お前が何か失礼な事を考えているのは分かるぞ」
「すみません、すみません」
即謝る。
ドラゴンなんて、出てくれば即大物、ラスボス決定だ。いくら公爵令嬢の身体に間借りしているとはいえ、小市民が勝てるとは思えない。
「正直な所、私はゲルダさんと直接話して『あれをせよ!』という命令を受けたわけじゃないんですが」
説明と同意が不十分だという事を訴えてみるが、ドラコンは不思議そうに首を傾げる。
「この世の全てを滅ぼすのだ、と言われただろう?」
ああ、あれですか。やっぱり。
「私は引き受けたつもりはないんですが」
「客人よ。そなた、名前を失っているだろう」
唐突に私の記憶が混乱していることを見抜くドラゴン。
どうして急に冴えたことを言い出すのだ。
お姫様に絵本で騙されるチョロゴンとは思えない。
「どうも、そなたは余に対する敬意が足らん。余こそ、魔峰ファイヤーリヒブルグの主ぞ」
えへんと胸を張る、擬態美形・正体オオトカゲ。
「またまた覚えられない固有名詞が出てきた」
「……忘れて良い。余の故郷、母上より賜りし麗しのファイヤーリヒブルグは、お前が覚えられなくとも、価値は下がらん!」
随分と拗ねる。
たいそうな美青年だけど、彼の背後から「故郷」の歌詞が流れてきそうだ。
「なんとか山の主さん。申し訳ありません、こちらの事には疎くて。私が名前を思い出せないのは、ご明察です」
ポンポコ山ぐらいの軽さで謝ると、ちょっとドラゴンさんは傷ついていたが、立ち直ることにしたようだ。
「そなたが余の事を知らないのも、ゲルダの事を知らいなのも、もしやこの世界の命ではないという事か」
「そうですが?」
自明の事として頷くと、ドラゴンさんにとっては想定外だったようだ。
「……そうか、それはまた珍しい」
難しい顔で腕を組むドラゴン。
近くの恨みを持つ悪霊を呼び寄せるはず、異世界からなどありうるのか……。などなど、ぶつぶつ言っている。
しばし独り言を呟いてから、彼は私がゲルトルーデ嬢ではないと思い切ったグレータさんと同じように、深呼吸してから仕切り直した。
「つまりそなたは、この世界の事は何も知らない死霊だという事だな。
リヒトシャッテンという人間の国の事も、闇龍フィアッハイブルグの事も」
「そうです。ご教授いただけると恐縮です」
素直に頭を下げておく。