愛しいあの子
「「あ」」
クラークと分かれて30分後、アリシアが城に帰ってくると裏口の辺りでコソコソと侵入しようとしていたクラークと出くわした。
「……どーもー」
そのまま強行突破しようとするクラークにアリシアは慌てて駆け寄る。
「待ちなさい」
「ぐっ……」
クラークの首根っこを掴み動きを封じると首がしまったのか、情けない声を上げて抵抗をやめた。
「あなた城に用があったんですか」
「え、まぁ……城にはないんですけど、城にあるものに用がある、というか」
「はい?」
「いえいえー。
ちょっと城に用がありまして。はいー」
会ってから1時間も経っていないのだから当たり前だが相変わらず気の抜ける間延びした口調と声音だ。
「なら正面玄関から入ってください。
職員以外は基本的に正面入り口から以外の入館を禁止していますので。
というより窓から入ろうとしないでください」
「僕玄関からは入れないんですよ」
「……あなた前科持ちなんですか?」
「そういう意味じゃなくてですねー……ほらなんて言うか」
言い淀むクラークにアリシアは平然と質問を重ねる。
「人見知りで正面玄関の検問で人と話すのが嫌だとか?」
「あのー、僕そんなふうに見えますー?」
「いえ、全く」
むしろアリシアには人見知りなんて言葉とは無縁そうに見える。
が、人は見かけによらないと言うし実際のところはわからない。
「ですよねー?
だって僕、人見知りなんて言葉とは無縁ですし」
やはり無縁なことは確からしい。
「じゃあなぜ窓から入ろうとするですか。
やはり不法侵入ということですよね」
「不法侵入じゃないですって。
宰相さんには話を通してありますから」
「なら尚更窓から侵入なんてしなくていいでしょう」
そう言って窓に足を掛けていたクラークを引きずり下ろした時後から足音が聞こえてきた。
「アリシアちゃん?
そんな所でなにして……」
「…………」
クラークの姿を認識すると不自然に言葉を切ったセシルの目が鋭くなったことにアリシアは気が付かなかった。
「クラークが窓から城に侵入しようとしてたから止めてるの」
「へえ」
「へえ、じゃなくて。
セシルはクラークが来ること知ってるんでしょう?毎度のことなんだろうし窓から侵入なんてしないように言っておいてよ」
アリシアの言葉にセシルは数秒黙り込むといつものように笑った。
「あー、ごめんごめん。
アリシアちゃんは知らないんだよね。
チェシャ猫はアリスのせいで建物の“入口”からは入れないんだよ」
「……なにそれ?」
アリスと建物の入口から入れないことと何が関係あるのだろうか。
というよりも入れない、というのが意味がわからない。
「多分見た方が早いと思うよ。
チェシャ猫、見せてあげたら?」
「そうですねー」
「そうと決まったら裏門まで行こうか」
2人が勝手に歩き出したのでアリシアは彼らを呼び止める。
正門の方が近いのだからわざわざ裏門まで行く必要がないのではないか、そう思い声をかけるとクラークは苦笑いを浮かべた。
「正門だと目立つのでー」
ますます意味のわからないことを言われてアリシアは頭の中に疑問符を浮かべながらも大人しく2人について行くことにした。
裏門までの移動時間は暇つぶしがてら3人で会話をしていたのだが、その時に分かったことは意外にもセシルとクラークが仲がいいということだ。
意外にもというのも変かもしれなが、何となく違和感があるのは何故なのだろうか。
セシルは人当たりがいいし、クラークも人見知りをするタイプではないのだから当然仲は悪くないはずだ。
それにこれはアリシアの勝手な考えだが性格も割と似ている印象があるように思う。
相性は悪くなさそうなのに何となく意外だ。
「着いたね」
「ですねぇ。
ではちゃんと見ていてくださいねー?」
セシルとクラークの言葉に我に返ったアリシアは歩みを止めてクラークを見る。
すると彼は裏門をくぐるべく歩みを進めて、その足が裏門を超えた時、アリシアの目の前にいた。
「……え」
何故かクラークと目が合う。
「いま……」
城にはいるためにアリシアに背を向けて裏門へ足を踏み入れていたにも関わらず。
「どういう、事」
「アリスの呪いだよ」
「呪いとは失礼ですね。
魔法ですよ」
クラークはそう言うと気の抜ける声でこう言った。
「アリスが僕にかけてくれた魔法ですよー」
アリスがかけて“くれた”
「この役をつけてもらった時に一緒にね」
つけて“もらった”
明らかにクラークはアリスを肯定する側の人間だ。
それがこの国ではどういう意味を持つか彼は分かっているのだろうか。
「あー、やっぱり君には言ってもわからないですよねー」
不穏分子
そういうのに相応しい人間だとアリシアはこの時確信した。
「アリシアさんは当然アリス否定派ですもんねぇ」
「アリシアちゃんだけじゃなくほぼこの国の人間はアリス否定派だよ」
「あはは、そうでしたねー」
若しかすると異常なほどにクラークはアリスに心酔しているのかもしれない。
こんな呪いとも言える魔法をかけられてもなお憎むどころか肯定すると笑顔で言えるなんて、普通じゃない。
「君たちが普通じゃないんですよ」
チェシャ猫がアリシアの心を読んだようにそう言ったとき、彼はただ笑っていた。
やはりあの、人好きする笑顔で。
アリシアの心を揺さぶる。
この笑顔を自分は昔に見たことがある、そんな気がしてならない。
けれどなにか思い出そうとすると頭が割れそうなほど痛んで、考えることすら叶わない。
「“アリス”がこの世界のルールだと言うのに…君たちは愚かだ。
もう気がついているんじゃないんですか?
この世界はアリスを中心に回っている」
「…………」
「そうでないと僕達はここに存在できないから」
その後の彼の笑顔は晴れやかで、無邪気な子供のような表情だった。
「存在できないなんて、そんなこと……」
そんなことあるわけない
そう告げようとした時にはもう彼の姿はどこにもなかった。
「ーーっ」
人が消えるなんてあるはずがないのに確かに彼はアリシアの目の前から忽然と姿を消した。
困惑からセシルの方を見ると彼はアリシアが今まで見たことがない鋭い目付きをして、クラークが消えた場所を見つめていた。
「……まさか」
セシルの鬼気迫る表情にアリシアは息を呑んだ。
何かとても大事なことに気がついたようなそんな表情に困惑を隠しきれない。
「…セシル?」
「………………」
「セシル?
なにか気がついたの?」
そう問いかけるとセシルはアリシアを見ていつもの笑顔で笑いかけた。
「なにも」
何も、なんてそんなわけが無いのは見ればわかるのに彼は誤魔化してアリシアを置いて歩き出した。
証拠がないから下手に口にしないのか、それとも他に言えない理由がなにかあるのか。
そんなことを考えながらアリシアはセシルの考えたであろうことを口にした。
「……もしかしてクラークがアリスと繋がってるとか考えてたの」
「いやそれはないと思うよ」
「どうして」
即答、と言っていいほどの一瞬の時間で否定されアリシアは眉を寄せた。
「アリスと繋がってるのならあえてアリスを肯定する台詞は言わないかな、と思って。
注目を集めるのは得策ではないし、何より否定派を演じていた方が都合がいいはずだからね」
「……じゃあ何を考えていたの」
「………………」
セシルは何も答えずアリシアを一瞥すると薄く微笑んだ。
その表情は恐ろしいほどに美しく、これ以上深入りするなと暗に告げる威圧感があった。
「さてアリシアちゃん帰ろっか?」
「……そうね」
そう言って一歩踏み出そうとしたとき唐突にノアの言葉を思い出した。
『時計の針は君にしか進められない。
けど時計を進めるのは君じゃない』
アリシアの頭の中でこの言葉が渦巻く。
この時アリシアは自分が何か大切なことを忘れているような気がしてならなかった。