商人
クラークが唐突に姿を消してから、事務処理をこなしている間も彼と白ウサギの言葉が頭から離れない。
仕事中だから忘れようと思うのに何故かあれらの言葉がとても重要な意味を持っているような気がしてならない。
馬鹿馬鹿しい、こんな意味のわからない言葉など気にしなければ良いのに
そう思いながらもアリシアは考えてしまう。
「……ふう」
答えの出ないことを考えているうちに今日すべき書類仕事が終わってしまってアリシアは途方に暮れる。
「なんかすることない?
書類終わったんだけど」
「なら予定変更して今日、2人で公爵の所にお茶会のお誘いをしに行こうか?」
公爵、そう聞いてただでさえあまり無い表情が消える。
「……一人で行ったら?
私いま書類が溜まってて」
「今さっきなんかすることない?って言ってたよね?」
にこりと不自然なくらい明るく笑い身支度を始めたセシルを見て諦めたアリシアは、無言で支度を終えて部屋を出た。
「アリシアちゃん」
「……なに?」
無言で廊下を歩いていると名前を呼ばれアリシアはセシルを見上げる。
「今日鏡みた?」
「見てないけど」
「……相変わらずだなぁ」
呆れたように言われてアリシアは何故そんなことを聞かれるのかと眉を寄せる。
「なに?なにか付いてる?」
「……付いてるっていうか、付けたというか」
「なにそれ?」
意味のわからないことを言われるものだから、窓ガラスを眺めて、ガラスに映る自分の顔を見つめるが特におかしい所はないように思う。
「髪止め気に入ってくれると嬉しいんだけど」
「え?髪留め?」
慌ててガラスに背を向けて髪止めを注視すると時計をモチーフにしたリボンが付けられていた。
「な、に、これ」
「……俺のと同じデザインなんだけど、ほらこれ」
そう言ってネクタイ代わりについていたそれを指さす。
「……きも」
「酷くない!?」
その時ふとこのデザインを昔に見たことがあるようなきがした。
セシルが付けていたのならずっと見ていたのだろうから見覚えなどあって当たり前なのだが、そういう意味ではなく……いつから、彼はこれを付けていただろうか。
彼の襟元を眺めるとそこにあるのが当たりまえのように見慣れたような感覚を覚える、リボンがある。
けれどいつからこれを付けていたのか、はたまた出会った頃から付いていたものなのか、なにも思い出せない。
「それ、いつから付けてたっけ」
こんなことが思い出せないなんてどうかしている。
そう思いながら横目でセシルを見ると薄く微笑んだまま何も言わない彼と目が合った。
「セシル?」
「…“最初から”だよ」
鈍くアリシアの頭が痛む。
そうだ、何を言っているのだろうか
最初から彼はこれを付けていた、そのはずだ
「そうだったよね。
なに、宰相はこれを付けないといけない決まりでもあるの」
そんなことを言いながら歩き始めた2人の前を兵と客人が横切る。
ピンク色の毛先にかけて色が濃くなる独特の色味をしている髪の男だ。
その時その男と誰かが重なる。
「…………どこかで見たことあるような」
「ああ、アリシアちゃんは知らないか。
正式に宰相に就いたのは一月前だもんね。
彼は鏡の様子を見に来る宰相だよ」
「……鏡の様子を見に来る……?なにそれ」
鏡の手入れをするとかならまだしも様子を見に来るとは意味がわからない。
それに売りに来る訳でもないのに商人というのも変な話だ。
「やっぱり意味が分からないよね?
俺もよくわかんないし」
苦笑いした彼が次に口を開いた時アリシアは呆れて言葉も出なかった。
「………………」
「そんな目で見ないでくれるかな?
俺がヤバい奴みたいでしょ」
「みたいなんじゃなくて、ヤバいやつなんでしょ」
「相変わらずの毒舌だね」
呆れているようでもあり、楽しそうでもあるその顔でセシルはふと笑う。
「“この世界の真実を映す鏡”なんて信じられないよね。
俺も信じられないしね」
「この世界の真実を映す鏡、ねぇ」
商人はこの世界の真実を映す鏡とやらの様子を見に来ているらしい。
それがアリシアには胡散臭く思えて仕方が無い。
「俺も実際に見たことがあるわけじゃないけど、何でもその鏡は“この世界”の全てを写してしまうらしい」
「……全てって…」
随分と壮大な言葉に思わず笑ってしまいそうになる。
真実を映すと言うだけでも現実離れしているのに全てを映すなんて、もうはやあきれるのを通り越して面白く思えてくる。
「うん。
その鏡の前に立った人物の過去が映し出されたり、その人の知りたいこの世界の事実が映るとか」
セシルはそう言うと“信じられないよね”と言って笑った。
「まぁでも、それがあるからあの商人は来てるんだろうけど」
「でも俺かれこれ7年くらいここで働いてるけど、その鏡1度も見たことないんだよね」
それは尚更本当にその鏡が存在するのか疑わしい。
「……それがもし本当に存在するんだとしたら」
「アリスと白うさぎの行方がわかる?」
「……え、あぁ、うん」
まるで考えを読んだのかと思うほど的確に言い当てられてアリシアは驚きから言葉が詰まった。
セシルはアリスへの嫌悪感が無いせいなのかそんなにアリスと白うさぎを捕まえることに熱心ではないし、業務上気にしている程度なのに何故この時彼はそう思ったのだろうか。
若しかすると思っていても言葉には出さないタイプなのかもしれない、がアリシアはそうは思わない。
そんなアリシアの思考を知ってかしらずかセシルは微笑む。
「アリスは白うさぎを追いかけるからね」
噛み合っているようで噛み合っていないセシルの言葉にアリシアは違和感を覚えながらセシルを見つめる。
「その点ではこの物語も変わらないし」
「……物語……?何言って……」
意味がわからず眉を顰めるアリシアになど気にせずセシルは言葉を続ける。
「でもそうだなぁ……もし本当に真実の鏡があるとすれば」
セシルはそこまで言うと言葉を切ってから一瞬真剣な表情を浮かべてまた微笑んだ。
「アリシア、君の過去も分かるかもしれないね」
「…私の……」
その微笑みが意味ありげに薄気味悪く見えたのは彼の顔立ちが整っているせいなのだろうか。
いや、何も考えてはいけない。
セシルがなにか隠しているわけがないのだ。
そう、アリシアは知っている。
自分の記憶も当然気にならない訳では無いが正直自分の知らない自分の過去を知ったら、どうなるのか恐ろしくも思う。
自分が忘れてしまうほどの記憶、もしくは忘れたいと思った記憶がそこにはあるはずなのだ。
それを受け止める勇気は少なからず今のアリシアにはない。
「まぁ、そんな鏡“この世界”には無いかもしれないけど」
その時のアリシアは、何故か楽しげに笑うセシルを戸惑いながら見つめることしかできなかった。




