火の国
TwitterのDMにて、純文学っぽくはないと思います――との意見を頂きましたので、
純文学とはなんぞや……ということを考えながら一筆しました。
明治維新による廃藩より前の時代、肥州と呼ばれた肥後の国より、かの土地は「肥の国」という名をなした。また、かの土地には阿蘇という名の火山が存在した。ゆえに肥あらずして、「火の国」という表記が主となった。藩衆はこの名に劣らぬようにして、男は勇み、女は気丈かつ男に献身する態度を志した。明治後もその土地色はさんざめき、今もなお肥後の人々は、「火」の人々であろうとする。
そのような「火の国」に生を落とした私は、およそ人間と呼べるような形をしておらず、まるで欠陥品としてそこにあるような物であった。しかし、その異形を知る者は他ならず、私自身だけであり、このことがまた一層、私が異質であることを裏付けた。
男としてその生命を全うするはずの私であったが、その志しは、どうも献身に近いようであった。病に倒れた母のために毎日米を炊き、掃除、洗濯、風呂焚きなどをした。また貧弱であった私は、田畑の仕事に精を出すことはできず、役割としては女のそれであった。
二人の兄がいなければ、恐らくは我が家の血は後世に残すことはままならなかったであろう。それは、私が異形というだけでなく、それよりももっと前、食うことができずに餓死していたに違いないということである。
人間の生命は食わなければ維持できぬ。命を火とするなら食物は空気である。空気なくして火は起こらぬことは、世の常である。しかし私は異形だ。男であるなら空気を作り、または奪う。そうして火を維持し、屈強なものへとする。しかし私は与える。一人空気を占領せず、与えるのである。母が子に与えるよりももっと多くの空気を、特別な異性よりも艶やかな空気を、私は与えるのである。
兄たちの火と比べるに、確かに私の火はか細い。一寸先も照らせぬほどに弱い。しかしどうであろうか。その色はどの火より赤い。照らす赤ではない。それはまるでつぶされたザクロのような、輝きはせずとも、それ自体が赤と言えるような、そんな色をした火なのである。
ゆえに、私は人間あらざるして異形であるのだ。
熊本出身ではありませんので
気を悪くされた方には謝罪したいと思います。