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ミュートの海

作者: 山口ネイ

 なにも、聞こえない。鳥のさえずりも、木々のざわめきも、自分の心臓の鼓動さえも。

 あなたが必死に口をパクパク動かしても、私には、聞こえない。

 

   † † †


 ザザーン、ザザーン。

 きっと、口を動かす君は、そう言っているのだろう。

 でも僕には、君の声は聞こえない。

 

(綺麗だね)


 手を使って、僕に夕焼けビーチの感想を伝えてくる。

 砂浜はオレンジに染まり、水平線に紅く燃える円が沈んでいく。


(そう、だね。とても、きれい、だよ)


 僕は不器用ながらも、同じように手を使い、素直にそう伝えた。

 すると君は、なぜかぷくっと頬をふくらませた。


(そこは、君のほうが綺麗だよって、言わなきゃ)


 しまった。君は、僕の鈍感さをちっとも分かっていない。まさか『綺麗だね』に、そんな意味があるなんて、疎い僕には分からない。例え、手話でなくたって気づくことはできないだろう。


(君の、ほうが、その、……きれい、だよ)


 手話初心者の僕は、恥ずかしさも相まって、かなりたどたどしくそう伝えた。


(ん~、合格!)


 流暢な手話で、微笑みながら、君はそう言う。

 僕はそれを見て、自然と笑みがこぼれてしまった。

 そして、二人で静かに、広い太平洋を眺めた。

 波の音が聞こえない。

 今、地球には、空気が無い。

 戦争が増えたせいか、科学が発展したせいか。原因はよくわかっていないが、地球を守る役目の磁気圏がほとんど無くなり、太陽風にすべての大気を削り取られてしまった。

 人類はその事態に各々で対応、適応していき、なんとか生き延びている。そのなかでも僕らは、特殊な薬を投与することで、空気が無くても生きていけるようになった。

 動植物たちも絶滅と進化を繰り返している。

 地表の温度が低下し始めているのも確認されている。きっと、この太平洋もいつかはすべて凍りついてしまうのだろう。

 空気が無いから、音はもちろん聞こえない。

 ひょいっと僕の顔の前に出てきた手に、意識を戻される。

 

(どうしたの? お腹痛いの?)


 僕の顔を覗き込みながら、君は流暢に話す。

 磁気圏消失より少し前に聴覚を失ったため、僕なんかより手話が上手だ。もちろん、普通に話すこともできるけど、情報を受け取るためにも手話の勉強は必要だった。


(だいじょうぶ、だよ)


(ならいいけど……その……)


 どうしたのだろう。いつも流暢に話すくせに、珍しく手が止まっていた。

 僕が首をひねっていると、暗い顔で、続けて手を動かし始めた。


(その、私と一緒だと、いやだったり……する?)


 僕は手話など忘れて、思いっきり首をふった。嫌なわけがあるか。


(だって、暗い顔で俯いてるんだもん)


(ごめん、ちょっと、考え事)


(もしかして、まだ、引きずってるの?)


 僕は、何も言えなかった。そのとおりだ。大好きなギターが弾けなくなってしまったのを、まだ引きずっているのだ。正確には弾けないのではない、弾いても音が出ないのだ。

 空気が無いなか、多くのミュージシャンたちはいろいろ工夫した。完全な視覚的パフォーマンスにのめり込んだ人、電磁波や電波を使って直接脳に音楽を届けようとして失敗した人。

 政府が、脳波の送受信を可能とする『テレパスシステム』を開発中だと発表したが、それによって音楽を伝えられるということはできないと噂されていた。


(ねえ、宇宙は真空なんだよね?)


 ふいに、君はそう言った。

 僕は、そうらしいよ、と答えた。


(じゃあさ、爆弾が爆発しても、爆発音は聞こえないの?)


 僕は、君が何の話をしているのか、さっぱりわからなかった。


(もし、聞こえないならさ。宇宙で戦うロボットアニメって変だよね)


 僕は、ただ静かに、君の手を見ていた。


(空気が無いのに爆発音が聞こえるなんて、変だよね)


(それは、無音で、爆発したら、迫力が、ないじゃないか)


 僕は、それにすかさず答えた。

 君は、そっと目を伏せて、手を、動かした。


(私は、空襲警報も、爆弾の音も、銃声も、泣き声も、聞きたくない)


 ――そうだ。

 そうだった。

 君は、そう言い、耳を、捨てたのだ。


(でもね、私、後悔してるの。あなたの声もギターも、もう少しだけ、ききたかった)


 僕は、無意識に立ち上がって走り出していた。


(ちょっと、どこ行くの?)


 僕は、ちょっと待ってて、と慌てて伝え、再び走り出した。

 全速力だったから、すぐに着いた。

 自宅のドアを乱暴に開け放ち、靴も脱がず、自室に直行。部屋に飾ってあった、埃をかぶったギターを持ち、玄関を走り抜ける。そして、とにかく走った。


(おまたせ)


 僕は、砂浜に座り込む不機嫌そうな背中に、そう言った。


(ホントに、一体どこに行って……)


 君は、目を丸くした。

 僕は、君の隣に座り、ギターを抱える。

 そして、弦をはじいた。

 なにも聞こえない。だから、さらに弦をはじく。


(ほら、歌ってよ、君が)


 ――君は口を開き、動かし、無い空気を揺らそうとする。

 君は、僕の心を揺らしたのだから。

 だから僕には、君の歌が聞こえる。

 だから僕は、君に届かない音が届くように、指を動かす。

 たとえ、たとえ空気が揺れなくとも。


 静かに揺れる水面に、蒼く凍える円が、浮かんでいた。









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