マインツ編9★
翌日、臨時市議会が開催された。広場にはことの顛末を見届けるために大勢の人が詰めかけている。みな公示人が現れるのを今か今かと待ち構えている。もちろんその一団の中には千崎やジャンの姿もあった、フリッツは警備兵として教会の警護をしているようだ。
教会からぞろぞろと議員たちが出てくる。この議会が開始されたのは今日の早朝である、そして今は昼過ぎだ、大体1日の4分の1くらいは話し合っていたということになる。
議員たちが教会を後にしてからしばらくして、公示人が広場の民衆の前に姿を現した。曰く、これまで商工会に認められていたあらゆる特権を廃止すること、既存の議会を解散し新たに選挙にて議員を選出することが決議されたらしい。
「ジャン、どう思う?」
「どう思うって、この決議について?」
「うん」
「どうといわれても、今のところは想定の範囲内だと思うよ。むしろ問題はここからだ、議会が決議しても司教の承認を得ないと意味がないからね。司教が手を打つとすれば時間的に猶予のあるこの数日間になるだろう」
公示を聞いた民衆たちも想像通りの結果だといわんばかりの顔で足早に帰っていく。一方でジャンはその場にたたずんで何か考え事をしているようだ。
(ジャンも何か行動を起こすつもりだろうか……)
広場を埋め尽くしていた群衆はすでにほとんどが自分の仕事をしに戻っており、残されたのは数人と教会の周りに張り付いた警備兵だけであった。
千崎は石像のように固まってしまったジャンをその場に残して、仕事場である鍛冶屋へ向かうことにした。彼は物思いにふけり、うつむきながらコツコツと石畳の上を歩いていく。
「今日の午後、召集がかけられている。日没とともに決行だ」 何者かに急に耳元でささやかれる。
驚いて振り返ると、そこにはフリッツの後ろ姿があった。
(彼もジャンによって反マルコ派に引き入れられたんだな……)
決行というのはマルコ邸の強制捜索のことだ。これが吉と出るか凶と出るか、いずれにせよ今晩で大きく状況に変化があることは明白であった。そんな中、千崎はいまだに態度を決めかねている、マックスやジャンの前では反マルコであるようにふるまってきたが、ライラに諭されたために何が正しいのかわからなくなってきたのだ。彼としてはマルコと対立する理由もないし、マルコが過去に行ってきた所業というのも目にしたことはない。今の状況ですんなりと誰が正義で誰が悪かなどと決めつけられるほど彼は単純ではなかった。
――――――――――
その日の夜、マックスとその手勢100人がマルコ邸の前に集合した。全員が武装しており、まるで今から戦争にでも行くかのような様相であった。
千崎は出来るだけ目立たない格好をして物陰からその様子を伺う。すると1人の青年が司教軍に近づいて行くのが見えた。恵まれた体躯に軽く武装し、頭には金の長髪をたなびかせている。見まがうことはない、ジャンだ。彼も捜査に協力するようだ。
千崎も決心した。マルコが本当に悪行を積み重ねてきたのか、それはこの目で確かめなければならない。緊張で震える足を1歩、また1歩と司教たちの元へと進めていく。
「こんばんは、マックス司教」
「おお、ショウも来たのか。君も捜査に参加するつもりなのだろう?」
「はい」
「わかった、ついてくると良い――さて、長話している時間はない、そろそろ時間だ」
兵士たちの緊張した雰囲気が肌にピリピリと伝わってくる。
「突入!」
――――――――――
マックス司教一行は唖然とした。マルコ邸はもぬけの殻だったのである。違法行為の証拠はおろか、人が住んでいた痕跡すら残っていないほどに何もないのである。
「なんということだ――」 マックスの顔には狼狽の色が見て取れる。
一行はみな、展開に頭の回転が追い付いていなかった。
(マルコは捜査が行われることを読んでいたのだろう……彼が1枚上手だったか)
千崎は天を仰ぐ。その空に浮かんだ輝かしい満月は100人の愚か者を嘲笑っているかのようだった。
「いかん、今すぐ解散しろ!」 マックスが突然叫ぶ。
千崎はなぜマックスがそういうのかまだ理解できていなかったが、マックスの手勢たちはみな命令に従って屋敷から一刻も早く出ようとするので、それに従うことにした。
マルコ邸を出る。真っ先に目に入ったのはこの屋敷の周りに駆け付けてくる市民たちであった。おそらくこの騒ぎを聞きつけてきたのだろう。確かにマックスがうろたえていたように今の状況は非常にまずいかもしれない。個人の家を軍隊で強制捜索するのは本来職権濫用である。もしマルコ邸の捜索が成功していたならば、犯罪者の家を捜索したと言い逃れることができるかもしれない。しかし今は違う、ここにある事実は司教が横暴にも強制捜査を行ったという事実だ、しかもその対象は民衆に支持を集めていたマルコである。
「司教の横暴を許すな!」 集まった民衆のどこかから声が上がる。
マックスに向かって石が投げつけられる。きっと投げたのはキリスト教徒でないか、もしくはこれまでなんの罪も犯してこなかった者なのだろう。
「ショウ、今のうちにお逃げ!」 マックスが千崎にささやく。
「しかし司教は――」
「いいから速く!」
千崎はマックスに突き飛ばされるようにして隊列を抜ける。後ろを振り返ってみたが、マックスはもう彼の方を向いていない。千崎は仕方なく、家に戻ることにした。
――――――――――
この騒ぎは街を巻き込む大騒動へと発展した。これまでマックスに不満を持っていた人々も好機とばかりに蜂起し、抗議活動を始めた。街のいたるところで扇動された人々がデモをはじめ、収拾のつかない状況になっていた。
マックスは軍隊を率いていたが、決して民衆に刃を向けるようなことをしようとはしなかった。その結果、押し出されるように彼とその手勢は市壁の外へと追い出されてしまった。
そのころ千崎は路地裏にいた。どうにかして隠れながら家に帰らなくてはならない。千崎も強制捜査に加担していたことが知れると彼も市壁の外に追放されてしまうだろう。
(こんなところでこの目立たない服装が役に立ったか……)
――――――――――
★★★★★★★★★★
翌朝、開門と同時にマルコとその家族が街の中へ入って来た。彼らは大荷物を運んでいる。おそらく司教の行動は彼に読まれていたのだろう。マルコは事前に全ての荷物を持って城壁の外に潜伏していたようだ。
千崎は仕事場であるエドウィンの鍛冶屋へ向かっていた。道行く人々の反応を見るに、千崎が昨夜、強制捜査に参加していたことはバレていないようだった。
広場を通る、教会のそばには新しい布告が出されてあった。マルコが日程を改変したようで、新たな市議会議員の選挙は今日の午後に行われることになったようだ。
エドウィンの鍛冶屋に着く。しかしそこにエドウィンの姿は見えなかった。他の仕事仲間に聞いても知らないという。千崎は今日の分の仕事をこなした。
夜、千崎は1通の手紙を受け取った、マックスからだ。彼らはマインツの近くの農村に潜伏しているという。彼らの帰還の目処はたっていない、市民の反司教感情が収まらない限り、この街に戻ることは不可能だろう。とにかくこれからのマルコの出方をうかがわなければ司教の復帰に向けた活動を起こすこともできない。今の千崎にできるのはただ待つことだけであった。