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異国の地より  作者: 奈落の花子さん
第1章マインツ編
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マインツ編6

 千崎は結局、エドウィンの鍛冶屋で働くことにした。理由としては、直接誘われたため断りづらいというのもあったが、フリッツの言うように少しは体を鍛えておいた方が良いと感じたし、何よりエドウィンが頼りがいのありそうな人物であったというのが大きかった。


 千崎は再び商工会を訪れる。やはりどこへ行けばエドウィンに会えるのかわからないため、近くにいる人に話を聞いてみる。


「あの…エドウィンさんはいらっしゃいますか?」


「いえ、現在市議会に出向いております。」


(出直すか……)


「あの、市議会なら現在教会でやっていますので、急ぎの用でしたら教会へ行くと良いですよ」


「へえ、市議会って教会でやるものなんですか」


「実は今、市庁舎が老朽化で封鎖されていまして、建て直しが計画されているんですがそれまでの間は暫定的に教会を借りて開催しています。幸いなことにこの街では議会と司教の関係も良好なので、快く貸してくれているみたいです」


「でもそれって一般人が入れるものなんですか?」


「もちろん会議をしている部屋には入れませんよ、でももしかしたらショウさんなら誰も文句は言わないかもしれませんね」


 ここのところ千崎の名声は急激に上昇していた。現代で培われた文学的素養や、雑学の類が民衆を引き付け、またアラブのそのまた東から来たという情報が人々に千崎をミステリアスな存在だと錯覚させていた。実際、占い師をやっていれば儲かったかもしれない。彼はしばしば賢者を意味する“マギ”と呼ばれることもあった。


「ありがとうございます、そんなに急ぎではないので大丈夫なのですが。後でエドウィンさんがここに来たら伝言をお願いします」


「はい、なんと伝えれば良いでしょうか?」


「僕が彼の下で働くということを伝えていただきたい」


「わかりました、ショウさん、エドウィンの下で働くんですね、頑張ってください」


 その人は千崎に笑いかけてくる。名前も知らない人ではあるがなんとなく照れくさい。


――――――――――


 用事を済ませた千崎は広場に赴いた。夏の太陽が広場の石畳をまぶしく照り付けている。広場を行きかう人の中に見知った顔がひとつ。


「やあライラ、良い天気だね!」


 千崎は教科書通りのあいさつをする。これ以上はないといっていいほど使い古されたテンプレートだ。


「こんにちはショウ、私にはちょっと暑すぎるようだけどね」 今日のライラは機嫌が良いようだ 「今日は1日休暇をもらったの」


「へえ、それじゃあこれから一杯どう?」


 言ってから気づいたが最近飲みすぎだ、現代ではむしろ酒などあまり飲まない方であったのだが今ではアルコール中毒気味である。これは飲む以外にすることがないのにも原因がある。


「そうね……」 ライラは考えるそぶりを見せる 「いいわ、行きましょう」


 一番広場側のいつもの席で2人分のエールを頼む。その席からは広場全体を見渡すことができた。広場を挟んで向かい側にある教会に大勢の人々が入っていく様子が見える。


「今回の市議会って何のためのものなんだろうね」


「さあ?私政治は全然詳しくないの」


 そう言って酒に口をつける。千崎は今になってライラがチュニスに暮らしていたことを思い出した、彼女がイスラム教徒であれば飲酒はご法度のはずだ。


「あ……その……もしかして酒なんか勧めちゃって、迷惑だったかな?」


「ううん、全然構わないわ。元の信仰は3年前に捨てさせられてるの、それにもともと熱心な信徒ではなかったしね」


 宗教に関する話題となると場の空気が自然と重くなる。この話題の危険性を知っているのか、みな発言に慎重になるからだ。


「宗教なんてどこも同じよ、狂ってるとしか思えないわ」


 ライラは深くため息をつく。


「自分の信仰を捨てたことで客観的な視点から宗教について考えることができるようになったけど、あれはひどいものね。過去の自分も同じことをしていたと思うと頭の中がむず痒くなるわ。あなたはどう思う?」


「どうだろう、あまり考えたことはなかったなあ」 千崎はお茶を濁す。この時代、非常にデリケートな話題だろう。深入りしてはいけない、と千崎の脳内警報は鳴りっぱなしだ。


「あなた、クリスチャンじゃないの?」 ライラは少しも視線をそらさずになおも追求する。


「ええと……」 千崎は確かにキリスト教徒ではない。しかしそれを彼女に打ち明けてもよいのだろうか。不用意な返事をした場合、最悪魔女狩りにあって殺されてしまう可能性だってあるだろう。


「言いたくないなら無理には聞かないわ」


 千崎は少しホッとする。


 しばらくの間2人は沈黙する。さっきから全く雰囲気が明るくならない。話題を変えなければ。


「あの、実はさ、僕、鍛冶屋で働くことになったんだ」


「へえ、すごいじゃない。鍛冶屋、大変そうね」


 ショウの未来に乾杯といってライラは小さく盃を上げる。


「こうして気楽に話ができる相手がいるのって幸せなことだと思うわ」


「え?どういうこと?」


「私、ここ最近誰も信用できなくなっちゃって。この街の中ではあなたぐらいしか本心で話せる人がいないの」


千崎は困惑する。彼は何も信用を得るに値する行動はしていないことを自覚している。


「私ね、他の人といるといつ貶されて酷い目にあうかビクビクしてるの。結果的にはあの時、全部ぶちまけちゃったのが良かったかもしれないわね」


 ライラはあまり酒に強くないのだろう。すでに酔いが回って、目の焦点が合っていないようだ。


「ライラ、大丈夫?」


「ええ、今日はもう帰るわ。ごめんね、折角誘ってくれたのに」


「1人で帰れる?」


「うん、大丈夫」


 千崎には知り合いは少ない、それでもその中で最も辛い人生を送っているのはライラだろう。今の彼には辛い生活へと帰っていく彼女の背中を眺めて無力さに唇をかむことしかできないが、せめて2人で話す時間が彼女の慰めになってくれれば良いと願った。


――――――――――


 ライラの去った席で独り軽い昼食をとる。急に1人になったときの寂寥感は、友人との遊びまわった後の帰宅の時間を想起させるというノスタルジックな一面を持っている。


 向かい側の教会から大勢の人が出てくる。彼らは角砂糖がコップに入った水の中に溶け出していくように街の密度を一様にならしていく。


 街が平衡状態を取り戻してからしばらくして、教会の前に立て看板で1つの布告が出された。曰く、商工会の特権の保護を市議会全会一致で可決する。おそらくマルコの噂を耳にしたエドウィンが牽制したのであろう。公示人がそれと同じ内容を字の読めない民衆に向かって大声で叫んでいた。


 広場は活気を取り戻す、市のために他国から集まってきた商人たちは議会の結果にどこか浮かない顔をしているようだ。しかし泣いても笑っても市はあと一週間で終わる。それはそれ、これはこれ、と商人たちもかき入れ時とばかりに客引きの声を張り上げる。


 ぼぅっと広場の方を眺めていると、フリッツがこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。


「よう!ショウ!なんだ、もう酒が入ってるのか?」


「まあね」 中身の少なくなったグラスを軽く振って見せる。 「それより僕、エドウィンの鍛冶屋で働くことに決めたんだ」


「おおそうか!いいじゃないか!」 フリッツは破顔して喜ぶ。 「実は俺も来週から軍に戻らなきゃいけないんだ。だからこれまでみたいに真昼間っから酒を飲んでるわけにはいかなくなっちまった」


「へえ、そうなんだ。ところでジャンは?一緒じゃないのか?」


「ああ、奴は最近キリスト教とか聖書について研究をし始めたらしい。なんでも市が開かれている間は他の町からも著名な学者が来ているからそいつらと議論するんだとよ。まったく、田舎地主の放蕩息子が学者ぶりやがって」


 フリッツは席に座り酒を頼もうとする。千崎はそれを慌てて制止する。


「まってくれフリッツ、僕はこれからエドウィンのところに行くんだ。今日はもうこれでおしまいだ」


「ちぇっ、それは残念。」


――――――――――


 エドウィンの鍛冶屋はこの街で一番との評判だ。腕が立つし仕事も早い。つまり、彼の元で働くというのはそれだけ多くが求められるということだ。


「やあショウ、話は聞いたぞ、ここで働くんだってな」


「はい、よろしくお願いします」


「ああ――それで、まあ自分から誘っておいてなんだが前も言ったように別に君には実務をしてもらわなくても構わないと思っているんだが――」


「いや、やらせてください!」


 エドウィンは少し困ったような顔をする。千崎の虚弱な体が信頼に値しないのだろう。


「まあ、なんだ、俺の仕事は力が必要になってくるからな、その体では無理があるのではないか?」


「体は仕事をするうちに鍛えられるでしょう。是非ともやらせてください。」


 千崎にしては珍しく強い意志で主張している。体を鍛えるのはこの仕事を選んだ理由の1つであるし、千崎にとってはのぞむところである。


「うむ、どうやら覚悟はあるようだな。じゃあみんなにも紹介しよう」


 エドウィンの鍛冶屋はかなり大きく、徒弟も多く従えていた。彼の実力と人柄のなせる業なのだろう。


「みんな、彼が今日から俺たちの仲間となるショウだ!」


 ぞろぞろと人が集まってくる。


「ええと、よろしく」 注目の的になるという経験が圧倒的に不足していた千崎はやや挙動不審気味だ。


「よろしく!兄弟!」


「お前が噂のショウってやつか!」


 千崎は聖徳太子ではなかったため口々に話しかけてくる内容のすべてを把握することはできなかったが、おおむねそんな内容であった。


こうして千崎の鍛冶屋としての生活が始まった。




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