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異国の地より  作者: 奈落の花子さん
第1章マインツ編
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マインツ編5

「やあ!ライラ」


 千崎は後ろからライラに話しかける。


「ああ、ショウ、元気よ」


 ライラは元気だといっているがその声からは微塵も元気は感じられなかった。


「そう……それは良かった……」


 ライラにつられて千崎の声も元気をなくす。出鼻をくじかれてしまった。


 前回にあったとき以来、千崎はライラと数回顔を合わせているが、2人の間にはどこか気まずい雰囲気が流れていた。千崎はつらい生活を送っているライラを元気づけようとするものの大方が空回りに終わり、ライラの方は後になってから、自分の苦労話を千崎に聞かせたことで彼に心理的負担を負わせたのではないかと気づき、強い後ろめたさに襲われていた。


「今日はマルコ一家は全員外出しているの、外で油売ってるのがばれるといけないからそろそろ……」


 ライラは早々に退散しようとする。


「待ってライラ……」


 呼び止める千崎の声にはあまり力がこもっていない。


「ライラ……ライラは今の生活から抜け出したいと思わない?」


 ライラは考えるようなそぶりを見せる。


「これが私の運命なのよ」


 そう短く言い放ったライラは軽く会釈してすぐに踵を返して去っていってしまった。足早に去っていく彼女の姿はまもなく雑踏の中に埋もれてしまった。


――――――――――


 マックスの家に夕飯の時間が訪れる。彼は例のごとく使用人たちにも声をかけ、大きなテーブルの席を埋めていく。千崎のイメージでは、彼はカトリックの聖職者にしては権威主義的でないように思われた。普段からこうなのか、あるいは聖職者としての顔とプライベートでの顔を使い分けているのか、いずれにせよこのことはマックスが理想主義の聖職者であるにも関わらず接しやすいという印象を周囲に与えている一因であるようだった。


 健康的な料理の数々が食卓に並べられていく。大テーブルの席もあらかた埋まったようだ。マックスがキリスト教式食事のあいさつの音頭をとる。


 マックスの家の食事は終始和やかなムードで進められる。そこでは誰も過剰に身分を気にすることなく、誰も飢えることなく、平和の象徴のようなイベントであった。


――――――――――


 まもなく夕飯の時間は終わる。この街の上流階級の筆頭であるマックスは、慣習にのっとって夕飯は軽めにすますのだ。再びマックスが祈りの音頭を取り食事が終了する。使用人たちは安息の時間は終わったとばかりに急ぎ足で各々の仕事場へと戻って行く。やがて食堂に残されたのは千崎とマックスの2人きりとなった。


「ショウ、この街に来てからしばらく経ったが、そろそろ慣れたかい?」


「ええ、おかげさまで」


 事実、マックスがいなければ千崎はすでに死んでいたかもしれないし、ましてやこの街になじむことなどできるはずがなかっただろう。


 マックスは満足そうにうなずいて続ける。


「そういえば、あと一週間で市が終わるわけだが、どうだい?何か買えたかい?」


「いえ、ははは」


 千崎は苦笑いする。彼はマックスから市で何かめぼしいものがあれば買うようにといくらかの金を与えられていたが、それらはすべて酒代につぎ込まれていた。


「市が終わるとまた静かな生活に戻ってしまうね」


 マックスは寂しいような、ほっとしたような、そんな表情を浮かべている。しかし本当に寂しい生活に戻ることができるのだろうか、千崎は一抹の不安を抱えていた。


「昼間マルコの私有軍の長官が宿に入っていくのを見たのですが……」


 それを聞いたマックスは眉を顰める。


「彼もまっとうに商売をしてくれれば良いのだがな……」


「そういえば昼間、マルコと何か話していましたね」


「うん、どうもマルコはしばらくこの街を拠点に活動するらしい」


「えっ」 千崎は驚きの声をあげる。これはほぼ間違いなく悪い知らせだろう。


「どうも彼は足を悪くしたらしくてな、これを機にこれまで行っていた行商や運搬といった作業は息子に任せて、自分は療養もかねてこの街で輸入品の販売店を開くらしい。なんでもこの街がきにいったのだそうだ」


(気に入ったというのはどういう意味でだろうか。街として気に入ったのか、それとも略奪対象として気に入ったというのか……)


「彼も商売に徹してくれる分にはむしろプラスの効果をもたらしてくれるのだが……」


「あまり良いニュースではないようですね」


 マックスは静かに頷く。


「彼が何か行動を起こすとすれば、そうだな……この街から観光客や商人が減る、つまり市が終わった後になるんじゃないだろうか。彼も他の商人との衝突や他国民を巻き込んで国際問題に発展させるようなことはさせたくないだろうしね。……まあこちらとしては何も起こらないことを願うだけだが――」


 そういいつつもマックスはこれから何かが起こるだろうと確信しているようだった。


 千崎はマックスがここまで他人に警戒心を抱いているのは初めて見た。普段は温厚で、人を疑うことを知らないのではないかと思われるような男も、やはり危機感というものは持ち合わせているようだ。あるいはマックスはマルコのことをただ単純に嫌っているということなのかもしれない。


――――――――――


 翌日、例の3人は酒場の指定席で顔を突き合わせている。一晩寝て英気を養った彼らの目には熱意の光が宿っている。


「マックスが言うには、マルコはしばらくこの街を拠点に活動するそうだ。そして何か行動を起こすとすれば市が終わった後だろうとも言っていた」 千崎が新しく仕入れた情報を発表する。


「手を打たなきゃまずいんじゃないの?まあ俺にはそんな難しいことはよくわからないんだが……」 フリッツも心配そうにしている。


「マルコがこの街を拠点にして活動するときにまず利害が対立するのは商工会だろうね」 ジャンが言う。商工会、つまりギルドだ。 「そもそも商工会は商人たちに対抗するために作られたわけだしね」


「それはそうなるかもしれないけど、実際どうするんだよ?商工会に行って『マルコに気をつけろ』とでもいうのか?」


 ジャンは手を顎に当てて考えるそぶりを見せる。


「とりあえずそうしてみない?一番危ないのは商工会がマルコに対して無警戒でいることだと思うし……」 千崎が言う。


「うん、ほかに方法が思いつかないし、それに商工会の考えも知っておきたいし、そうするのが現状では良いかな」


 まだ何も事件は起こっていない以上、明確な対抗手段というものが見つからない。


「それに僕、そろそろ働き始めようと思うんだ」


「へえ、そうなんだ」 ジャンは想像以上にそっけない。


「そうかそうか、それは良いことだな」 ジャンは想像以上に喜んでいる。


「ショウは働き始めるらしいぞ、お前はどうなんだ?え?」


 フリッツがジャンに絡み始める。


「商工会に行くついでに僕も求人がないか探してみるよ」


――――――――――


 商工会の事務所はなかなか立派な建物であった。様々な業種を表す旗が掲げられ、さらにそれぞれの職業の守護聖人が描かれた絵画や石像がいろいろなところに飾ってある。


 3人ともこの街のギルドに来るのは初めてであった。そのためどこに行けば良いのか、誰に話しかければ良いのかわからずまごついていた。


「何か御用ですか?」


 不意に話しかけられる。声の主はまだ若い男性だった。


「実はここの支部長を探していまして……」


「支部長は私ですが……?」


 3人は驚きに目を見合わせる、支部長というからにはもっと年配の人を想像していたが、目の前の男はジャンやフリッツと同じぐらいに見える若々しい容姿だったからだ。


「驚かせましたか?実は私は最近前任者から支部長の座を引き継ぎましてね、若輩ですがしっかりと運営していきますので、ご安心を」


 確かに彼は若く見えるが雰囲気は非常に大人びており、頼りがいのありそうな人物であった。


「ええと、支部長さん?」


「ああ、申し遅れました、私はエドウィンと申します。今は本業の鍛冶屋と並行して商工会の仕事を務めています」


「そうなんですか――ところでエドウィンさん、一つ知らせておきたいことがあるのですが……」


「どうしました?」


「現在この街に来ているイタリア商人マルコのことについてなんですが、何も聞いていませんか?」


「いいえ?なにも聞いていませんが」


「実は彼がこの街に拠点を置くという情報がありまして、それに彼は一部では非道な手口で有名な商人ですから、彼にはくれぐれも気を付けていただきたいと思いまして」


「ご忠告ありがとう、でもこの街での商工会の特権は市議会と司教両方の承認を得た上で保障されている。心配には及ばないよ」


 エドウィンは視線を空中に移し、何かを考えている。


「それにしてもマルコが悪人か……あまりそのようには見えないが……」


「彼の言っていることは事実ですよ、マルコには気を付けた方が良い。今はまだおとなしいがいつ牙をむくかわかりません」 ジャンが千崎の支持をする。


「そこまで言うなら何か手を打ちましょう。何せ“賢者”のご忠告ですからね、ショウさん、あなたの噂はかねがねうかがっていますよ」


「知っているんですか?」


「ええまあ、というかすでに街の人の多くは知っているでしょうね」


 千崎は知らないうちに有名人になってしまっていたようだ。


「そうだ、もう1つ用事があるんですが……」


「何ですか?」


「僕は今、仕事を探していまして……」


「そうなんですか!でしたら占い師とかどうです?みんなショウさんの言うことならきっと信じるでしょうし」


「ははは、それはちょっと……」


「冗談ですよ、それじゃあうちで働きません?鍛冶屋なんですがどうです?魅力的だと思いません?」


「鍛冶屋ですか、筋力がいりそうですね」


「ええと……」 エドウィンは苦笑いしている 「いやショウさんならどんな業種からでも引くてあまたでしょう。みんなショウさんのネームバリューを欲しがっているんです。実際には働かなくても所属しているだけで給料が出るみたいなこともあるんじゃないかな」


「エドウィンさんのところはどうなんです?」


「うちですか?うちは別に仕事はしていただかなくても給料は出しますよ。でも仕事をしたいっていうなら1からみっちり教え込みますがね」


(ここで決めてしまうべきだろうか、あるいはほかにも探すべきだろうか……)


 そんな千崎の考えを察したかのようにエドウィンは数枚の紙きれを千崎に手渡す。


「いくつか求人をピックアップしました、もちろんうちのも入ってますけどね。まあじっくりゆっくり悩んで決めてくださいよ」


「ありがとうございます」


「いやいや」


――――――――――


 3人は商工会を辞して帰途に就く。


「鍛冶屋か……どうなんだろう」 千崎は自らの細い腕に着いたわずかな筋肉を指でつまむ。


「いいんじゃないか?この時代を生き抜くには腕力も必要だぞ」 フリッツによるとそういうことらしい。


 3人は分かれてそれぞれの家に帰っていく。


 千崎はマックスの家に帰り、いつものルーチンをこなして自室に戻る。


 ともかく返事は明日出せば良い。もう遅いので千崎は考えることをやめ眠りについた。





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