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異国の地より  作者: 奈落の花子さん
第1章マインツ編
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マインツ編3

 それから数日間、千崎はあまり代わり映えのしない生活を送っていた。朝目を覚まし、朝食として少しのパンを食べ、ふらふらと市場へ出て行き、いくつかの店舗の冷やかしに行き、酒場に赴いてジャンやフリッツと昼間から酒を飲む。そして夕方には家に帰り、マックスと食事や歓談をする。満たされた毎日ではあったが、千崎はある種の退屈を感じつつあった。勿論こんなことを他人に言おうものなら贅沢な奴だと糾弾されるであろうことは千崎にも容易に想像することができた。


 ある日、千崎がぶらぶらと散歩していると広場から1本それた脇道、何時ぞやの脇道で千崎はライラと再会した。


「久しぶりね、ショウ」


 ライラが声をかけてくる。目に生気が感じられないのは相変わらずだが、今日はいつもに増して表情が暗い。


(何かあったのだろうか……何かあったのなら力になれたら良いのだけど……)


「久しぶりだね、ライラ……と言っても数日ぶりなんだけど……少しやつれてるようだけど、大丈夫?」


 千崎としてはなるべくフレンドリーを装って話しかけたつもりである。しかし以前とは口調ぐらいしか変わっていないし、笑顔を意識しているもののその笑顔はやはりひきつっている。


「失礼ね、もともとこんな顔よ」


 少なくとも前はこれほどやつれているようには感じられなかったため、これは嘘だろう。しかし千崎にはライラが冗談で言ったのかそれとも本当に怒っているのかの判断はできなかった。


「その……ごめん……」


 ライラは表情を少しほころばせてため息をつく。どうやら本気で怒っているわけではないようだ。


「ショウ、これから暇?」


――――――――――


 千崎とライラはしばらく街を散歩しながら話をすることとなった。相変わらず広場の付近は大勢の人で騒がしいが、ほかの場所はむしろ普段より人が少なくどこか閑散とした雰囲気を放っていた。


「私、またいろいろ奥様に怒鳴られてさ、また殴られちゃった」


 ライラはまだ新しく、痛々しい青あざを見せた。奥様というのはマルコの妻のことだろうか。


「最近奥様はヒス気味でさ、私がマルコの心を無理やり奪った魔女だとか言って、もう大変……」


 ライラはため息をつく。


「ショウ、お宅のご主人はどんな?」


 急に話を振られて千崎は慌てる。


「ご主人?なんのこと?」 千崎はご主人と呼べるような人をとっさに思いつくことはできなかった。


「だからお宅の家主よ」


「ああ、うちの家主はマックスさんだよ、マクシミリアン司教」


「へえ、あの司教さんね。優しそうな人じゃない、仕事も楽なのかしら」


「え?」


「あなたどこの出身?」


「それは……」 千崎は口ごもる。なんと説明したものだろうか。 「東の国だよ、ずっと東の国」


「へえ、どうやってここまで連れてこられたの?」


「いや……それが実はよくわからないんだ。そのときの記憶がちょっと良くわからなくてさ……それで今はマックスの家で休ませてもらっているんだよ、本当に彼には感謝しているよ」


「え?」 今度はライラがきょとんとした顔をする。 「あなた仕事は?なにをしているの?」


「いやだからしてないんだ、いわば食客みたいなものなのかな……」


 ライラがはっとした顔をする。何かまずいことでも言っただろうか。


「どうしたの?ライラ」


「ごめんなさい!」 ライラが急に大声をあげる。


「え?何が?」 千崎はあやまられるようなことをされた覚えはない。


「あなた様がそんな立派なご身分のあるお方だとは思いもよらず……」


「何言ってるの?僕はそんな身分はないよ」


「どうか今までのご無礼はマルコには秘密にしてください!」


 千崎は困惑する。彼にはライラが謝っている理由が全く分からなかった。


「とりあえず落ち着こう、ね!」 千崎もライラにつられてパニックに陥り始める。


 ただでさえこれまで女性と話した経験すらほとんどない千崎に、取り乱した女性をなだめるなんていう高等テクニックは使用不可であった。なだめようと必死になって作った笑顔はやはりひきつっている。


――――――――――


 数十分後、ライラはようやく落ち着きを取り戻し始めていた。千崎の必死の努力が功を奏したというよりかは、時間が解決してくれたといった方が近いようだ。


「大丈夫だよ、僕には何でも打ち明けてくれて構わない。決して口外しないから…!」


 ライラはいまだに涙目であるが、おびえた様子は徐々になくなっているのが感じられた。


「ごめんなさい……取り乱してしまって……」


 やっとライラが落ち着きを取り戻したことに千崎も安堵していた。


「いやいや、別に気にすることはないよ」 千崎もひきつった笑顔で返す。


「私、あなた様を自分と同じ身分だと思い込んでしまっていて……」


「同じ身分?」


「奴隷のことです」


(ああ、やっぱりそうか……)


「マルコの商売客相手に無礼な態度をとったなどと知れると命をとられるかもしれません」


「絶対にそんな告げ口はしないよ、約束する。もし約束を破ったら肉片を1ポンド差し出すよ、もちろん血もつけてね」


 ライラがクスッと笑う。千崎の渾身のジョークは成功のようだ。


「それに僕にはこれまで通りに接してほしい、そっちの方が僕としてもうれしいからね」


 ライラは目に涙を浮かべている、しかし今度は恐怖が原因のものではない。


「ありがとう……」


「よかったら君の身の上について聞かせてくれないかな?あ、でも別に無理にとは言わない。悩みがあるなら力になりたいと思ったわけで別によこしまな目的はないから――」 肝心のライラは落ち着いたが、千崎は落ち着きを取り戻せていない、しかしこれは彼本人に原因があるためどうすることもできない。


「わかったわ……」


 そしてライラはぽつりぽつりと身の上について語り始めた。


――――――――――


 ライラによると、ドイツの国々で見かける自由民はみな白人ばかりであり、それ以外は隷属民であったため、千崎も奴隷身分だと勘違いしたそうだ。実際には領主である司教の食客というのはそれなりに高い身分であり、マルコの商売相手になりうる層だったため、ライラの千崎に対する態度がマルコに不利益を及ぼす可能性があり、このことがマルコに知れた場合ライラは殺されるかもしれないということでおびえていたようだ。


 ライラは自分のプロフィールについても話した。彼女は16歳のアラブ人であり、もともとはチュニスに住んでいた身寄りのない貧しい少女だったらしい。3年前、交易でチュニスにきていたマルコに見初められ、さらわれてきたのだという。


「マルコの家での生活はとてもつらいの……マルコには気に入られて夜の相手までさせられるし、奥様には嫌われて、毎日のように理不尽な暴力を受けるの……」


 千崎には何を言えば良いのかわからなかった。ライラは心身ともに限界を迎えつつあるのだろうが、どうすれば彼女を救えるのかはわからない。



「それじゃあそろそろ……あんまり遅いと奥様に叱られるから……」


 ライラは終始暗い顔であった。それでも悩みを打ち明けてくれたと言うのは少しでも信頼されているからなのかもしれない。


――――――――――


 千崎はライラと話しながら随分と遠いところまで来てしまっていた。このあたりの道は特に狭くいかにも裏路地という感じだ。


 大通りに出る。この道は広場と街の門を結んでいる道だ。


「よう!ショウ!こんなところで何してるんだ?」後ろからフリッツに話しかけられる。


「ああ、フリッツ。いや、ちょっと散歩だよ。」


「なんだ、悩みでもあるのか?」


 フリッツは変なところで敏感だ、それとも偶然だろうか。


「とりあえず場所を変えよう。ああ、あと酒代も用意しなきゃな。」 フリッツが勝手に話を進める。 「俺たちは先に酒場のいつもの席で待ってるから、お前も早く来いよ!」


 フリッツは行ってしまった。いつもの席とは酒場の一番外側の広場に面した席だ。しかしフリッツはさらっとジャンを酒代呼ばわりしていたが彼の中でジャンの評価はどうなっているのだろうか、もちろんそんなことを言い合えるほど仲がいいのは見て取れるが。


――――――――――


 酒場にはすでに2人ともそろっていた。千崎はライラのことを話すべきか悩んでいた。


 果たして彼らに話していいものだろうか。ライラの話を聞いて義憤とも呼べる感情が湧き上がったのは否定できない。しかし自分ではどうにもできないと言うのが事実だし、勝手に話したりするのはライラにとって迷惑かもしれない。それどころか彼女に危険が及ぶかもしれない。それに彼女に現状を変える意思があるかどうかすら確かめていない。彼女に現状を打破するためのリスクを負う覚悟がないのであればむしろ何か行動を起こしても逆効果だろう。


「やあ、ショウ!何か悩みがあるんだって?僕たちでよければ相談に乗るよ!」 ジャンが言う。


 彼は屈託のない笑顔をしている。とても千崎にはまねできそうもない。


 彼が努めて明るく振舞っているのは見て取れる、悩みを聞いてくれようとしているのは非常にありがたい。しかしやはり打ち明けるわけにはいかないだろう。酒と一緒に飲み込んでしまうことにした。


 千崎はほろ苦いエールを一気に飲み干す。


(とにかく話題を変えなければ……)


「悩みなんてないよ、君たちの早とちりだ。それより君たち、普段はなんの仕事をしているの?」


――――――――――

 

 夕日がまもなく西に沈みそうだ。千崎はマックスの家への帰途の途中だ。2人の話によると、ジャンは実家が地主らしい、貴族時代の所領を一部受け継いで下野した一家のようだ。そしてジャン自身は大学で学んだ後、ふらふらと遊びまわっているらしい。いわゆる放蕩息子だ。フリッツは軍人のようだ、以前長期間戦争に従軍したため、休暇が与えられているとのこと。もうすぐ休暇が終わることを嘆いていた。


 例のごとく夕食は食堂でマックスと一緒にとる。千崎は彼の顔を見ているとどうしても悩みを打ち明けたくなってくる。千崎としては悩みを解決したいというよりむしろ、誰かに悩みを聞いてもらい、1人で抱え込むつらさを軽減したいというのが実際のところであった。


「マックスさん、悩みがあるのですが……」


千崎はマックスに意見を求める。彼は神の啓示や聖書の導きの中に答えを探すより長者の一言を得る方が時に効果的であることを知っている。


「なんだね?」


「ある友人が辛い環境に置かれていることを僕に打ち明けてくれました、その友人を救いたいと思うのですがどうしたら良いのかわからなくて……」


 千崎は悩みを抽象化して打ち明けてみる。これならライラのことだとはわからないだろうし、そもそもマックスは人に広めたり、細かく詮索したりする人ではないと千崎は思っていた。


 マックスは優しい笑みをたたえている。


「君は自分が正しいと思ったことをすれば良い。でもこれは忘れてはいけない、君だけが正しいのではないんだよ。他人の考えを受け入れることも大事だ。それに君が友人の人生を左右することはできない、彼の人生を変えられるのは彼だけだよ。」 マックスの談にはあまりカトリック的な要素が感じられない。これは聖職者としてではなく、彼自身の考えなのだろうか、少なくとも告解室で相談したときに帰ってくる答えとは別物であるようだ。


 千崎は少しほっとした。何も解決はしていないのかもしれないが、少し負担が軽くなったような気がした。


 千崎はもう一度ライラに会い、彼女の意志を確かめることを決めた。



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