青黒い犬
時は既に夕方、あと一時間も経てば太陽は姿を隠してしまいそうだ。
今日のパトロールも潮時だろう。
「このゲートってどうしたら良いんだ?」
「あ、大丈夫。ゲートは使用後ゆっくりと勝手に消えていくよ、今日の夜中頃にはもう無くなってるんじゃないかな」
「そっか、まぁ、この時間から山道に入る奴もいないだろ。今日は帰るか?」
「そうだね、あの猿ももういないしね」
地獄の異世界、ヘルレート。そのゲートの先に居た不気味な黒い猿。
今はトオルの腕と同化してしまっている。
「左腕、猿になっちまったんだよな、親になんて説明しようか、・・・ん?」
「どーしたトオル?」
「いや、ゲートが張ってあった鳥居な、上の方、なんだあれ?」
鳥居の柱と笠木が組んである内側、その角から何やら尖った物が出てきていた。
それが何なのか、注視するまでも無くすぐに理解する。
そんなあり得ない場所から顔を覗かせる青黒い犬。
その口からだらしなく突き出た円錐状の尖った舌。
その目は空虚で有りながらも確実にトオルの顔を捉えていた。
「お、おい。なんだあの犬!今ゲートの外だぞ!あいつ無害なんだろうな!?」
顔だけ出していた犬はずるりと鳥居の角から抜け落ちる様に降ってきた。
そして、その犬の全体が露わとなる。
痩せ細り角張った犬、いや、犬の骨格をした四つ足の獣がそこに居た。
「おい、あいつ俺を見てるよな?ゲート抜けてきたって事は悪意は無いんだよな?」
トオルはその異様な生き物が不吉なモノにしか見えずイーヌイに問いかける。
「・・・ヘルレートの奴だね」
「結界仕事しろよ!」
「ティンダロスの猟犬なんて初めて見たもん!アレはゲートとか関係ないの!」
「ゲート意味ねぇな!・・・・ってそれどころじゃねぇ。あいつどうしよう」
ティンダロスの猟犬はトオルの腕を見ていた。猿の化け物と同化した左腕を。
ティンダロスの猟犬は時空の歪みに敏感だ、そして自らも時空を移動する。
異常な世界移動をしたトオルの左腕に反応したのだがトオルはそんな事知る由も無かった。
「倒しちゃおう!私狼族だから!犬には負けないよ!」
「それ猿の時も聞いたぞ!?」
その瞬間、ティンダロスの猟犬がトオルに向かって襲いかかってきた。
トオルは反応できず体が強ばって動けない。
そんなトオルを助けたのはやはりイーヌイだった。
ティンダロスの猟犬の顔を横から蹴り、遠くへ吹き飛ばす。
「お、おー。肉球キックつえぇーな」
「変な技名付けないでよ!」
「すまんすまん、ありがとよ。・・・あれ?あの犬どこ行った・・・?」
ティンダロスの猟犬はイーヌイに吹き飛ばされたまま姿を消してしまっていた。
見渡してもどこにもいない。
「私に怖れをなして逃げたんだよきっと!」
「そう・・・なのか?」
どちらにせよここに居ても埒が明かない、トオルは釈然としないまま帰宅する事にした。
「あら、トオルおかえり。うふふ、トオルも動物みたいになっちゃったわね」
「お!トオル!良い腕だな!」
「うわぁ・・・、兄ちゃんまで・・・」
「・・・心配してくれる人はいないんだな、逆に気楽で助かったけどよ」
そんな時、足にすり寄ってくる猫が一匹。
「おー、ミースケ。おまえだけは俺の心配してくれるんだな。可愛いやつだなぁ」
「トオル」
「ん?なんだイーヌイ」
「・・・トオル大丈夫?」
「へ?うん、大丈夫だが?」
「・・・私は?可愛い?」
「はぁ?」
「うがぁーーー!!」
「意味わかんねぇよ!」
晩ご飯を済ませ部屋に戻ると疲れていたトオルはすぐに寝てしまった。
夢、夢だろうか。声が聞こえる。
(ぅもーーす、ぅもーーす、・・・もうす)
あの黒い猿、非猿鬼の声。
(もうす、申す。申し上げる。・・・起きろ)
まだ、もう少し・・・。
(申す、・・・起きろ。・・・死ぬぞ?)
トオルは自分の意思とは関係なく目が覚める。
それは防衛本能だったのだろうと起きてから気付かされた。
部屋の角から顔を出す青白い犬。間違いない、間違いようが無い。
「あいつ!ティンダロスの猟犬だ!」
トオルが一人になるのを待っていたのだろう。
寝ているベッドに向かって飛びついてきた。
しかしティンダロスの猟犬はトオルに届く前にその足を止める。
それを止めたのは薄茶色のふわっふわっな毛並みをした小柄な女の子。
ティンダロスの猟犬の首を掴んでいた。
「ふわぁ~、トオルがうるさいから目が覚めちゃったよ」
「イーヌイ!なんでまたここで寝て・・・、いや、今はナイスだ!掴んでてくれ」
トオルは猿の手となった左手でティンダロスの猟犬の頭を押さえる。
「・・・申す。俺は何者か、答えろ」
青黒い犬は暴れるだけで何も言わない。
「ならば御前をいただこう」
猿の手はティンダロスの猟犬の血肉を吸い上げる様に食らう。
イーヌイはびっくりして手を離して逃げるように後ずさっていく。
青黒い皮だけが残り、最後にその皮がトオルの左腕に吸い付いて腕を形成した。
細く角張った青黒い腕、尖った指先。それはまるで・・・。
「まるで悪魔みたいな腕になったな、猿のがマシだったかも」
「・・・トオル?その腕、何?」
「あの黒い猿、非猿鬼の能力、他者を食らい、生皮ととも力を奪う」
「トオルは・・・大丈夫なの?」
「絶好調さ」
しかしそれは、自分も既に人では無いと認めざるを得ない光景だった。
はい、SANチェックです。