6.アイドル崇拝
「君、これ落としたよ」
課題提出のために、職員室へ向かっていた私に、誰かが後ろから声をかけてくれた。
振り向けば、なんとイスカ様!
真っ赤になって動けなくなった私の代わりに、ノスリが「ああ、ありがとうございます」と私の落としたプリントを受け取った。
ぐああ! せっかくのお話するチャンスが!
慌てて私も「ありがトございまス!」とお礼を言ったものの大失敗。
緊張のあまり、いつも以上に発音が変だったと思う。
それなのに、イスカ様は優しく微笑んでくれた。
ああ、神。
「ヤバい。このまま私、昇天してしまうカモ……」
そしてイスカ神に召されるんだ。
ああ、なんて幸せ。
「さっさと昇天でも何でもしろ、このボケ! 一番大事な課題プリント落とすなよ」
隣でノスリが何かぶつぶつ言っていたけど、気にしない。聞こえない。
私はお友達と去っていくイスカ様の背中を見えなくなるまで、立ち尽くして見送った。
「ほら、気がすんだか? さっさと行くぞ」
「……サイアク」
「あ?」
「ノスリ、最悪。私とイスカ様の手が触れ合ったかもしれナイ奇跡の瞬間を邪魔するなんて!」
「お前の脳みそが最悪だよ!」
イスカ様のお姿が見えなくなってから、ノスリが私の腕を引っ張るから文句を言うと、反論されてしまった。
仕方ないじゃない。神との邂逅に平常心でいられる人間がいるの? いないよね?
さらには話しかけられたんだから!
それからは驚くことに、イスカ様は私を見かけるたびに手を振って微笑んでくれた。
途端にファンクラブの子たちまで黄色い悲鳴を上げる。
それに少し困ったように笑うイスカ様がまた! ご馳走さまです!
「あんな軟弱野郎のどこがいいんだ?」
「いやだ、タゲリ。嫉妬? サイテイ」
「ちげえよ、馬鹿! ただ、女子が騒ぐほどのことかっての」
「馬鹿はアナタよ、タゲリ。金髪碧眼の王子様がいるんだもの。騒がナイほうがおかしいわ。雲の上の存在が、現実に学校にイレば、憧れて遠くから見ていたいって思うノ。女子はみんな夢を見たいんだカラ」
「あれ? 意外と冷静なんだね。もっと本気なのかと思ってた」
例の如く、また私とノスリの自習の邪魔をしにきているタゲリの言葉に私は鼻で笑って返してやった。
すると、ノスリのほうが驚いたみたい。
「エエ? そんなわけないヨ」
逆に私がノスリの言葉に驚いた。
イスカ様がどんなに優しくても、所詮は伯爵家の御子息。
私とは何があっても結ばれない。むしろ、それは困る。いや、そりゃ夢は見るよ。
もしイスカ様が……なんて。
「でも、所詮は雲の上の存在。たとえ次男とはいえ、庶民の私が奇跡が起こって結ばれたとして、その後に苦労が待っているのは目に見えているもの。シンデレラだって、舞踏会に招待されるだけの家の出身だから許されただけであって、庶民の私が馴染めるわけがない。愛があれば大丈夫なんていうのは幻想だからね。愛があってもお金がなくちゃ生活できないように、愛があっても生活レベルが合わなきゃ、一緒には暮らせないんだよ。というわけで、イスカ様はアイドルよ、アイドル。騒いでナンボ。それが楽しいの」
「うん、何言ってるかさっぱりわかんねえ」
私の独り言に近い言葉に、いつものようにノスリが突っ込んだ。
それを面白くなさそうにタゲリは見ている。
こういう時、「ああ、きっと私のことが好きなのかな?」ってうぬぼれて思う。――が、当然、いい迷惑だ。
課題の邪魔だ。散れ! どっかに行け!
とは思っても、口には出せない小心者ですが。
幼い頃に植え付けられたトラウマは手強いのだ。
だから無視して課題に取り組む。
「だけどさあ、おかしいと思わねえか? なんでお偉いお貴族様が、こんな庶民の学校に編入してくるんだ?」
「まあ、庶民とはいえ、ここは将来的に国のために働く者たちの養成所みたいなものだからね。確かイスカ様は、〝下々のことをわからなければ、統べることもできない〟とおっしゃっていたそうだよ」
「はあ!? 何だよ、それ! どれだけお偉いっつうの!」
「偉いんだから仕方ナイじゃナイ。イスカ様は間違いなく私たちの上司――上官になる方なんだカラ、そのように考えてくださるだけでモありがたいわよ。他のお貴族の方々はそんなことモ考えていらっしゃらナイってことでしょう? 私たちの気持ちはどうデモいい、使えればそれでいいってこと。イスカ様はご立派な方よ」
タゲリの言い様が気に入らなくて、やっぱり無視なんてできなかった。
睨まれたって怯んだりするもんか。
もう負けない。勝てなくても、負けないんだから。
「あー、でも噂だけど、それは建前で、本当は何かやらかして父親である伯爵に、この学校に放り込まれたって話も聞いたな」
「エ?」
「ほら、みろ! やっぱり何か裏があるんじゃねえか! あの愛想の良さが怪しんだよ!」
「怪しかろうが何でもイイ。かっこいいんだカラ」
ノスリの意外な言葉に私は驚いたけれど、偉そうなタゲリの態度に腹が立つ。
それからはもう本当に完全無視で課題に取り組んだ。
実のところ、どうやら私は前世でもアイドルにのめり込む――というより、そうすることで生きがいを見出していたんだと思う。
生きがいっていうのは大げさかもしれないけれど、前世でも嫌なことはたくさんあって、それをアイドルを追いかけることで現実を忘れていたのだ。
お兄ちゃんも卒業してしまった今は、何か学校に通うための口実が必要なんだよ。
それは漠然とした将来への不安。
魔法の力がそれなりにあったばかりに、特に私の得意魔法が火属性であるために、おそらく軍へと配属されるだろうから。
今のところ、この国も近隣国でも戦争はない。
でも代わりに厄災はある。
復旧作業ならそれでも耐えられる。だけど軍が出動するレベルの厄災が現れたら?
それが怖い。
「何?」
もう何を言っても返答のない私に諦めたのか、タゲリが去ったあと。
じっとノスリを見ていたら、その視線に気付いて訝しげに問いかけられた。
「うん……。ノスリの国は、この国ヨリ厄災や魔獣の発生が多いんだヨね?」
「……ああ」
「じゃあサ、卒業したあとはどうするノ? 国に帰って、厄災や魔獣と戦うノ?」
「大雑把に言えば、そうなるかな?」
「軍に入るっテこと?」
「それはまだわからない。直接対峙する道を選ぶか、なぜ厄災が現れるのかを研究する道を選ぶか……。この国は比較的厄災が少ないと思っていたけど、先月にはドラゴンが現れただろ?」
「……うん」
「ドラゴンはかなりの希少種だ。だから最初は誰もドラゴンだって気付かなかったらしい。ただ、とんでもない厄災が現れたってだけで避難した。まあ、これは正解だったわけだけど。図書室にあるだけの文献を調べたんだけどさ、過去の事例を見ると、実は七十年ほど前にもこの国にはドラゴンが襲来したらしい」
「そうナノ?」
というか、ノスリが文献を調べているなんて、知りもしなかった。
私が帰ったあとも、いっつも学校に残っているもんね。
「そこで気付いたことがあって、改めて文献を読み直したんだけどさ……」
「うん、それデ?」
「これはまだ俺の予想なんだけど、厄災には縄張りがあるんじゃないかって」
「縄張り?」
「ああ。正確には自分より強い厄災の生息地には、弱い厄災や魔獣は近づけないんじゃないかってこと。だから、この国にはどこかにドラゴンがいる。そのせいでトロールやサイクロプスなどの人間でもどうにか撃退できるクラスの魔獣は寄り付かないんだよ。他にもサラマンダーやバジリスクなどが出現する場所には、弱い魔獣は現れない。ただドラゴンほどの広範囲じゃないんだよ」
「なるほどね……。それっテ、すごく納得できるカモ。じゃあ、ノスリの国は最悪級の厄災の出現は少ナイってこと?」
「そうなんだよ。百年ほど前に一度、バジリスクの襲来があったんだけど、調べてみたらその前後数十年は他の厄災の出現がなかったんだ。だから俺、このことについてもう少し詳しく調べることにしたよ」
「それじゃあ……」
「うん、何だ?」
「いや、やっぱりイイ」
「なんだよ、気になるじゃねえか」
私が言いかけてやめたのは、答えを聞くのが怖かったから。
ノスリの説が真実に近ければ、ノスリは別にこの国で――この学校で勉強を続けなくてもいいんじゃないかと思ってしまったんだ。
でも、大丈夫だよね?
今さらパートナーが変わっても困るし、卒業まではノスリもこの学校にいるよね?




