2-16.扉の向こうの男
「いい加減、鍵を開けてくれないか?」
再度、ゾルと名乗った男が扉の向こうからルッグに呼びかけた。
「これ以上は待てない。もうすぐ妖魔が来ちまう。背に腹は代えられない……どうしても扉を開けたくないというのなら、力づくで鍵を壊す」
言っている内容とは裏腹に、部屋の外から聞こえる声には焦りも、怒りも、懇願の色も無かった。ただ淡々と事実を述べるような口調だった。しかし逆に、その淡々とした口調から、ルッグは外の男の『本気』を感じた。
(はったりじゃねぇ……『やると言った以上は、やる』……そんな口ぶりだ)
自分だって商人の端くれだ。交渉術くらいは心得ている。はったりを見抜く力はある……そう自負するルッグの本能が、この男は本気だ、と告げた。
弩を持つ右手にグッと力を入れる。
(どうする? 向こうが強引に扉を開けたところで矢を放つか? しかし鍵を壊されちまったら妖魔の侵入を防げない。そうなったら元も子もない。……ならば、鍵を開けて男を中に入れてやると見せかけ、不意打ちするか?)
そんな風に迷っていたのは、ほんの三つ数えるくらいの時間だ。しかし、その僅かな時間の迷いが、ルッグから選択権を奪ってしまった。
扉の取っ手ちかく、戸枠との境目から、いきなりニューッと大型ナイフの刃が生えた。
(何だっ、あれは!)
刃の青白い光が暗い室内を照らした。
(光る刃? 何の魔法だ?)
扉の向こう側に立っている男……ゾルと名乗る謎の男が、扉と戸枠の境に外からナイフの刃を差し込んだ……そうとしか考えられなかった。
無造作に、スッ、と差し込まれたナイフの動きから、力が入っているようには思えなかった。
厚いクルミ材を使った頑丈な扉だ。腕利きの職人が作ったのだろう、戸枠との間には寸分の狂いも隙間も無い。
ナイフの刃を差し込むなど不可能だ……その筈だ……
青白く光る刃は柔らかいバターでも切るように戸枠に沿って下に動き、扉を固定している金属製の閂の位置を通過した。
閂を通り過ぎるとき、小さく「キンッ」という音がした。
(金属の……閂が……切断された?)
ルッグの目の前で、抑えを失った扉がゆっくりと動いた。
男が立っていた。
身長は、たっぷり百九十センティ・メドールはあるだろう。
手に持ったナイフの青白い光が、松明のように男の顔を照らしていた。
見たところ二十代後半から三十歳くらいか。
灰色の髪。青灰色の瞳。削げた頬に薄い唇。全身を覆う灰色のマント。
左肩にトカゲが乗っていた。金と銀の鱗を持つ美しいトカゲだった。
ルッグは、扉が開いた瞬間に矢を放とうと決めていた。
しかし、〈灰色の男〉が纏う異様な雰囲気に飲まれ、一瞬、引き金を引くのを躊躇ってしまった。
逆に、それがルッグの命を救った。
「矢を射るなよ……」
静かな声で〈灰色の男〉言った。
「そんなもので俺は殺せない……そして、お前が矢を射た次の瞬間、俺はお前を殺す」
冷たく澄んだ青灰色の瞳がルッグを見つめていた。
(この男は嘘を吐いていない……この男の言う通りだ……どうしたらそんな事が出来るのかは分からんが……間違いない。俺が矢を放った次の瞬間、俺はこの男に殺される)
ルッグは大きく一つ溜め息を吐き、〈灰色の男〉に狙いをつけていたクロスボウの先端を下ろし「さっさと部屋の中に入れ」と投げやりに言って、「もう駄目だ」と頭を抱えた。
「もう駄目だ。もうお終いだ……貴様が鍵を壊したせいだ……この部屋は『安全地帯』だったのに……妖魔を侵入を防ぐ事は出来なくなった。もうすぐ夜だ。俺たちは二人とも妖魔に喰われちまうんだ」
ソファに座って頭を抱えるルッグをジッと見つめ、灰色の男は「そうとも限らんさ」と言った。




