21、肉体硬直
ガラス箱の少年ルニクは、ガラスの扉を開いて箱の外へ出ると、味方の警備兵士らが隠れている柱の陰に周った。
下衆な顔に似合わない警備兵団の制服を着た男が、クロスボウを持ったまま体を硬直させていた。
「ああーあ……面倒くせぇなぁ……〈蠅の妖魔〉は、敵味方の見境いが無いから嫌なんだよなぁ……いちいち、こうして……」
言いながら、少年は脛のほとんどを覆うブーツの中から長い鉄針を出して、兵士の首と肩の境界へ差し込んだ。
「味方の兵士を覚醒させないと使い物にならないんだから、なぁ」
針を差し込まれた兵士の体がビクンッと一回大きく震え、ルニクが針を抜くと同時に筋肉の硬直が解けて瞬きを始めた。
「おいっ!」
少年ルニクが、二十歳以上も年上の男の頬をぺしっ、ぺしっ、と叩いた。
「動けるか?」
「……ああ、はいっ、ルニク様……」
三十代半ばに見える男が、十三、四の少年に、へりくだって返事をした。
ルニクが指示を出す。
「向こうの柱の陰や、女神像の足元に、〈抵抗団〉の奴らが隠れたまんまの姿で筋肉を硬直させて動けなくなっているはずだ。そいつらを連れて……いや、運んで来い」
「はっ」
麻痺を解かれた兵士が女神像の台座へ走っていく。
ルニクは味方の兵士に次々針を刺し、硬直を解いて命令を下していった。
* * *
やがて、人形のように動かなくなった〈抵抗団〉の男たちが神像の台座の前に運ばれ、横一列に並べられた。
ある者は直立したまま……別の者は片膝を突いた射撃姿勢のまま……まるで凍り付いたように動かない。
「んーん?」
女神の前に並べられた者らを眺めまわし、ルニクが首を傾げた。
「肝心の、今夜の『お慰め女』が居ないねぇ……どうしちゃったのかなぁ?」
たしかに、横一列に並んでいるのは、アーレンとその部下の仮面の男たちばかりだ。
「パン屋が居るはずなんだけどなぁ? パン屋の夫婦が、さぁ?」
ルニクが猫なで声で手近の部下に聞く。
「そ……それが……」
「まさか、居ないっていうんじゃないだろうねぇ? 逃がしたとでもいうの?」
「は、はぁ……」
「んな訳ねぇだろ! この薄らボケェ!」
いきなり、少年が警備兵士の頬を殴った。
ひょろひょろ体の十三、四の少年に殴られたからといって、さほどの痛みを感じるはずもないが、元チンピラの警備兵士は屈辱に顔を赤くした。
「す……すんません」
怒りと屈辱を押し殺し、警備兵士は、どうにか少年に頭を下げた。
「僕の〈蠅の妖魔〉は絶対無敵だよ? たかがパン屋の夫婦が逃げ切れるわけないよぉ……ねぇ? そうでしょう?」
猫なで声に戻ったルニクが、兵士に同意を求める。
「はぁ」
あいまいに答える兵士から、女神像の台座に視線を移し、少年は何かを思いついたようにそちらへ歩いて行った。
「この台座……さっきは『穴』が開いていたよねぇ? 密告した男が言っていた、地下迷宮の出入り口とやらが……」
「……はい」
ルニクに追いて来た兵士が後ろから返事をした。
その兵士に、少年がさらに重ねて尋ねる。
「でも……今は、台座の下に穴は無い……これって、どういう事?」
「さ、さあ……じ、自分には分かりません」
「ちっ……いちいち使えない警備兵士さんだな。扉が閉じたって事でしょ? つまり、この台座のどこかに機械仕掛けがあって、自動的に石の扉が開閉するようになっているんだよ。その仕掛けを作動させる仕組みが、どこかにあるはずだ……パン屋の夫婦は、きっとこの秘密の出入り口に戻って逃げたんだ……そしてその後、石の扉を閉めた……もし、最初に神殿が真っ暗になったとき既に逃げていたのだとしたら、僕の〈蠅の妖魔〉に捕まらなかった理由も説明できる。僕が〈妖魔〉を使役した時には、二人は既にこの石の向こうに逃げていたのさ……と、いう事は、この台座のどこかに石の扉を作動させる仕掛けがあるはずだが……」
そう言って、少年は、女神像の台座の側面をなで始めた。
「うーん……無いなぁ」
呟きながら、しきりに台座の側面を撫でるルニクに、神殿を調べ回っていた警備兵士が声を掛けた。
「ルニクさまっ! 向こうの柱の陰に女が居ました!」
「女?」
「はっ」
「パン屋の妻か?」
「いいえ! 〈抵抗団〉の一味です! と、言うより、自分はその女の顔を見たことがあります!」
「へええ……で、誰なの?」
「元警備兵士団の副団長、〈速剣の貴婦人〉(ドーミナ・グラーデイ・ヴェロクス)、マルティーナです!」
「なにっ! あの行政長官の息子ザックを振って、その後、行方をくらました、あの副団長のマルティーナかっ!」
「はっ!」
「ひゃっひゃっひゃ……そりゃあ、面白い! とっくの昔にどこか別の州へ逃げているだろうなって思ってたけど、一年もの間この町の地下に潜伏していた訳だ……ようし! 連れて……いや、運んで来い!」
* * *
やがて、体を硬直させたマルティーナが、兵士たちによって女神像の前に運び込まれた。
瞬きもせず、ピクリとも動かず、女神像の前に直立する美しい女剣士は、それ自体が自然の作りたもうた女神の像にも思える。
「へええ……これが噂の〈速剣の貴婦人〉(ドーミナ・グラーデイ・ヴェロクス)かぁ……」
人形のように動かないマルティーナを見て、ルニクが感心したように声を上げる。
「なるほど、美しくて気品のある顔立ちだなぁ」
少年が、その頬から顎にかけてをスゥーと人差し指で撫でた。
表情筋も、目蓋の筋肉さえも動かせない女の顔には、どのような感情も浮かんで来ない。
「でも、気品があればあるほど、それを滅茶苦茶にしたい、って欲望も湧いてくるんだよねぇぇぇ」
言いながらルニクは、今度は剣士用のズボン越しに、マルティーナの太腿の内側を、膝のあたりから腿の付け根まで、下から上へと撫で上げた。
「僕の〈蠅の妖魔〉は、筋肉を硬直させて体の自由を奪うけど……感覚は、そのままなんだよね。……視覚、聴覚はもちろん、皮膚感覚も、ちゃんとあるんだ……どう? マルティーナさん? 僕みたいな小僧っ子に股座を撫でられて、くやしい? それとも、ひょっとして気持ち良くなっちゃった? 僕の声は聞こえているんでしょ? ねえ?」
当然ながら、マルティーナは答えない。表情に何の変化も無い。しかし、それは意識が無いという意味では、ない。何らかの反応を示せないというだけで、〈速剣の貴婦人〉は何かを感じ、何かを思っているはずだった。
「ちぇっ」
ルニクが舌打ちをした。
「我ながら〈蠅の妖魔〉は完璧すぎるよ……こう何の反応も無いんじゃ、楽しくないや……でも、どっち道、パン屋の奥方の代用としてザック様に献上するとなれば、変なイタズラは出来ないし、まあ、いいか」
そして兵士たちを振り返って言った。
「おい、この女は行政長官公邸へ持っていく! 馬車に積んでおけ! それから僕も〈虫箱〉に乗って公邸へ行く! 〈虫箱〉に馬を繋いでおけ!」
「はっ!」
男たちのうち半数が駆け足で神殿の外へ出ていく。
「あの……」
残った男たちの一人がルニクに指示を仰いだ。
「この者らは、どうしますか?」
硬直した〈抵抗団〉の男たちを指さす。
「ああ?」
硬直したまま横並びに立たされたアーレン以下〈抵抗団〉の団員たちの顔を、ルニクは面倒くさそうに見回した。
「うーん……ああ、そうだ……お前ら、正規の警備兵士団のくせして、クロスボウの腕が下手すぎるんだよなぁ……都合の良いことに戦の女神像の前でもあることだし、ちょっと練習して、女神さまに弓の腕前を見てもらいなよ……生きた人間を標的に使って、さ」
少年にそう言われ、警備兵士団の者らは互いに顔を見合わせていたが、やがてニヤニヤと残酷な笑みを浮かべた。
「分かった?」
「はっ」
ルニクの念押しに、その場にいた兵士全員が返事をする。
「それじゃ、そういう事で……」
上半身裸の少年は、〈虫箱〉と名付けた車輪付きガラス製の箱の中に再び入り、腕枕をして仰向けに寝そべった。




