土偶がヒロインの乙女ゲームに転生しました
目を開くと、そこは一面真っ暗だった。
光差さない、ひたすらに真っ暗闇で、無音の世界。熱さも、寒さも感じない。何も聞こえない何も見えない何も感じない。
私は生きているのかすら曖昧な……感覚がない身で言うのもおかしいけれど、自分という確固たる、いや確固であるべきだった自我すら稀薄に思えてくる。
どうして、こうなったのか。私は、誰なのか。
頭がぼんやりとしていて、思い出せない。問い掛ける相手も誰も居ない。
ただ、一人身動きの取れない漆黒に包まれて、自問自答を繰り返すしかなかった。
そうして、どれ程時が経っただろうか。
――視界に、光が差した。
「見付けた……!」
それは、私にとって、救いの手にも同義だった。
目映い光を背負った青年が、私に手を伸ばしていた。
視界に映ったのは、澄んだ青の双眸。
白皙を紅潮させ、笑顔にも似た緩んだ表情で、彼は私を見ている。銀髪を土埃にまみれさせようとお構い無し、寧ろ誇らしげとも言える面持ちだ。
土埃でくすんでいようと彼から光が生まれているかのように思える、冴え渡る美貌に、私は言葉を失った。いや、放つ事すら思考から抜け落ちていた。
圧倒的な美に、ではない。
見た事もない程の綺麗な青年の顔は、会った事はないのに、既視感を覚えたからだ。
記憶の奔流が、視界ごと埋め尽くす。
脳裏に描かれた記憶が、まるで実体験のように彼の事を教えてくる。
ああ、そうか……私は、ブラック企業といっても過言ではない会社に勤めていた、のだ。終わらない仕事に疲弊して、マンションの階段から落下して死んでしまったらしい。
そして、この目の前の青年の顔に見覚えがあった事の理由も、思い当たった。
そう、彼は生前やっていた恋愛シミュレーションゲームの登場人物そのものの顔をしていたからだ。
何故、その人の顔をした人間が、私を抱き抱えているのだろうか。
「やっと見付けた、私の理想の土偶……! ああ、何て素晴らしいのだ……!」
今聞き捨てならない台詞を吐かれたんだけど。
今、私の事を見てそう言ったのだろうか。
恐る恐る、私を見つめるその瞳を見返して……そして、愕然とした。
彼の言葉は嘘ではなかった。青の瞳には、何処をどう見ても土偶にしか思えない土人形が映っている。
――そう、土偶が。
待って。
色々おかしいだろう。
いや私の頭がおかしいのかもしれないけど、それ以前に前提がおかしい。何で土偶なんだよせめて生物にしてくれ。やけに身動き取れないと思ったら。
落ち着こう私、現状を把握するべきだ。
喜ぶ青の瞳に映っているのは、紛う事なき土偶だ。
これが、私他ならない。……勘弁してくれ。
そこで遅れて思い出したのだけど、私がプレイしていたアプリは恋愛シミュレーションゲーム。そう、所謂乙女ゲームなのだけど、そのヒロインは、土偶の形をしていた。
誰か突っ込みを入れて欲しい。土偶ヒロインだぞ土偶ヒロイン。
……まさか、そのヒロインの体に入ったとか、そんな訳の分からない展開とかないよね?
いやでもヒロインの顔形(というか形状)にそっくりで、目の前にはその乙女ゲームのキャラが居る。運営には何故ヒロインを人間にしなかったのだと問い詰めておきたいがそれはさておき。
間違いなく彼は登場人物の一人だ。正しくは唯一の登場人物だ。
どうやら、私は乙女ゲームの世界に入ってしまった、らしい。
私が入ってしまったらしい乙女ゲームの世界……その名も『ドキッ☆土器パニック』。
タイトルを思い浮かべる度に無駄に頭痛がするタイトルだ。
タイトルから察せる通り攻略対象は土器の面々だ。なので登場人物は彼だけ。後は登場物である。これはひどい。
肝心なヒロインですら土器(土偶)なのだから、制作陣は何をトチ狂ってこんな謎な乙女ゲームを出したものか。いや乙女ゲームと言って良いのかこれは。誰得だ。
まず物語はヒロインが出土した所から始まる。
この時点からおかしい。
気を取り直し、ストーリーだけど……掘り起こされた土偶は記憶喪失で、その記憶を取り戻していくお話だ。
土偶がなければ王道だった。土偶がなければ。
記憶を取り戻す為に色々と手懸かりを辿っていく内に、自分以外にも土器として生きている者が居る事が判明。彼らと交流していく内に、ヒロインとヒーロー達の身に起こった事が徐々に明るみに……というお話だった筈。
敢えて言おう。
何故攻略対象を土器にしたのか。
土器が攻略対象で誰が喜ぶんだ、考古学者くらいだろう! 普通の女子は土偶や埴輪に萌えたりはしない!
一般的な嗜好では格好いい男の子と可愛い女の子がいちゃいちゃするのに需要があるのであって、誰が土気色の肌というかそもそも土なんだけど、そんな体と埴輪が身を寄せ合って互いに体を削るようなシーンを望むというのか!
……つい荒ぶってしまったが、やっぱり土人形のラブシーンなんて誰も求めていないと思うの。可愛くない。
人間の見目麗しい男女が現実では有り得ない展開でもラブパワーを以てしてくっついていくのを見るのが良いのであって、誰が人ですらない土人形の恋物語を見たいというのか。皆そんなもの見たいだろうか、否そんな人居るまい、私は見たくない!
しかし需要がなければ開発はされない筈だ。実際、それなりな数ダウンロードされたアプリだ。
かくいう私もダウンロードした側だから文句は言えないのかもしれない。
いやしかし私は自分の名誉の為に言っておくけど、土器に萌えるような嗜好は持ち合わせていなかった。
ジョークアプリ認識でインスコしてシュールな笑いを楽しんだのであって、決して、土器には萌えない。
ただ、一人だけ、攻略対象ではなく、サポート役の人間の男性が居て……その彼がオアシスだった事は、覚えている
それが、目の前の彼だ。
均整とれた体つき、繊細そうながらも意思の強さが窺える顔立ち、銀髪碧眼の美しい考古学者。
「しかし、美しい……! この計算された優美なライン。豊穣の女神を彷彿とさせる形状! 今まで見た事がない程に完成されている、その上傷もほぼない! 素晴らしい、実に素晴らしい! ああ、やはり土偶は良いぞ……良い、良い!」
さようならオアシス。
どうして変人と土器しか居ないんだ。カムバック、唯一の人型知的イケメン。
全身で『うわぁ』ってドン引きの気持ちを目の前の彼に伝えたいものの、私はなんの因果か土偶。
体は一ミリたりとも動かせないし、呼吸すら出来ていないというのにどう伝えたものか。
いや出来れば関わりたくなさげな人種に見えてきたのだけど、放置されて一生一人のままよりは幾分かマシだ。
というか動けないのに、どうやって好感度上げる為にイベント起こしてたりしたんだよ! どうやって意思疏通してたの! 此処で変にリアルにならないでよ、此処で!
「さあ、一緒に帰ろう。帰ったら直ぐに綺麗に磨いてやろう」
一人突っ込みを入れていたら、考古学者の青年……クラヴィスに大事に大事に抱き抱えられていた。大切に、優しく愛おしげに包むように。
これが愛しい乙女を抱き締めているならば格好がついただろうけど、残念ながら彼にとっての貴重品を抱き締めているだけだ。全く格好がつかない。
声音はひたすらに優しく、いっそ好いた相手に向けるものよりも尚甘い。
プレイしていた時はどきどきしながら聞けたこの声も、土偶化してしまった今では何故かちょっぴり寒気がする。や、無体はされないんだろうけどね?
声を上げる事もままならず、物言わぬ土偶な私はそのままクラヴィスにお持ち帰り(物理)される事になった。
宣言通り、帰って直ぐ、磨かれた。それはそれは丁寧に。優しく土埃を払われ拭われ磨かれ、これが人間の体だったなら悶絶どころじゃないわ。
懇切丁寧に磨かれついでにうっとりと撫でられて、感嘆の溜め息を幾度となくかけられた。ついでに肉体(土偶)の事も手放しに褒められた。
わーい超愛されてるー(棒)
ゲーム内ではクールなサポート役兼保護者だったというのに、何処をどう間違えたらこんな土偶に惚れ込む男になるのか。百年の恋も冷めるに決まってる。
けどどれだけ心の中で身震いしても、クラヴィスの手が私に触れる事は止まない。
愛しげに触れ、体(土偶。推定全裸)を見つめ、うっとりと吐息を零す。ぞわっとしてしまうのは仕方ないだろう。
「ああ、美しい私のクリスティーヌ」
誰だそれは。
どうやら状況的に私の事を呼んだらしい。掘り出して此処まで愛でて名前までつけるというのは、何というか驚きを通り越して呆れてしまう。
ゲームの中で見た彼とは全く別人であり、軽く、いやかなり引いていた。
表情が動かせるなら全力で顔面の筋肉をひきつらせていたのだけど、土偶なのでそれもままならず、心の内で「うわ超変態なんですけど」と呟くに留める。
私の内心に気付ける筈もないクラヴィスは、そのまま私を持ち上げ、愛情を表情するようにひんやりとした私の顔、特に唇に、口付けて――。
ポンっと、軽い音がした。
目映い光が溢れた訳でもない、隠す煙が現れた訳でもない。
極自然に、私は人間に戻って、脚を地につけていた。
目を瞠り、下を見下ろせば素っ裸。
思わず叫びそうになったのだけど、それよりも早くクラヴィスが愕然とした声を上げた。
「わ、私の土偶が……ッ!」
悲鳴にも近い声を上げたクラヴィスは、とてつもなく焦った様子で私の顔に、体に、視線を走らせる。
その瞳は、裸を映しているだろうに、何の照れも恥じらいも欲も……ああいや土偶に対する執着はあったけど、それ以外見せていなかった。
「硬質なひやりとした肌が……小さい中に完成された形状が……無機質ながらも色香を感じさせる面立ちが……!」
半泣きになりながらぶつぶつと呟き、それから私の体を勢いよくまさぐり出す。
そう、土偶からの変身を果たした、何も身に付けていない私の体を。
勢いよく、遠慮なく、半ばやけ気味に。土偶の象徴だったといえる部分を掴む。
説明しなくても分かるだろう。即ち、私の胸を鷲掴みしているのだ。
幸か不幸か、全く色っぽい仕草ではなく、寧ろ解せないと掌に力を込めて確かめる。
「嘘だ、私のクリスティーヌは、胴体に対してこんなにも小さくない!」
よしやろう、今からこいつは女の敵だ。
大きく振りかぶって――……。
「一体君は、げぶぅ!?」
人に戻って初めて行ったのは、全身全霊を込めた拳を振るう事だった。
地に崩れるクラヴィス。
……勢い余ってぶん殴ってしまったけど大丈夫なのだろうか。流石にやり過ぎたかもしれない。
しゃがみこんで揺すると「うう、私のクリスティーヌは土偶であって子供では」と呻きおったので、私は真顔でチョップによりとどめをさしておいた。心配して損した。
うずくまる姿に罪悪感が湧かない事もなかったけれど、私はこれからどうしたものかも考える事に一生懸命だった。
土偶ヒロインになってしまった事、サポート役のクラヴィスが変人であった事、キスで人間になった事、そしてまだ見ぬ攻略対象の事。
考えるだけで頭が痛くなりそうで、私はやっと自由になった手で頭を抱えた。
――この時の私は、まだ知らない。
クラヴィスと一緒に住むようになる事を。
攻略対象の埴輪や土器に言い寄られて何故かクラヴィスが焼きもちをやく事を。
一緒に暮らすにつれて、人間状態で居てくれと望まれるようになる事を。
そして、土偶になった真実を掴み、人間に戻った時に求愛される事を。
まだ、私は、知らない。いつの日か、その時が来るまで。
「何を笑っている?」
「いいえ、何でも」
今までの記憶をしたためた日記を読み返して微笑んでいた私に、土偶マニアの彼は不思議そうに視線を寄越す。
昔に比べれば随分と柔らかくなった眼差しに、私は内緒、と笑って日記のページを閉じた。