起・承
自分の容姿が優れたものであるという自覚はある。
かっこいいだのなんだのという褒め言葉は飽きるくらいに聞いてきたし、数えるのも嫌になるくらいに好意も伝えられてきた。
しかし――
「あ! ちょっと、そこのイケメンくん!」
そんな呼び方をされたのは初めてだ。他に人はいないので、間違いなく自分のことだろう。
「……なんですか」
視線の先にいたのは随分と背の低い女だった。百五十センチもないのではないだろうか。
「ちょっと手伝ってくれない?」
女の足元には大きめのダンボール箱が一つ。
「……それを運べばいいんですか?」
「うん。ここまでは運んだんだけど、重くって」
持ち上げようとすると、腕全体どころか腰にまで重みがかかった。
「――おもっ! なにが入ってんですか、これ!?」
「過去の資料。課長がなんか調べたいんだって」
つまり中身はファイルやら紙やらの束か。重いわけだ。
「……どこに運ぶんですか」
情けない話だが、一瞬でも早く下ろしたい。俺の問いに女は「庶務課」と答えた。どこだそれ。
「……すみませんが、案内をお願いします」
「あ、やっぱり知らなかった? そうだよねぇ」
のんびり言ってないで早くつれてってくれ。
俺の心の叫びが聞こえたのか、女は「こっち」と言って前を歩き出した。
「君、社内中の話題だよ。すごいイケメンが入ったって」
途中、エレベーター待ちのため荷物を下ろした俺にかけられたのはそんな言葉で、はっきり言ってどうでもいい。
「そうですか」
すっかり色を失った手を見ながら素っ気なく返す俺に、女は笑った。
「興味なさそうだねぇ」
「ないですから」
そんなことより、この荷物を持って俺はあと何メートル歩けばいいのだろう。本当なら今頃、食堂で親子丼を食べているはずだったのに、面倒なものに引っかかったものだ。
そんな俺の心情など知る気もなさそうな女は、隣でくすくすと笑っている。
「イケメンくん、思ってた人と違うね」
「……どんな人間だと思ってたんですか」
「んー、もっと外面が良くて世渡りが上手い人だと思ってた」
――間違ってない。確かに俺は、外見のイメージを損なわないように偽ってきた。爽やかで優しく、いつも笑顔を見せているような、そんな人物。
ただでさえ外見のせいで、いろんなやっかみを受けるのだ。性格が悪いと知れたら、なにを言われるかわかったもんじゃない。
しかし、それを人に指摘されるとは思わなかった。演じていることがばれると思っていなかったのもあるが、それ以上に――
本人を前にして“外面がいい”とか言うか! “イケメンくん”という妙な呼び方といい、どういう神経してんだ、この女! 歯に衣着せぬ、と言えば聞こえはいいが、こいつの場合、ただ失礼なだけだろう!
むすっと黙りこんだ俺を見て、その失礼な女は、またくすくすと笑う。
「そんだけ顔がいいと、人の顔色なんか気にしなくてもいいのかな?」
俺よりよほど気にしてなさそうな奴が、なに言ってやがる。
「……言っときますけど、俺は他の人にはもう少し好意的ですよ」
嫌味を込めた俺の言葉に、その女は嬉しそうに笑った。
「あ、私だけ特別なんだ」
……なぜ、そうなる。
「あんた相手に猫かぶってもメリットがないって言ってるんです」
イコール、あんたと仲良くする気はないと言ったつもりだった。それなのに――
「お、よくわかってるねぇ。私、猫かぶられるの嫌い」
女は無駄に前向きだった。
低い背と化粧っ気のない顔のせいで幼く見えるが、同期ではないので年上なのだろう。
かといって大人しく「先輩」と呼ぶ気にもならないので、「ちっちゃい先輩」と言ってやったら、それも喜ばれた。
「いいねぇ、それ。“ちっちゃくて可愛い先輩”の略でしょ?」
「……いえ。“体はちっちゃいくせに態度はでかい先輩”の略です」
「あ、“体はちっちゃいけど心は広い”っていうのもいいねぇ」
単語は似ているが内容がまったく違う。勝手にプラス方向に変えるな。
「“体はちっちゃいけど胸はおっきい”」
いや、まったくおっきくない。寄せて上げても無駄です。それ、どう見てもAカップでしょう。
「――って言えないところが辛いねぇ」
ちゃんとわかっていたらしく、胸もちっちゃい先輩は「あはは」と笑った。
そんなことをやっているうちに庶務課につき、俺はようやく重い荷物と疲れる先輩から解放された。
「イケメンくん、ありがとねー」
俺の名前は瀬田ですと訂正する気力もない。疲れきった状態で食堂に向かい、一番早く出てくるカレーライスを三分でかきこんだ。
◇―◇―◆―◇―◇
「あ、イケメンくん。ちょっと手伝って」
次にちっちゃい先輩に会ったのは、やはり食堂に向かう途中で、どうやら庶務課の倉庫がそこにあるらしい。
「……その呼び方やめてもらえませんか? 俺には瀬田って名前があるんです」
「あ、私、守岡苑乃」
「……そうですか」
なんだかとても呼んでもらえなさそうな気がする――という予想通り、ちっちゃい先輩は「それでね、イケメンくん」と話を続けた。
「もう一箱取ってくるから、先にこれ、運んでもらえないかな?」
疑問の形をとっているが、それ、すでに確定事項だろう。
「……庶務課でいいんですか」
「うん。場所わかる?」
「こないだ教えてもらいましたので」
嫌味のつもりだったのだが、やはり通じなかった。
「いいなー。私、方向音痴だから一回じゃ覚えられないよ」
エレベーターで五階まで上がってまっすぐ進むだけの道のりをなぜ覚えられないのか。
やはり疲れる先輩とのやり取りを切り上げ、俺はエレベーターへと向かった。
今回の箱は大きさの割に軽い。歩く度にがさがさと音が鳴るので、隙間も多いのだろう。
もう一つの箱も軽いものらしく、ほどなく、ちっちゃい先輩が追いついてきた。
「やー、助かったよ。一人だったら二往復しなくちゃいけないところだった」
「……庶務課には他に人はいないんですか?」
「いや、いるよ。みんな忙しくてね。私はパソコン苦手だから、こういう仕事を押しつけられるの。おかげで二の腕のたるみが無くなった」
あはは、と笑う先輩はやはりどこまでも前向きだ。だが、それに人を巻き込まないで欲しい。俺はべつに二の腕を引き締めたいなんて思ってない。
「今日はなにが入ってるか訊かないの?」
「……軽いのでいいです」
この間は、あまりにも重かったから思わず訊いただけだ。実のところ、中身がなんでも俺には関係ない。そして興味もない。
それなのに――
「この中はねー、使わなくなった備品とかが適当に入れてあってねー」
聞けよ、人の話。
その後勝手に続けられた話によると、テープカッターのテープをつける部品が壊れたので新しく買おうと思ったら、課長が、以前刃の部分がいかれたテープカッターがあったからその部品は余っているのではないかと言い出したらしい。
「それなら、倉庫の中でその部品だけ探してくればよかったじゃないですか」
そうすれば荷物は格段に減る。俺の昼休みを潰されることもなく、一番時間のかかる天ぷら蕎麦だって頼むことができた。
「私もそう言ったんだけどねぇ。ついでに中になにが入っているか確かめたいんだって」
そんな理由で俺の天ぷら蕎麦はカレーライスに変えられたのか。名前も知らない課長に文句を言いたくなった。
しかし、爽やかイケメンの瀬田くんはそんなことで怒ってはいけない。
「あれ? 二箱あったの? 悪かったねぇ」
そう言う課長らしき男性に笑顔を向け、その場を立ち去る。
次にちっちゃい先輩に会ったとき、
「イケメンくん。世渡りうまいんだねぇ」
と嫌味にしか聞こえない台詞を心底感心したように言われた。
◇―◇―◆―◇―◇
庶務課の雑用係というのは本当らしく、その後、何度も倉庫の前でちっちゃい先輩を見かけた。いつも一人で、他の人の姿はない。
そして俺を見つけると、決まって、
「あ、イケメンくん。手伝って」
と声をかけてくる。
少しは遠慮しろ。あんたのせいで、一週間に一度はカレーなんだ。
ちなみにうちの会社は昼休みの時間が課ごとにずらされているため、ちっちゃい先輩の昼休みが削られることはない。彼女は仕事の時間に仕事をしているだけで、昼休みが削られるのは俺だけだ。
それもあって荷物を運ぶときは常に不満を顔に出しているが、無駄に前向きなちっちゃい先輩は気にしない。受け答えがおざなりなことなど無視してぺらぺらと話し続ける。
去年入社したとか、ずっと庶務課だとか、実家は焼き鳥屋だとか、名前は“とりのもり”だとか、南区にあるとか、土日は手伝いに帰るとか。
興味もないのに何度も聞かされるものだから、すっかり覚えた。
「よかったら食べに来て」
「行きません」
「えぇっ? 焼き鳥、嫌いなの!?」
「焼き鳥は好きですが、ちっちゃい先輩の家までわざわざ食べに行く理由がありません」
しかも南区って。電車使っても一時間はかかるんだぞ。
「あ、そっか。よかったー。焼き鳥が嫌いなわけじゃないんだ」
「……俺が焼き鳥嫌いだと問題でもあるんですか」
「イケメンくんだけじゃないよ。焼き鳥屋の立場からすると“焼き鳥が嫌い”って言われるのは、ちょっと悲しいの」
先輩はここの社員なのだから厳密には“焼き鳥屋”ではないのだが、焼き鳥屋の感覚が染みついているらしい。
確かにこの人は大企業でパソコンに向かっているより、焼き鳥屋で給仕してる方が似合う気がする。
なんとなく想像して、まるで子供が頑張って家のお手伝いをしているかのような光景に少し笑った。
◇―◇―◆―◇―◇
倉庫の前にちっちゃい先輩。俺の数メートル前に他の男性社員。
てっきり、その男性社員がつかまるものだと思って同情していたのだが、先輩はちらりと顔を見ただけでその社員をスルーした。
今日は荷物が少ないのかと思いきや、俺に気づいて、「助かった」とでも言っているかのような笑顔を零す。
「イケメンくん。手伝って」
「……なんで、さっきの人には頼まないんですか」
今日は唐揚げ定食の気分だったのに、と不機嫌になった俺を気にする様子もなく、先輩は「あぁ」と社員が去った方向に視線を向けた。
「あの人は駄目だよ。前頼んだら、“昼休み中なんで”って断られた」
………………断ってよかったのか!
思わず頭の中で突っ込んだが、よくよく考えてみれば、それは正当な理由で、そもそも庶務課の仕事を俺が手伝う必要はない。
……なんでそれに気づかなかったんだ……。
我ながら阿呆すぎて落ち込む。なにも毎回親切に手伝って昼食をカレーにする必要はなかった。断ればよかったんだ、ただ単に。
がっくりと肩を落とす俺を気にする様子はやはりなく、ちっちゃい先輩は能天気に言葉を紡いだ。
「イケメンくんが通ってくれて助かったー。コピー用紙だから、ちょっと大変だったんだよね」
そうとう重かったらしく、俺を見つけるやいなや、先輩は箱を下ろしていた。大きさはたいしたことないが、中にぎっしりコピー用紙が詰まっていると思うと気が滅入る。
しかし、この重そうな箱を自分よりずっとちっちゃい女に運ばせるのも気が引ける。中身を知った上で断ったら、俺がものすごくひどい奴みたいじゃないか。
「……庶務課ですか」
「うん。ありがとー」
――くそっ。次は断るからな。
そう固く決意したはずなのに、なんだかんだで断れず、「次こそは!」と思う日々を続けているうちに、なぜか――
ぱったりと、先輩の姿を見かけなくなった。




