7 女王の招待状4 奇妙な馭者II
城下のメイン通りを、車を引いた5羽の兎が駆け抜ける。
蔦薔薇で覆われた城門も薔薇園さながらの庭も曲がり角でも直線も、一度も失速させることなく鮮やかな手綱さばきで一直線に駆けきった兎車は、城の正面扉の前で急旋回し、土煙を上げて、滑り込むようにピタリと止まった。
遠心力に逆らいきれずに馭者台から投げ出されそうになった女の体を蜘蛛のようなその長い腕で支えきりながら、自身はまったくぶれることなく、扉を欠けさせることも階段に乗り上げることもなく、ちょうど良い位置に寸分の狂いもなく停車させた道化師に、女はすごいと絶賛し、惜しみない拍手を送った。
『最高だ! まったく最高だよ!』
ふいに、森を抜ける間にすっかり兎車に慣れた様子の女の、疾走感に興奮してはしゃぐその様子が、脳裏に焼きついて離れない懐かしい残像と重なって見えた。
聞こえるはずのない懐かしくも恋しい声が鼓膜をえぐって、唇がわななく。
わかっている。目の前の女とは似ても似つかない。
なのに。
かさ高のシルクハットをかぶり燕尾服を着こなした紳士が誰はばかることもなく無邪気に腹を抱えて笑うその様子が。いかにも易々と、鮮やかすぎるほど鮮やかによみがえって、男は「ーーー嗚呼」と震える息を吐いた。
遠心力に逆らうことなく弾き飛ばされた体を巨大兎の尻尾に受け止められ、世界を逆さに見たまま目を輝かせ、身をよじって笑っていた、在りしかの人。
『傑作だ! いかにも我が王が気に入りそうな土産話じゃないか!』
我らが王女諸子はこうした土産話を好むのだ、我が王は私が訪ね歩いた物語を王女連中に聞かせるのが楽しみでならないからと大層得意げに笑った。
男は、それをなんとも言い難い気分で見つめていたものだ。
嫉妬、羨望、苛立ち、呆れ、喜び。
思わず無表情になった男の暗い眼差しが、じっと女を見つめる。
被らない。似ても似つかないと思うのに。
なのに、どうして面影が重なってしまうのかーーー。
どこか遠い目をしてじっと自分に見入る男に気付いているのかいないのか、女は身づくろいに夢中で、幸か不幸か男の方を見もしなかった。
ヤマネが毛づくろいをするのにも似た仕草で乱れたドレスや髪を忙しなくなでつけ、頼りない首筋を無防備に晒している。
男の手であれば片手で一周できてしまいそうな、頼りない首筋だ。
ふと、頭の片隅に疑問がわいた。
あの細い首筋に手をかけたら、どうなるのか? どんな感触がし、どんな目をするのか? 何か変わるか、それとも、何も変わらないだろうか、と。
(ーーー知りたい)
ざわりとする。
喉の渇きにも似たその衝動に指先がうずく。
知りたいとそればかりがわいて、うずく指先の収まりどころを求めてゆっくりと腕を伸ばし、そしてーーー糸が絡まった操り人形のような変な形で宙吊りに止まった。
半分は、そよ風が帽子の鈴を鳴らしたから。
もう半分は、女が振り返ったために。
ブルーベリージャムのような目がキョトンとして、その目に自分の姿が映っている。
「あの…どうかされました?」
「失礼を。私とした事が。手綱を落として仕舞いました…拾って参ります」
言われて初めて兎がいなくなっていたことに気づく。
(手綱がなくなったら、勝手にどこかに行ってしまうわけね)
けれど、それがかえって兎らしい気がしてなぜだか変にほっとする。
城の兎だ。訓練はされているのだろうけれど、それでもやはり馬とは違うのだ。
男の気配が隣からなくなって、女は自分が緊張していたことを知った。
(なんだったの、一体…?)
思わず呆然と首元をこすっているのに気付き、ハッとする。
鼓動がドキドキと高鳴る様は、まるで恋でもしたかのようだ。
「まさかね」ないわよね。
へにょりと力なく笑う。
いや、道化のメイクをしていても綺麗な顔立ちだとは思うが…でも…いや、まさか…
呆然と考え込んでしまって、力が抜ける。
男が戻る気配はない。
赤い薔薇が咲き乱れる城内は風まで薔薇の香りがするようだ。
女は大きく息を吐き、せっかく整えたドレスな膝に顔を埋めた。