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5 女王の招待状2 兎車の迎え

 城の使者を名乗るその男は、奇抜なトランプの服を見事に着こなし、控えめなピエロのようなまるで信用ならないメイクを施した顔に、モナリザのような微笑を浮かべ、恭しく首を垂れた。


「ハートの女王の命により、ゲスト様を御迎えに上がりましてございます」


 道化帽の先に付いた鈴が、りんと軽やかな音を鳴らす。


(やっぱり大人もいたんだわ!)


 不思議の国に来てからこちら、双子のディーとダム以外見なかったから、知るすべがなかったが、目の前の男は明らかに大人に見えた。

 身の丈ほどあろうかという巨大な五羽の白兎が、目の覚めるような赤薔薇のキャビンを引いている。キャビンの扉を開く男はどう欲目に見ても胡散臭かったが、大人であるというそれだけで心細さが溶ける気がして、女は涙腺がゆるむのを悟られまいと躊躇なく馬車ならぬ兎車に乗り込んだ。


「素敵!」


 思わず感嘆の声を上げた女に、「女王様は、深い赤色を大層お好みでございますので」と使者の男が慇懃に応える。


「そうなのね。本当に素敵だわ。あなたの女王様は趣味が良くていらっしゃるのね」

「ーーー私の?」


 淡いベージュを金縁で上品に整えたキャビンとその贅沢な座り心地に、惚れ惚れと、そして本当に着替えておいてよかったと安堵の混じった息を吐く。

 今は双子と並んでも違和のない程度に相応のドレスは着ているから落ち着いていられるが、寝間着のままだったなら、きっと羞恥でとんでもなく縮こまっているところだった。

 それほどに内装に隙がない。

 しげしげとキャビンの中を見回していた女は、しかし扉を閉められそうになって、はっとした風に使者の手を止めた。


「ごめんなさい、不躾に。でも、まだ閉めないでくださる? ディーとダムが一緒に来てくれることになっているの」

「お待ちになるので?」

「だめかしら?」

「構いませんが、しかし」


 男の首がことりと傾く。


「―――しかし、なぜお待ちになるのか、私めには解せない。時折、御婦人には解せぬ御趣味を御持ちの方が御見えになられる。貴方様は、待つのが御趣味で御出でになる?」


 いつの間にこれほどに近付いたのか。


 鼻どうしが突くのではないかと思うほど近づけられた顔に、反射的に身を引いた背がキャビンの壁にぶつかって、困惑する。


「なぜって、だけど、二人とももうすぐ来るもの」

「御趣味ではないのに御待ちになるので?」

「だって、一緒に行くって…だから」


「成程」


 なるほどと頷く顔はピエロの化粧で表情が何も読めない。

 それはひどく道化て芝居じみた仕草で、真っ白な手袋をはめた細い指先が顎の輪郭をなぞって掬い上げる。


「貴女はルイス氏と少し似て御出でになる」


 胡散臭さしかないはずのその仕草に、けれど、無視するのが戸惑われるほど確かな哀しみが見え隠れして、女は目を瞬かせた。

 慰めなければならないような気がして開きかけた口は、しかし「ーーーで、あるならば」と囁くような声音の言葉が続いたことで閉じられた。


「もし…もしも、貴女様がよろしければ」


もごもごと何度も口ごもりながら何事か告げようとする、掠れた声に耳をすます。

奇妙なメイクに似合わぬ神妙な顔とどれほどの間向かい合っていただろうか。

ふいに「嗚呼」開いては閉じ閉じては開いていた唇が息をこぼした。


「私とした事が…時間切れだ」


同時にパッと手を離れ、操り人形が糸に引かれて立ち上がるように男の体がふらりと離れ、先ほどまでの緊張感など忘れたかのように軽妙にキャビンの扉を滑り抜けた。

車体が傾いていたのだろう。キャビンがぐらりと左右に揺れて、正面に止まる。


なんだったのだろう…?


強張った体から力が抜けて、ぺたりと椅子に座り込む。

微かに震える指先を隠すように握り込み、女はフーと息を吐いて天井を仰いだ。


「二人とも、もう来るわよね…」


自分を落ち着かせるように呟きながら、さっきは何を言われようとしていたのだろうかと考える。

色々聞きたいはずだった。大人に会えたらと考えていたはずだ。

(あああ、もう!)

頭を抱えてうなだれる。

ただ、それが後悔からか安堵からなのかは、自分でもよくわからなかった。



「あれ? 兄弟、まだ兎車があるよ」

「おかしいな。お客人は、とっくに家をでたとおもったけど」


自分の頭より大きくていっそ毒々しいほどカラフルな箱を抱え、双子は顔を見合わせた。

いい予感と悪い予感がする。

自分の領域に従属する森の草木石くれにいたるまで、ザワザワとさざめき、不穏と喜びを伝えてくる。


思わず駆け寄ろうとして、「ねえ、兄弟。ぼくら、時間をかけすぎたみたいだ」キャビンから使者兼馭者の男がゆらりと出てくるのを見とめ、双子はすうっと冷たく目を細めた。


「これはこれは御二方、双方大層御機嫌麗しく御元気そうな御様子」


目が合った馭者の仮面じみたその顔が笑みを形作るのを射殺さんばかりに睨み上げ、双子は威嚇するように少し前まで大事に抱えていた箱を投げつける。


「おまえも相変わらずトンチキだね」

「イカれてうるさい」

「今度はぼくらに喧嘩をうろうとしてるわけ?」

「かうのは構わないけど、ここはぼくらの領域だ。命知らずだね。また時間を重ねてやろうか?」


女には金輪際けして聞かせることのない低い声音、開ききった瞳孔が明らかな敵意を見せて、森の草木が害意を示すように枝をしならせ茎から棘を出す。

並みの住人であれば泡を吹いて腰を抜かすであろう剣吞で不気味な双子の眼差しに射抜かれ、異様な雰囲気の森の風が『もしも…もしもーーー貴女ーーー様がよろ…ければ…』『貴女は…に…よ…似て…る』と間延びしたり途切れがちだったりとおかしな音で鳴る。

うつむきがちになった男が長い腕を曲げて額に指先をやり、「嗚呼、可笑しな」と肩を震わせる。


「いやはや此れは心外。御二方に喧嘩を? 滅相も無い!」


パッと顔を引き上げた男の面の裂け口風に化粧された真っ赤な口の端だけがにやと器用に吊り上がる。


「「ちょうしにのるなよ」」


唸るように囁く声が怒りーーーあるいは憤りだろうかーーーで震える


「もしもだって? あれはぼくらのお客人だ。ぼくらの領域で、ぼくらのお客人に、何をいうつもりだった? 喧嘩をうってない? そんなのあべこべ、おかしいよ。いじわるだね。悪いこだ」

「こどもの大事なものをとりあげるつもり? 許せないな…もちろん当然、悪い大人だからさ。ぼくらのお客人は、ぼくらの領域でずっといっしょにくらすさ。いつまでもね」


爛々と見つめる二対で一対の双子の眼差し。その異様な威圧感に、キャビンを繋がれている兎がビクリと震えて硬直する。

不気味な風音が止んだ。

森は今にも獲物に飛びかからんばかりの不気味さを湛えてしんと静まりかえっている。

だというのに、当の男といえば、何を動じることも、ましてや怯えることもなく、「何を仰いますやら」とむしろ弓なりに目を細め、かくんと首を傾けた。


「使者がゲスト様に御話させて頂く事に何の不思議が御座いましょう? 其れとも、御二方は退屈する御婦人を放っておけと? 其れこそ意地が悪いと云う物」「其れに、仰る事が解りかねます。彼の方は御客様で御座いましょう? 御客様と申します方々は、皆様何れは辞されるが定め。其れを無為に御引き止めに? はて、解せません。そう、ちっとも」「況してや、良い子が為さる事とはとても申せません。無論ーーー万が一、本当ならば、で御座います」


「つまり…躾が必要な悪い子はーーー?」


笑みを消し、両の指先を順繰りに合わせ、思わせぶりに視線を投げる。

苦虫を噛み潰した顔で強く唇を引き結んだ双子の歪んだ顔を見下ろし、「ーーー嗚呼、是は失礼。言わぬが花の御様子で」と真っ赤に裂けた口の端を弓なりに反らせて嘲笑う。

戯けて下げられた頭を飾る道化帽が揺れて、ちりんと鈴が鳴った。

カッと目の前で火花が散った。

双子の白い肌が一気に赤く茹で上がる。

苛立ちに耳まで赤く染め上げて、癇癪を起こした双子は頭をぐしゃぐしゃに搔きむしり、身をよじるように地団駄を踏む。


「あああああああああ! 口がへらないったら…っ!」


悲鳴じみた慟哭が、狂ったように吐き捨てられる。

腸が煮える熱を吐きだそうと叫べば、苛立ちに共鳴するように森が平静をなくし、嵐の前触れのように暗くなった空を、オオオ、オオオ、と唸りながら風が木の葉を舞い上げた。

ある木は鞭のように枝をしならせ、またある木は身をよじるように幹を曲げる。

ついには遠くの空に大鴉の気配すら感じだしたが、二人とも癇癪を止められないまま荒れ狂うばかりだ。

重たい羽音がする。

このままいけば、またあの大鴉との追いかけっこが始まってしまう。へとへとにくたびれて、逃げ出すこと以外どうでもよくなってしまうまで。


バタン!


風に煽られた赤薔薇のキャビンの扉が閉まったのだ。

ーーーそうだ。見せられない。彼女には。

ルイスのように狂騒にまぎれていなくなってしまうかもしれないし、そうでなくても怯えて逃げ出すかもしれない。

聞こえてしまった?

いいや、大丈夫。今はまだ。

すっと頭が冷えた。

大鴉の羽音がなりをひそめ、森は穏やかさを取り戻す。


「ーーーゲストのつきそいはゲストじゃないかな? ゲストの機嫌を損なう使者なんて、どうかしてるね。断固、絶対そうにきまってるよ」

「ーーーああ、そうだね。兄弟。ぼくはあの帽子が似合わなくなっちゃわないか心配だ」


帽子が似合わなくなる。

言われた瞬間、ずっと能面だった使者の男の顔をギラリと剣呑な光が走った。

ようやく調子を取り戻した双子がおやおやと肩をすくめた。


「ああ兄弟。ぼくら、城の使いのきを悪くさせたみたいだ。もちろん当然、これが真実だからさ」

「きを悪くしたのが顔にでるなんて、ますます帽子がにあわなくなるみたいだ。あべこべだね」

「道化帽がなくね、兄弟」

「そうだね、兄弟。存在意義がとわれるよ」


男を真似るように口の端の吊り上げて笑う。


「失礼を。口が過ぎました」


能面の道化師が慇懃に首を垂れるのを尻目に傍をすり抜けて離れる。


「ディー! ダム!」


転がり落ちるようにキャビンから出てきた客人に駆け寄って、「ごめんね。遅くなっちゃって」「先にでてるとおもったんだ」と口々に謝りながら飛びつく。

二人に飛びつかれた勢いで、客人はキャビンの中に逆戻りし尻餅をついたが、怒ることなく、むしろ心配そう風で乱れただろう髪をなでつける。


「大丈夫だった? すごい風だったから…」


平気だよと答える双子に、「なにかきこえた?」と怖々きかれ「いいえ」と首を横にふる。

実際聞こえなかった。使者の男に何を言われかけたのかとか自分のことばかり悶々と考えていて、外がどうかなどとんと意識していなかったからだ。

扉が閉まる音で我にかえって開けようとしたが、今度は風が強すぎてーーーあるいは筋力がなさすぎたかーーー慌てて押したり引いたりしたが開かなかった。


「あ、でも、声は聞こえてたのよ」


取り繕うように慌てて言って、「内容までは、分からなかったけど」と目をそらし、「他には?」と尋ねられてそういえばと手を打つ。


「あ! もしかして、お友だちだったのかしらと思った…かな」

「「 え 」」

「だって、二人があんなに長く他の人としゃべるのをはじめて聞いたから」


「「ちがうよ」」


「あんな友達、ぼくはいやだな」

「ぼくだっていやだ。死んでもごめんだね」




 ふいに、手綱をふるう音がした。


 何を身構える暇もなく、刹那、流石は兎の引く車だと納得のいく速度で車が急発進して、三人の体が強制的に座席に沈む。


 一体いつの間に乗り込んだのか、御者台の覗き窓からは、使者の男と思わしき帽子を被った後頭部が覗いていて、向かいの座席に双子が持ってきて男がキャッチした箱が置いてある。


「―――驚いたわ」


 呆けた声で呟いた女の微かな声を拾った男がちらりと流し目をくれて、「失礼」と応じる。


「女王様が御待ちでございますので」


 既にそれぞれ自分が持ってきたカラフルな箱―――巨大な菓子箱だった―――の中身へ意識を移していたはずの双子の視線が、一瞬ひどく皮肉びた視線を投げた。


「女王がまってるから? そんなのあべこべ、おかしいよ。だって、気にしたこともないくせにさ。女王のことなんか、茶会よりずっとどうでもいいやつさ」

「女王がまってるから? もちろん当然、そんなの理由にならない。断固、絶対帽子のさきほども大事じゃないにきまってるよ。いや、帽子のさきの方がずっと大事なんだ。そういうやつさ」


 言ったきり、たちまち興味を無くして菓子箱に夢中になる双子に、女は「失礼よ」と呆れた風に肩を竦めた。

マシュマロ、クッキー、カップケーキ。それからまだまだ。

箱のどこからそんなに出てくるのか入っていたのか、夢中になってパクつく双子の手は休むことなく働き続けている。


だけど、甘い匂いが今はつらい。

というのも、荒いのだ。運転が。

使者から馭者に転向したい男がぴしりと手綱を鳴らすたび、兎が跳ねてキャビンが浮き上がり、総じて中身であるところの三人ももれなく放られる。

内装がふわふわであるおかげで痣は作らずに済みそうだが、そろそろ気分が悪くなりそうだ。

双子の菓子箱の中身など、いの一番にぶちまけられそうなものだが、そうならないで行儀よくしているのがいっそ清々しいほどだ。



「ねえ、そっちへ行っても構わないかしら? 馬車―――じゃなくて、兎車に乗るのは初めてなの」


 どうぞと言われ、御者台の方へ身を乗り出した女の口から出たのは、しかし、歓声でも悲鳴でもなく、音ですらなかった。

 目前に迫る大木を避けるでもなく、ただひたすら真っ直ぐに車が突っ込んでいく様に、ただ色を無くし、息を呑むことしかできない。


(ぶつかる……!)


あわや衝突かと瞳を閉じることさえできず瞠目した女の眼前で、木が木とは思えぬ実に軽やかな動きでひょいと兎車を避けた。


「さ……避け、た?」


 震える声が戦慄く唇から漏れ出る。へなへなとキャビンの床に崩れ落ちた女の強張った顔を双子がきょとりと覗き込む。


「もちろん当然、そうにきまってるよ。道をあけない木なんて! ここはぼくらの領域だもの。断固、絶対ぼくらに道はゆずられる。規則なんだ」

「そうじゃなけりゃ、そんなのあべこべ、おかしいよ。ぼくらをよけない木なんてさ。ここはぼくらの領域だもの。規則だからね」


「…、そう…便利なのね…」


「御存知なかったので?」

「そうね。…死ぬかと思ったわ」


 持ち込んだ大きな菓子箱の中から取り出した、赤と白のキャンディー・スティックをがりりと噛み砕いて不思議そうな双子と御者をぎこちなく眺め、色のない顔で悄然と頷いた女は、思い出したように噴き出した冷や汗をそっと拭った。



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