4 女王の招待状1 赤薔薇の封蝋
いい匂いがする。
パーティーでも始まるのかと勘違いしてしまいそうなほど豪奢な食卓に、絵本や物語の中から飛び出してきたような料理が並んでいる。相変わらず、栄養のバランスとかカロリーとかなどお構いなしのいかにも子供好きがする食卓は、見るだけならば愛らしい。
すでにちょこんと並んで腰をかけ、朝食をはじめているらしい双子のつむじはまったく同じで、相変わらず襟にある名前の刺繍がなければ見分けられない。
「おはよう、ふたりとも」
言えば、「おはよう、お客人」と口々に言うようでいつでもぴたりと揃った挨拶が返ってくる。女が滞在するようになってから新しくできた習慣だ。
おはようからおやすみまで、双子は挨拶という認識がないらしかったが、「きちんとしたご挨拶は、おもてなしの基本だと思うの」という客人の言葉に納得し、ぎこちなく挨拶が返ってくるようになった。
今は、そのぎこちなく聞こえた挨拶もいくらか自然に聞こえる。
「よく眠れた?」
尋ねれば、「ううん、ちっとも!」と双子がにっこりする。
「ちっとも眠ってないし、よく眠ってもいるよ! もちろん当然、ぼくらははたらきものの双子だからということだよ。眠って、たべて、あそんで、眠るんだ。断固、絶対! ねえ、兄弟」
「そうとも、兄弟! ぼくらはちっとも眠ってないし、よく眠ったね。そうじゃなけりゃ、そんなのあべこべ、おかしいよ! つまり、ぼくらは仕事熱心なんだ。こどもの仕事も役も、どちらの仕事をさぼったりしないのさ」
「そうよね。えらいわ」
女の相槌に、子供らしい白くてつるんとした頬っぺたを嬉しそうに赤くする双子の愛らしい様子に目を細めながら食卓につく。
そうよねとは言ったものの、実のところ、女は双子の言うことの半分くらいは理解できないと思っていた。
曰く、双子の片目はずっと眠り、もう片目は眠ったり起きたりしている。眠る片目は王様の夢を覗き見ていているということだ。
『それがぼくらのつとめだからね!』
『へんなことがあれば、女王陛下にお知らせするんだ』
それが何なのかちっともわからないが、それが双子のつとめだと言うのなら、ただそういうものだと受け入れるしかない。
(夢だものね)
深く考えるだけ無駄というものだ。
いつの間にか都合よく目の前に現れたミルクコーヒーに手を伸ばし、完璧に自分好みの配分で入れられたそれを一口啜る。
ミルク多めのコーヒー濃いめ。それに蜂蜜を少し入れて、温度はぬるくなく熱くない程度に。
最初に双子と食事を共にしたあの日から、オーダーしたわけでもないのに最初からピタリと好み通りのものが供され続けている。
自分の好みが面倒臭い類だと充分理解している女は、さてはストーカーがどこかから見ているのではないかとおののいたが、まったくその気配などなく今日を迎えた。
むしろ、いつでも好み通りのミルクコーヒーが出てきて、絶妙なタイミングで熱々のクロワッサンやらワッフルやらが提供される方に慣れたと言ってよい。
双子の家に不足はない。それは、恐ろしいほどに。
玩具箱をひっくり返したような内装は、雑然としているように見えてその実ちっとも散らかっていないし、リネンは相変わらず清潔で、着替えたパジャマや服はいつの間にか綺麗になって、クローゼットの中に戻ってくる。
クローゼットの中に用意された服も、双子が来ているいかにもゴシックなーーー可愛いけれど自分が着るのは躊躇われる類のーーー服とは違い、装飾は控えめなレースくらいの大人し目で地味な黒の丈が長いドレスワンピースだった。
『お客人のクローゼットだもの、それはお客人のドレスさ!』
着替えもなかったので、今はそれをありがたく借りている。
(夢なのに借着だなんてーーー)
つい、変にリアルだわと呟いてしまったのを誤魔化すように、女はカップに口をつけた。
△
テーブルの向かいに腰かけた女が食事を始めたのを見て、双子も食事を再開する。
ちっとも美味しくなさそうに、しかし小さな手は何度も忙しなく皿と口を往復し、どこに入っていくのかわからないほど気持ちよく皿を空にしてゆく。
「いつ見ても圧巻ね。私が食べたらお腹が痛くなりそう」
圧倒されて苦笑する客人に、ディーはキョトンと首を傾げて指先のジャムを舐る。
「いいこはよくたべるものだよ。そういう規則なんだ。ねえ、兄弟」
「そうとも、兄弟。よくたべるのがいいこさ。そうじゃなけりゃ、あべこべだよ」
クリームとジャムがたっぷり塗られたサンドイッチにパクついて、ダムが頷く。
「お客人こそ、すくなすぎない? ミルク入りのコーヒーとジャムなしパンとかスープを少しとか。お客人はもっとたべるべきさ」
「そうとも、兄弟。コーヒー入りのミルクとワッフルに砂糖をふったのだけとか塩のワッフルとかだけなんか、ぼくら目茶苦茶だとおもうんだ。心配だよ」
「いいのよ。私はこれで。食べた分だけ身につくお年頃なの…」
「ふぅん? よくわからないけど、大人にも規則があるんだね」なんだか複雑みたいだ。
「そうみたいだね、兄弟。ルイスはもっと自由そうだったけど、もしかしたらぼくらにはわからない規則があったのかな?」
今となってはもう確かめようがないのが残念で、双子は眉を寄せて息を吐いた。
そのとき、ふいに純白よりもっと真っ白な鳩がマグカップを持ち上げた客人の手元に舞い降りて、ディーとダムは機械的に動かしていた食事の手を止めた。
「良く慣れているのね。あなたたちの?」
鳩に向かって愛でるように指を差し出した女に、双子はむっと眉を寄せて首をふる。
口の中のものをごくりと飲み込んで、心底嫌そうに息を吐く。
「ちがうよちがう! ああ、兄弟。いやなものがきたね。めんどうなものだよ」
「そうだね、兄弟。断固、絶対そうにきまってるよ。もちろん当然、ぼくらを邪魔するつもりさ」
「邪魔? だって、ただの鳩よ?」
「そうだね、ハトだ。ぼく、鳥っぽいものはみんなきらいさ」
「ぼくもさ、兄弟。でも、招待状のハトはもっときらいだよ」
「招待状? つまり、伝書鳩なのね」
女が優しげに目元を和らげたのも、皿からパンを少し千切り、手ずから砕いて鳩の側に撒いてやるのも、微かに緩んだ口元も、何もかもがなぜだかどうにも面白くなくて、「さあね」と答えたディーは苛立たしげに山と積まれたマカロンを一つ皿からつまむと、ポケットから取り出したパチンコで素早く鳩を打った。
可愛らしいパステルカラーの菓子に打たれた鳩がたたらを踏み、その柔らかな羽毛が跳ねかえしたそれがぽこんと軽い音を立ててテーブルの上に転がる。
「何をするの!?」
女の非難がましい尖った声に素知らぬ顔で首を竦め、ディーは声と同じように非難がましく自分を睨む視線を無表情に見返した。
ダムが同じ皿からつまんだマカロンをつまらなそうに口に放り込む。
「なににそんなに怒っているの? あんなの、ただの招待状じゃないか。そうでなけりゃ、あべこべだよ」
「ただの招待状ですって?!」
激昂しかけた女の燃える瞳が、「そうだよ。ただの紙きれだ」ほらとおざなりに指したディーの白い指先を自然と追って、それから愕然と見開かれた。
視線の先に鳩がいない。忽然と消えた可哀そうな純白の鳩の代わりに、少し汚れてしまっていたが、金インクの飾り文字が躍る純白の招待状と崩れたマカロンがひっそりとそこにあった。
「どういうこと?」
飛び去ればわかるはずだ。だのに、羽音一つしなかった。
「ハトなんかいやしないよ、だってそれは招待状だからさ。断固、絶対そうにきまってるよ」
鳩なんか初めからいなかったと口をそろえる双子の表情に嘘が見えなくて、女は物言いたげに開いた口を、しかし何も言葉にすることなく閉じた。
(伝書鳩自体が招待状だったのかしら?)
慣れた慣れたて思っていた不思議現象を上回る奇妙さに、収まったはずの頭痛と眩暈がぶり返しそうになって、寸でのところで耐える。
どこか不機嫌に、そしてなぜ怒るのかと不思議そうに自分を見つめる二対の瞳に言うはずだった説教はすっかりタイミングを逃がしてしまって、結局「……食べ物を、粗末にしちゃいけないわ」たったのそれだけがようやく音になっただけになってしまった。
ふうんと心底どうでも良さそうに応じた双子にため息で応じ、砕けたパステルカラーの破片の横から招待状を拾い上げる。
なんだか決まりの悪い思いをしながら、流れで宛名を確認した女の顔が困惑気味に歪んだ。
「これ、本当にあなたたちからじゃないのね?」
少し前まで不機嫌だったことなど忘れたみたいに二対の瞳が興味深げに瞬く。
「違うよ」
揃って首を横に振る双子を見て、「でも、私宛だわ」と訝しげな顔で眉を下げた女の両脇に素早く寄って女の手元を覗きこんだ双子は、しかし目が覚めるような真っ赤な薔薇の押印が押されているのを見止め、女よりもっとずっと苦い顔で呻いた。
「差出人がないわ」
「赤薔薇は女王のしるしなんだ。これは、ハートの城からの招待状さ。断固、絶対そうにきまってるよ。ーーーねえ、にぎりつぶしちゃう? 受け取ってないことにするんだ」
「いい考えだね、兄弟。だけど、それって言語道断。つまり、ゆるされないことだよ。お客人のあたまとからだがわかれわかれにならないか、ぼくはそれが心配だ」
「そうだね、兄弟。お客人のあたまとからだには、いつまでもなかよくしていてほしいもの」
芝居めいたところが欠片もないかけあいに、ふいにハートの女王の趣味が斬首だったことを思い出した女の背筋が寒くなる。
「やめてちょうだい。握りつぶす気なんか、私にははじめからないわよ。そんなことより、どうして私の名前があるのかの方が気になるわ」
上擦った声で無理やりに話題を変えた女に、双子がきょとりと首を傾いだ。
「どうしてだって? そんなの、招待状にはなまえがかいてあるべきだからさ。もちろん当然、招待客のさ。断固、絶対そうにきまってるよ。だって、招待状なんだからね」
「どうしてだって? 招待状だからさ! なまえがなけりゃ、とどかない。招待状なのにとどかないなんて、そんなのあべこべ、おかしいよ。だって、招待するためにだしているのにさ」
「そう……、よね。じゃあ、どうして私が招待されたのかしら?」
「「さあね!」」
「だれを招待するかなんて、主催者がきめることだ。どうしてなんてそんなこと、もちろん当然、わかることじゃない。必要なのは、招待状がだれあてかということでしょう? 断固、絶対そうにきまってるよ。お客人はへんなことをきにするね」
「うーん、でもしいていえば、そこにいないからかな。いつでもそこにいるなら招待なんかする必要もないもの。ぼくらが朝食にお客人へ招待状をださないのとおなじにさ」
不可解そうに肩を竦めた双子にそんなことより封を開けてよと促され、赤薔薇の封蝋を恐々と開く。
『明日、城へ』
「あした? 明日ですって?」
簡潔すぎる書面にいよいよ途方に暮れた風に眉根を寄せた女の横で、双子もまた大仰に眉を寄せた。
「あしただってさ。いかにも急だね」億劫そうに言ったディーの後を、
「いかにもわがままな女王がかんがえそうなことだよ」とダムが次ぐ。
「だけど、明日っていつなの?」
この世界には時間がない。明日なんていつまで待っても来ない。
一回寝たら、明日か? それとも、今?
「『あした』はあしたさ。つまり、今すぐだね」
「いつでもいいなら、『ごゆるりとお越しください』だからね」
「ひとりでって、書いてなかったね? ねえ、兄弟」
「そうだね、兄弟。ぼくら、ついていってもいいんじゃないかな」
頷き交わす双子の横でテーブルから料理が掻き消え、テーブルが見る間に片付いてゆく。
「ついてきてくれるの? 心強いわ。ありがとう」
双子は一瞬面食らったような顔で照れくさそうに頬を染めたが、すぐに照れたことを取り繕うように「だって『ぼくらの』お客人だもの」と頷いた。
「いいこは、玩具―――じゃなくて、お客人を大事にすべきとおもうんだ。ひらめいたんだよ! ねえ、兄弟」
「そうとも、兄弟! お客人のことは玩具よりもっとずっと大事にあつかわなけりゃ、そんなのあべこべ、おかしいよ! だってぼくらはいいこだからさ」
双子が面食らい、はにかんだ本当の理由を知らぬ女が微笑ましげに目を細め、そして何か思い至った風に「あ」と口元を押さえる。
「お城までどれくらいあるの? それに、私、この格好で大丈夫かしら? ドレスコードがよくわからないのだけど…」
お客人の基準では立派なドレスだという喪服のスカートを引っ張り困った顔をする客人に、ディーとダムはすっかり染まった頬を隠すように俯いて、一瞬言葉に詰まったのを誤魔化すように早口に言った。
「それじゃあ、衣装箪笥に相談すべきだ。断固、絶対そうすべきだね! もちろん当然、お客人のための衣装箪笥だからさ」
「そうだね、兄弟。きられる服がはいってなけりゃ、そんなのあべこべ、おかしいよ! それに、城からはむかえがくるんだ」
「遠くても近くてもね!」
「もう着替えを用意してくれてたのね? ありがとう。嬉しいわ。だけど、迎えが来るなら急がなくちゃいけないわね」
顔をほころばせ、手を打ち合わせ、喜ぶ姿に今度こそ本当の本当に言葉が詰まる。
急いで支度をするから待っていてと言い残し、嬉しげな足取りで客室に戻った女の後姿を面映ゆく盗み見て、双子は実に不可解そうに、複雑な顔で眉を下げた。
「こころづよい…って、なんだろうね? 兄弟」
「さあね。でも、喜んでくれたみたいだ。よくわからないけど…」
「ねえ、顔が赤いよ、兄弟。ジャムつきパンみたいだ」
「ジャムつきパンみたいなのは、兄弟じゃないか。そんなの、あべこべだよ」
「だって、あんなの仕方がないとおもうんだ。まるでぼくらが必要みたいにさ。はじめてだもの。もちろん当然、ルイス以外でさ。もしかしたら」
「そうじゃなけりゃ、あべこべだよ。ぼくだって、はじめてだ。つまり、…ルイス以外でさ」