『我思う、ゆえに昼休み』
ある朝、会社の全員が急に哲学に目覚めた。
部長が会議室で言った。
「諸君。我思う、ゆえに我あり、だ。」
営業が手を挙げる。
「ということは、考えないと消えるんですか?」
経理が青ざめる。
「昨日、何も考えずにレシート整理してました…」
社内がざわついた。
考えないと存在が危うい。
その日から、みんな必死に考え始めた。
コピー機の前で。
「この紙は本当に紙なのか?」
給湯室で。
「コーヒーの苦味は主観か客観か?」
トイレで。
「個室とは何か。仕切りとは何か。」
業務は一切進まなかった。
社長が緊急会議を開く。
「落ち着きなさい。我々は昨日も存在していたはずだ。」
若手が言う。
「でも昨日の僕を、今の僕が証明できますか?」
沈黙。
その瞬間、総務の田中さんが消えた。
「あれ?」
田中さんは昨日、有給だった。
そして今日も何も考えずに休んでいる。
「考えていない人間は存在しないのでは…?」
社内はパニックになった。
全員、必死に思考する。
「私はここにいる!」
「私は今、疑っている!」
「私は思考しているから存在している!」
すると、隣の席の山本がふっと消えた。
「山本、何考えてた!?」
机の上にはメモが残っていた。
『今日の昼、何食べようかな』
部長が叫ぶ。
「それは哲学じゃない!」
混乱の中、社内チャットに通知が来る。
〈存在安定率:低下中〉
人事部が提案する。
「毎日10分間、“私は存在する”と唱えましょう」
翌日から朝礼はこうなった。
「私は存在する!」
「私は存在する!」
「私は存在する!」
宗教みたいだった。
しかし数日後、重大な事実が発覚する。
清掃員のおばあちゃんが、普通に存在している。
誰よりもぼんやりしているのに。
部長が聞いた。
「あなたは普段、何を考えていますか?」
おばあちゃんは笑った。
「何も考えてないよ。風が気持ちいいなあとか、そんなこと。」
その瞬間、誰も消えなかった。
会社は静まり返る。
もしかして。
存在とは、必死に証明するものではないのではないか。
部長がつぶやく。
「我思う、ゆえに我あり…だが、
考えなくても、まあ、あるのかもしれん。」
その日から会社は元に戻った。
消えた人たちも戻ってきた。
会議は退屈で、コピーは詰まり、上司は理不尽。
でも誰も消えない。
昼休み。
僕はふとつぶやく。
「今日、何食べようかな。」
消えない。
よかった。
たぶん存在って、
証明書よりも、
カツ丼のほうが強い。




