『余白を売る店』
駅前に、奇妙な店ができた。
看板にはこう書いてある。
「余白、売ります。」
最初は誰も気にしなかった。
でもある日、疲れ切った会社員がふらっと入った。
店の中はがらんとしている。
棚も商品もない。
ただ、椅子がひとつ。
奥から老人が出てきた。
「何分、お求めですか?」
「何分って?」
「余白です。あなたの人生の、何も起きない時間。」
会社員は笑った。
「そんなの、いらないよ。むしろ削りたいくらいだ。」
老人は静かに言う。
「今のあなたには、ないでしょう。」
会社員は試しに、10分だけ買ってみた。
すると、帰り道に奇妙なことが起きた。
スマホの通知が来ない。
電車が少し遅れている。
目の前の広告が、やけにぼんやりしている。
ぽっかりと、時間が空いた。
彼は、空を見上げた。
夕焼けだった。
いつぶりだろう。
空を「見る」なんて。
翌日、彼はまた店に来た。
「30分ください。」
数週間後、店は繁盛していた。
忙しい人ほど、余白を買いに来る。
学生も、主婦も、経営者も。
ある日、少年がやってきた。
「余白、いりません。」
老人が驚く。
「なぜ?」
少年は答えた。
「ぼくの人生、まだほとんど余白だから。」
店内が、しんと静まる。
老人は気づいた。
この店は、余白を売っているのではない。
余白を“思い出させて”いるだけだと。
やがて店は静かに閉じた。
誰も理由を知らない。
数年後、会社員は昇進し、忙しさは戻った。
でも、ときどき電車の窓に映る自分を見ると、
ほんの少しだけ、空を探すようになった。
余白は、買うものではなかった。
もともと、あったのだ。
ただ、詰め込みすぎていただけで。




