すべてを"きらきら"にしたがった少女が、もっとも"きらきら"にしたかったのは少女だった。
注意してください、かなしい話です。
雨上がりの夕暮れは、世界が水浸しで、酷く "どろどろ" しているように思えた。
ミナは泥はねを気にしながら、一人で下校していた。
いつもなら幼馴染みのレンと一緒に帰るはずの道。けれど、今日は独りぼっちだ。
(レンが謝ってくるまで、がまんよ。きっと、そうなるから)
不機嫌なミナの目に、アスファルトの窪みで "きらきら" と光るものが、見えた。
それは、"空の涙" が凝固したような、透き通った不思議な石だった。
拾い上げると、指先に "とくん" と温かい鼓動が伝わってきた。
その拍子に、ミナはお気に入りのスニーカーに、泥で"どろどろ"に汚れていることが気になった。
嫌だな、と思った瞬間だった。
「あ」
"空の涙" がミナの不快感を吸い取るように脈打つと、泥がスッと消え失せた。
スニーカーが "きらきら" と輝いているように見えた。
『……あと、4つ』
頭の奥で、無機質な声が響いた気がした。
ミナは辺りを見回す。誰もいない。
(気のせいかな)
ミナは "空の涙" を握りしめた。
これがあれば、私は、世界をもっと "きらきら" にできるかもしれない。
そんな使命感を感じていた。
見渡すと、あちこちが "どろどろ"に汚れている気がしてきた。
「"きらきら" にしてあげなきゃ」
まずは、角の家の飼い犬だ。
鎖をジャラジャラ鳴らして、激しく吠え立て、うるさい。
泥で"どろどろ"に汚れている。雨の後のぬかるみで遊んだのかもしれない。
"空の涙" を向ける。
"空の涙" がミナの不快感を吸い取るように脈打つと、泥がスッと消え失せた。
『あと、3つ』
また声がした。
けれど、そんなことより目の前の変化が劇的だった。
犬はピタリと泣き止んだのだ。
犬は座り込んだまま、瞬きひとつせず、尻尾も振らず、虚空を見つめて動かなくなっていた。
まるでツクリモノのようになり、そして、"きらきら"と輝いて見えた。
ミナの胸に、ちくりと針が刺さるような罪悪感がよぎる。
もしかしてとんでもないことをしてしまったのではないだろうか。
取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。
(でも、静かになったんだ。"きらきら"になったんだ。だから、これでいいのよね?)
ミナは自分に言い聞かせ、「お利口さんにね」と呟いて通り過ぎた。
犬は、なにも反応もせず、ただ動かないまま。
次は、何を "きらきら" にしようか、ミナの目がきょろきょろと動いた。
「静かに!道の端を!一列で!歩きなさい!」
近所のおばさんが学校のお友だちを怒鳴りつけていた。
頭はボサボサで、顔をシワクチャにして、大きな声でガミガミと叫ぶ。
でも、変だ。さっきの犬みたいに、泥で"どろどろ"に汚れている。
(へんなの。まさかあのおばさんも、雨の後のぬかるみで遊んだの?)
そのおばさんがこちらを見たとき、ひどく汚らしいと感じた。
ミナは思わず、"空の涙" を掲げた。
『あと、2つ』
おばさんは口を半開きにしたまま、スッと真顔になった。
ボサボサだった頭がブラシでとかしたみたいにまっすぐになり、シワクチャだった顔がゆるみ、静かになった。
まるでツクリモノのようになり、そして、"きらきら"と輝いて見えた。
「……おばちゃん?」
怒られていた学校のお友だちが、震える声で呼びかけた。
その顔には、解放された安堵ではなく、得体の知れないものを見た恐怖が張り付いている。
一人の子が、泣き出しそうな顔でミナを見た。
「ミナちゃん! いま、なにかしたよね? ねえ、なにしたの? なんか変だよ」
ミナは一瞬、言葉に詰まった。
ふたたび、ミナの胸に、ちくりと針が刺さるような罪悪感がよぎる。
もしかしてとんでもないことをしてしまったのではないだろうか。
取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。
「"どろどろ"だったから……、"きらきら"にしただけ」
ミナは学校のお友だちにそう言い捨て、足早に立ち去った。
交差点に差し掛かる。歩行者用の信号機は赤だった。
ミナは立ち止まる。でも、その信号機が、泥で"どろどろ"に汚れている。
いったい誰があんないたずらをしたんだろう。
でも、今のミナは、泥なんか、もう、気にならなくなっていた。
ミナが思ったのは、別のこと。
(どうして私が止まらなきゃいけないの? 車なんて来ていないのに?)
赤信号は、ミナを叱りつける意地悪な母と同じに思えてきた。
怒る理由なんてない。ミナはなにも悪くない。言いつけだって守ってるのに。
ただ、叱りつける。上から見下ろして、しなさい、と押しつけてくる。
胸の内側から、イヤだって気持ちがあふれてくる。
ミナは思わず、"空の涙" をぎゅっと握りしめた。
先ほどの学校のお友だちの怯えた顔が脳裏をよぎる。
本当に"きらきら"にしていいの?
これは "ルール" という守るべきことで、イヤだからって変えてしまってはいけないこと。
ミナもわかっている。さっきから、胸をチクチクと針で刺すように感じてる。
してはいけないことじゃないかって気づき始めてる。
でも。
迷いは一瞬だった。
待つことへの苛立ちが勝ったのだ。"空の涙" を掲げる。
「"どろどろ"は、いらない」
『あと、1つ』
信号機の赤い光が、フッと吸い込まれて消えた。青になったわけではない。
赤も、青も、なにも光ってない。ただの黒い目が2つ。じっとミナを見ていた。
それだけじゃない。その交差点にあったすべての信号機から、色が消えた。
箱がぶら下がっているだけになった。そして、"きらきら"と輝いて見えた。
車が、戸惑ったようにスピードを落として通過していく。
「これで、好きな時に渡れる」
ミナは、胸の痛みを、満足感で上書きした。
世界はミナの気持ちひとつで、 "どろどろ"を取り除き、"きらきら" にしていく。
ミナのぎょろぎょろとした目が動く。あと1つだと言った。だから、探さないと。
そして、つい、それを見つけてしまう。
振り返ると、レンがいた。
一週間前に些細なことで言い争って以来、目も合わせていない幼馴染み。
他の女の子たちと楽しそうに話しながら歩いて、近づいてくる。
ミナの胸がぎゅうっと締め付けられた。
締め付けられるような痛み。素直になれないこと。
彼が他の誰かと笑い合う想像をするたびに湧き上がる、黒くて重たい感情が――。
そして、気づいた。ミナは泥で"どろどろ"に汚れている。
雨の後のぬかるみに、ゴロゴロと転がって遊んだみたいに。
手に持った"空の涙" と、お気に入りのスニーカーだけが、異様に"きらきら"としてる。
ミナは否定した。
「私は "どろどろ" なんかじゃない! 私のせいじゃない! なのに、どうして?」
その "どろどろ" は、決してイヤな汚れなんかじゃなかった。
毎日のなかで、雨が降る日は必ずあって、どうしたって泥で "どろどろ" に汚れてしまう。
けれど。
その重たくてイヤな泥を、水で洗い流すように、なかったことにしてはいけない。
泥で "どろどろ"で触りたくなくても、目を背けたくなっても、魔法で消すのではなく。
ときには我慢して、泥の中に手をつっこんで、"きらきら"を捕まえる。
ミナは "空の涙" をポケットの奥深くへと押し込んだ。
ミナはレンを見つめ、勇気を振り絞って声をかけようとした。
「……れ、ン」
声が出ない。
喉の奥が、泥で"どろどろ"になって、詰まっているみたいに苦しい。
謝りたい。仲直りしたい。でも、拒絶されたらどうしよう。怖い。恥ずかしい。
"どろどろ"とした感情が、泥になって、ミナの口からあふれそうだ。
そのとき、ポケットの中で石が熱を持った。
『――?』
"空の涙" が何か囁いた気がした。
『――苦しいのはイヤだろう?』
「……う、うう」
『――"どろどろ"はイヤだろう?』
「……い、いや」
『――あと1つだけなら、いいんじゃないか?』
ミナは、うずくまってしまいたい。
苦しい。泣きたい。でも、レンはもうすぐ、そこに。
レンが気づいて、立ち止まった。
一緒に歩いていた女の子たちも一緒に立ち止まって、ミナを見る。
見られている、泥で"どろどろ"になってしまった私を、みんなに、レンに、見られている。
そう思うと、ミナはもう我慢できなくなってしまった。
このまま苦しみと向き合って謝るか、すべてを "きらきら" に変えて楽になるか。
(ごめんなさい、レン)
ミナは震える手で "空の涙" を取り出し、自分の胸の真ん中に強く押し当てた。
「お願い、ぜんぶ "きらきら" にして」
『――これで、おしまい』
"空の涙" が強烈に発光した。
断末魔のような光が収まると、身体が羽のように軽かった。
"きらきら"と輝いて見えた。
ミナは微笑みを浮かべ、呆然としたレンに向き合った。
「……おい、ミナ。なんだよ。待ってたのか?」
気まずそうな、けれど期待を含んだレンの声。
以前なら胸が跳ねたであろうその声も、今のミナにはただの空気の揺れだった。
ミナは首を傾げ、短く答えた。
「ううん、なんでもない。ばいばい」
そして、踵を返して、横断歩道を渡ろうとする。
「は? ま、まてよ。おれが悪かったよ。謝るから!」
必死に追いすがるレンの手を、ミナはひらりとかわした。
謝罪など、どうでもよかった。怒りもなければ、愛おしさもない。
「かんけい、ないよ」
ミナの手の中で "空の涙" が、小さな砂になって、指の隙間からこぼれ落ちていく。
それは一粒一粒が夕日を反射して、"きらきら" と輝いているようだ。
(ああ、なにかきこえる……)
胸の奥で、消し忘れた小さな泥の中から、何かが必死に叫んでた。
けれどそれはすぐに消え失せ、圧倒的な静寂が満ちた。
空は燃えるような夕焼けだった。
世界は美しく、残酷なほど静かだ。
ミナは一人で帰路につく。レンの叫ぶ声も聞こえない。
足取りは軽く、どこまでも歩いていけそうな万能感に包まれていた。
もう誰も私を傷つけない。何も怖くない。
「明日はきっと、もっと "きらきら" した日になるわ」
ミナは未来への希望さえ口にして、スキップ交じりに歩き出した。
いつもの交差点。
赤信号は消えたままで、黒い箱がぶら下がっている。
誰も止まれとは言わない。
ミナは笑顔のまま、横断歩道に踏み出した。
ブレーキ音は聞こえなかった。
運転手もまた、信号が消えた交差点に、迷わず突っ込んできたからだ。
ドン、と鈍い音がして、ミナの視界がぐるりと回った。
空と地面が逆さまになり、自分の足が転がっていくのが見えた。
痛みはなかった。
恐怖も、後悔も、助かりたいという願いさえも。
きっと "空の涙" が消し飛ばしてしまった。
ミナは薄れゆく意識の中で、駆け寄ってくるレンを見た。
悲鳴を上げて立ち尽くす女の子たちを見た。
泥ひとつなく、まばゆいほど "きらきら" と輝いている、スニーカーを見た。
いいわけ、させてください。
テーマ「きらきら」に対して、印象が、美しさより儚さが強く、こうなったのです。




