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9話

 レオナード様に抱き締められた感覚が、どうにも頭から離れない。一瞬の出来事だったはずなのに、彼の温もりや逞しい腕に包まれたときの安心感が、何度も蘇ってくる。


その夜、私はなかなか寝付くことができなかった。目を閉じるたびに彼の腕の感触や、低い声が思い出されて、心臓がざわつく。


(私は……何を考えているのかしら)


今まで聖女として清廉潔白に生きてきた自分にとって、こんな感情は慣れないものだった。聖女としての誇りはあったが、それが逆に、異性に対して無関心でいることへの未熟さを痛感させる。自分の心に腹が立つ一方で、どうしても彼の存在を無視できない自分がいた。



 翌朝、庭先にレオナード様が現れる。


「おはようございます、セシリア様!」


いつも通りの笑顔で挨拶してくる彼の姿に、私は昨夜の悶々とした気持ちを振り払うように微笑み返す。


「おはようございます。今日も来てくださったんですね?」


「もちろんです!庭の手入れも、菜園の草取りもお任せください」


まるで昨日の出来事が何もなかったかのように、彼は普段通りの態度だ。それが逆に気になって仕方がない。


(私だけが気にしているみたいじゃない……!)


2人で畑仕事をしてから、花壇の水やりをする。その後、ティータイムに入るのが日課に成りつつある。彼からのプロポーズを断っているが、晩年の老夫婦の様な生活をしているのに少しだけ危機感を持つ。


隣で紅茶を飲む彼に視線を向けると、手元で何かをいじっているのが見えた。よく見ると、昨日プレゼントした香り袋を持っている。


「……持ち歩いているんですか?」


「はい。だって、これをいただいたとき、とても嬉しかったんです。それに、香りが落ち着きます」


彼の言葉は真っ直ぐすぎて、返す言葉に困ってしまう。そんな不慣れな自分に呆れてしまう。


すると、ふと庭の塀越しに視線を感じた。振り返ると、子供たちがこちらをじっと見つめている。


「こんにちは、どうしたの?」


私が声をかけると、子供たちは顔を見合わせた後、一人の男の子が元気よく答えた。


「お姉さんたちも一緒に魚釣りに行かない?」



 川辺に到着すると、子供たちが竹で作られた簡素な釣竿を手にしてはしゃいでいる。私とレオナード様も同じように釣竿を渡され、釣り糸を川へと垂らした。


「こんな風にのんびりと釣りをするのは初めてですね」


レオナードが隣で微笑む。


「そうですね。こういうのも、悪くないかもしれません」


水面を眺めながらそんなやり取りをしていると、後ろから子供たちの声をかけてきた。


「ねえ、お兄さんとお姉さんって夫婦なの?」


「えっ!? そ、そんなわけないでしょ!」


私が慌てて否定すると、子供たちは首をかしげた。


「え?じゃあ、付き合ってるの?」


「い、いや、それも違うわ!」


「えぇ?!付き合ってないのに一緒に住んでるの?」


「住んでない!」


予想以上に食い下がってくる子供たちの質問攻撃に、私は返事をするだけで精一杯だ。隣を見ると、レオナードが困惑しながらも、どこか楽しげにしているのが目に入る。


「こらこら、あまりお姉さんを困らせるんじゃないぞ」


彼が子供たちをたしなめる声を聞きながら、私は内心大きくため息をついた。


そのとき、私の手に持っていた釣竿が急に引っ張られた。


「わっ!?」


思わず釣竿を引き戻そうとするが、想像以上の力で糸が引かれ、体ごと川へ引き寄せられてしまう。


「セシリア様!」


咄嗟にレオナードが私を抱き寄せてくれたが、そのまま二人して川へ落ちてしまった。冷たい水が一瞬にして全身を包み込み、濡れた服が肌に張り付く。


「大丈夫ですか!?」


レオナードが私を支えながら立ち上がる。その真剣な顔を見上げた途端、私の顔が一気に熱くなった。


「だ、大丈夫です……」


お互いずぶ濡れの姿に気づいた瞬間、私たちは一言も言えなくなった。ただ、髪から滴る水滴や濡れたシャツ越しに見える彼の体に、何故か目が離せない。


川岸から見ていた子供たちが、口を揃えて言う。


「……これで付き合ってないの?」


その言葉に、私たちは顔を真っ赤に染めて何も言えなくなった。


 釣りの成果は数匹だったが、それでも何とか晩御飯になりそうだ。日もくれて、濡れた髪やシャツもすっかり乾いている。家路を歩きながら、私はレオナード様と何を作るか相談していた。


「やっぱり焼き魚がいいですね。あとはスープも作れそうです」


「そうですね。あ、少し庭のハーブを使うと香りが良くなるかもしれませんね」


そんな何気ない会話が心地よく感じられる。家に近づくと、玄関前に立つ一人の男性の姿が見えた。


「誰だ……?」


レオナード様が警戒を強める中、私はその男性の顔を見てハッとした。


「フランツさん……?」


 

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