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5話

 「そんな所まで、ありがとうございます」


キッチンで作業するレオナード様の背中を見ながら、私は改めてそう告げた。彼は雨漏りの原因だった屋根裏を手際よく修理を進めている。まるで日常の一環であるかのような慣れた動きに、少し驚かされた。


「…セシリア様、ここでの生活には慣れましたか?」


作業の合間に彼がふいに問いかけてきた。


「ええ、とても。村の方々も親切で、家庭菜園をしてみたり、子供たちと散歩したり、とても楽しいんです」


私は自然と笑みを浮かべて答えた。慣れない自給自足の生活だが、それがまた新鮮で充実感を与えてくれている。


「そうですか。それは良かった」


レオナード様は天井を見上げたまま呟いた。彼の横顔にはほっとしたような柔らかさが見える。


「大聖堂にいたころよりも表情が穏やかになったと思います。以前は、いつも何かに疲れている様な様子でしたから…」


その言葉に、私は少し考え込んだ。確かにあの頃は、毎日が仕事に追われていた。自分ではそれが当たり前だと思っていた。


「疲れていても、かわいい表情をされていましたけどね」


不意に彼がそんなことを言い出し、私は思わず手にしていた布巾を落とした。


「な、何ですか、それ!」

「あ、いや、その、失礼しました……」


彼が耳まで赤くなりながら誤魔化す様子に、私は少し戸惑いながらも苦笑してしまう。


 修繕は順調に進み、天井からの雨漏りは無事に止められた。それどころか、彼は他にも気づいた箇所を手際よく直してくれた。高い位置にある埃を払ったり、重い荷物を運び出したりと私一人では手をつけられなかった部分にまで手伝ってくれた。


「本当にありがとうございます。何から何までしていただいて……」


「これくらい気にしないでください。あなたのためなら、いくらでもやりますよ」


彼は微笑みながら言い切り、私はそのまっすぐな言葉に戸惑うばかりだ。


「それでは、何か用意しますね」


私はキッチンへ向かった。彼の厚意に甘えるばかりでは申し訳なかったし、こうして手料理を振る舞うのも悪くないと思えた。

野菜を切りながら、後ろでじっとこちらを見つめる視線を感じる。振り返ると、案の定、レオナード様が椅子に座り、無言でこちらを見つめていた。


「そんなに見られると、作りにくいんですけど」


「失礼しました。ただ、料理をしているセシリア様の姿を見ていたら……なんだか、夢のような気分になりまして」


「夢?」


「ええ。でも、私たちが結婚したら、家には料理人がいるのでセシリア様の手料理を頂く機会は減ってしまいますね」


彼の言葉に、手が止まる。


「ちょっと……またそんなことを言って!」


「たまには、こうしてセシリア様が料理をして、私がそのお手伝いをして……。そしたら、セシリア様が私に味見を求めてくださるのです。スプーンを私の口元にあーんって…」


彼の言葉にどう返すべきか分からず、私はただ黙って野菜を切る手を動かした。


自分が知っている彼は、無口でぶっきらぼうな印象の人だった。その姿は、どこか近寄りがたく、感情を表に出さない冷静な人物像が浮かんでいた。


けれど、今目の前にいる彼はどうだろう。キッチンで作業をする私をじっと見つめたり、さらには結婚生活の妄想まで語り出すほどに饒舌になっている。


(こんなにお喋りな人だったかしら……?)


そんな彼の新たな一面に戸惑いつつも、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


(こんなふうに誰かと自由に会話ができる人だったのね……)


過去に抱いていた印象との違いに気づくたび、それは彼が変わったのか、それとも私が変わったのか。


(どうしてこの人は、こんなに真っ直ぐなんだろう……)


心の中で小さなため息をつきながら、私は出来上がった料理を皿に盛りつけた。


 出来上がった料理をテーブルに並べると、レオナード様は目を輝かせながら席に着いた。


「これは、なんて美味しそうな料理なんだ」


彼の期待に満ちた声に、私は少し照れくさくなりながらも微笑む。


「お隣で農業を営んでいる奥さんに教わりました。この地域でよく食べられる家庭料理だそうです」


「さっそく、いただきます」


スプーンを手に取った彼は、一口運ぶと目を見開き、感嘆の声を上げた。


「……これは! 本当に美味しい! セシリア様、これほどの腕前をお持ちだったとは」


「あ、ありがとうございます……」


素直な反応に思わず笑みがこぼれる。私の料理でこうして誰かが喜んでくれるなんて、聖女の頃には考えもしなかったことだ。田舎暮らしを始めてから勉強した料理が、こうして誰かの口に入り、感想をもらえる。それだけで胸が温かくなる。


「まさかこんなに美味しい料理をいただけるとは思いませんでした。騎士団の食堂に持って帰りたくなります」


「そんなに褒めないでください……」


軽口を叩き合いながら、穏やかな空気が流れる。だが、心の片隅にある疑問は消えない。


「……レオナード様、ひとつ聞いてもいいですか?」


私が声を低くすると、彼は真剣な表情で頷いた。


「もちろん。何でもお聞きください」


「昨日も少しお話しましたけど、本当に私を聖女として連れ戻すつもりはないんですか?」


彼はすぐに首を縦に振った。


「その通りです。私は、あなたに戻ってほしいとは思っていません。むしろ、あの生活から解放されてよかったと心から思っています」


その言葉に安心しつつも、胸の奥にある別の疑問が顔を出す。


「では、今、大聖堂や国では何か起こっていたりしませんか?私がいなくなったことで何か混乱が起きているのではないかと心配で……」


彼の表情が一瞬だけ曇り、言葉を選ぶようにしてから答えた。


「…あなたがいなくなった直後、大聖堂内や王宮では確かに大きな混乱はありました。今も混乱は続いています。王族や貴族たちは、すぐ騎士団にあなたを探すよう命じました」


その答えに、私は胸の鼓動が速くなるのを感じた。膝の上で拳を強く握る。


「……それで、私はどうなるのでしょう」


「心配には及びません。なんせ私がこの国の"騎士団長"ですから。少なくとも今、騎士団の中にあなたを探す者はいません」


彼の言葉には確信があったが、それでも完全に不安が消えるわけではない。


「でも、聖女の力を必要としている国民の皆さんは?」


私の問いに、彼は少し微笑みを浮かべて答えた。


「あなたはもう大聖堂にはいないのです。その様な心配はしないでください」


彼は続ける。


「それに今までだって、あなたが王族に頼まれた任務に出て大聖堂を離れていた時は他の神官が国民の対応をしていました。ですが、」


彼の言葉に、私は息を飲んだ。


「貴族や王族たちは、まだ必死にあなたを探しています。その執着心だけは今だに変わりません」


彼の言葉に、私は肩を落とした。


「大丈夫です。私が必ずあなたを守ります。何があっても」


彼の真っ直ぐな視線が、私の不安を少しだけ和らげた。


「ありがとうございます……」


そう呟きながら、私は少しだけ心が軽くなった気がした。騎士団長であるレオナード様が私の味方をしてくれているこの状況は本当に頼もしいと思った。


商人のフランツさんや街の人たち、そして、レオナード様。大聖堂から抜け出してから人の温かさに触れるたびに、自分という存在を取り戻している気がした。

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