43話(最終話)
フィオルド公爵は、王位継承権を獲得し、新たな王として即位した。
あの時、パーティ会場での一連の出来事が、まるで昨日のことのように鮮明に思い出される。王としての重責を背負い、彼は国のために日夜動いていた。
情報ギルドのマスターだった頃の彼を思い出すと、少し不思議な気持ちになる。あの時は冷徹で、どこか腹の底が見えないような人だったのに、今はどこか晴れやかな顔をしている。
王となった彼は、前王が行ってきた悪行を暴き、その清算に追われている。しかし、彼のその行動は国民たちの信頼を集め、今や多くの人が新たな王を称賛している。
彼は、いつだって『やるべきこと』をやり遂げる人だ。
爵位を失った貴族たちも多い。中には『前王様に騙されていただけだ!』と駄々をこねる者もいたが、誰も擁護しようとはしなかった。
彼らが王の威を借りてどれほど好き勝手をしてきたか、民衆はみんな知っていたからだ。
当然、彼らの娘であるご令嬢たちはかつての華やかな生活に戻ることはなかった。かつて私を見下していた令嬢たちは、今どうしているのだろう。
あの時の彼女たちは、私に「代わりはいくらでもいる」と言ったけれど、彼女達も今は「代わりのきかない自分」になるためにもがいているのだろうか。
かつての言葉を思い出すと、不思議と心が静かだった。
前王様は、隣国に引き渡され、裁きを受けることとなった。かつて彼が行ってきた数々の悪行は、もはや隠し通すことはできなかった。隣国では、彼が行ってきた革命軍への武器供与の罪を厳しく追及することになるだろう。
騎士団も、新たな時代を迎えた。これまで、前王の理不尽な命令によって、無理な労働を強いられていた騎士たちだったが、今は違う。新たな王のもと、騎士団も一新され、新たに団長となったのは、リード様だ。
リード様は、かつてレオナードの右腕を務めていた人だ。彼は実直で部下思いの性格。彼なら、騎士団をしっかりとまとめ上げてくれるだろう。
レオナードも、彼が団長に任命されると知った時、安堵した表情を見せていた。
「リードなら問題ない。冗談の多いやつだが、それがちょうどいい」
そして、フランツ商会も変わり始めている。あのフランツさんの手腕もあって規模を拡大している。エマは、フランツ商会の手伝いを始めたらしい。
「どうして商会で働くことにしたの?」
エマに尋ねた時、彼女は照れたように頬をかいていた。
「……その、フランツさんが良かったら手伝ってくれないかって言うもんだから……」
そう言って、彼女は頬を真っ赤に染めていた。
(きっと、ただの『お手伝い』じゃないわね)
フランツさんが、こっそり私に相談してきたことがある。
「セシリアさん、僕、彼女に告白しようと思うんです」
「それは……いいじゃないですか! 応援します」
「……で、何かプレゼントを渡したいんですが、レオナードさんに相談したら『薔薇の花束を渡せ』って言われたんですよ」
「……ああ、レオナードらしいアドバイスですね」
「でも、エマは花よりも実用的なものが好きなんですよね。だから、薔薇の花束は却下しました!」
フランツさんは決意を固めた表情で言っていた。何をプレゼントするのかは教えてくれなかったけれど、あの二人が幸せになるのは間違いないだろう。
さらに、大聖堂も新しい時代を迎えた。前王様から賄賂を受け取っていた神父は追放され、こちらも新たな体制が整いつつあるようだ。かつて辞めてしまった神官たちも戻り始めているらしく、私にもその報告が入った。
「セシリア様、私たちはもう一度、信頼を取り戻すために努力します」
大聖堂の神父たちは、揃って深く頭を下げた。その言葉に、私は少しだけ安心した。
かつて『偽りの聖女』として紹介された神官見習い。彼女も処罰を受けることはなかった。彼女もまた、利用されていた一人だった。
彼女は、新たに神官として昇進したと聞く。その話を聞いた時、私は心からホッとした。あの時の彼女の怯えた顔は、昔の自分と重なって見てたのだ。
きっと、これからの彼女は人々を支える力になるだろう。
すべてが新しい時代へと進んでいく。
前の王が築いた不正の時代は、もう終わった。それは、ただの終わりではなく、始まりだったのだ。
そして、私とレオナード様の物語もまた、ここから始まる。
私とレオナードは、それぞれ聖女と騎士団長を引退し、田舎生活を送っている。
「どうです?立派な野菜が育ったでしょ」
レオナードが、畑を指さして笑っている。私が1人で住み始めたこの田舎の家には、今は2人で住んでいる。
「ふふ、楽しみですね」
「セシリア様とこの家に戻って来れて、本当に良かったです」
彼の言葉に、私の胸がじんわりと温かくなった。
「私達の『自由』はここにあるから」
この場所が、私たちの新しい家だ。
木々のざわめきと、鳥たちのさえずりが心地よく響く。風は優しく、青空がどこまでも広がっていた。
「セシリア、そっちはもう終わったのか?」
その声に、私は手に持っていた洗濯物を干し終え、振り返った。庭の一角で、レオナードが土を掘り返していた。
袖をまくり上げ、鍛え上げられた腕が日に照らされて輝いている。
「ええ、今ちょうど終わったところ」
私は両手を払って、彼の方へと歩いていく。彼の周りには、小さな畝がいくつも作られていた。
「そっちは何を植えるの?」
「ハーブだ。ローズマリーとタイム、あとはセシリアがおれにくれたミントも」
「……覚えててくれたのね」
彼は小さく笑った。
「忘れるわけないだろ?初めてもらったプレゼントだぞ」
「ふふ、そうですね」
彼の言葉に、つい笑みがこぼれる。彼がスコップを地面に刺し、作業を終えたように腰を伸ばした。汗が額ににじみ、白いシャツの胸元が少しだけはだけていた。
(……やっぱり、かっこいい)
不意に、彼の目と目が合った。
私の考えが伝わったのか、彼は片眉を上げてにやりと笑う。
「……セシリア、今、何を考えてた?」
「な、何でもない!」
「ほう? じゃあ、なんでそんなに耳が赤いんだ?」
「うっ……!」
言い返せなくて、思わず顔をそむけた。彼はそんな私の反応を楽しむように、ゆっくりと近づいてくる。
「おいおい、俺たちはもう夫婦だぞ?」
その低い声が、耳元でふわりと響く。
「何をいまさら照れてるんだ、可愛いな」
「う、うるさいですっ……!」
彼の手が、私の頬にそっと触れた。そのまま、ふわりと髪を撫でていく。
「……セシリア」
「……なに?」
彼の目は、まっすぐに私を見つめていた。その視線が、昔とは少し違う。もっと深く、優しく、だけどどこか情熱的で。
彼は、私の手を取った。指と指が絡まる。その熱が、指先から心まで伝わってくるようだった。
「俺は、これからもずっと、お前と生きていく」
「……はい」
「田舎でも、都会でも、どこに行こうと、俺の隣にいてくれ」
「はい」
「だから……」
彼が、私の手を強く握った。
「結婚式の準備、始めよう」
(――……!)
胸がじんわりと熱くなった。
「……はい」
返事をした瞬間、彼が私の手を引き寄せた。
ぐいっと引かれた勢いで、彼の胸にぶつかる。
「っ、レオナード!」
彼の胸の鼓動が、耳元でドクン、ドクンと響いていた。
「……レオナード」
彼の背中に手を回し、そっと抱きしめ返した。それだけで、彼の体温が全身に染み渡るような感覚があった。
「ずっと、一緒にいようね」
「当たり前だろ。離すつもりは、これっぽっちもない」
彼が少しだけ顔を離した。そして、私の頬を両手で包み込み、真っすぐに見つめてくる。
「……目を閉じて」
「……え?」
心臓が、一気に高鳴った。彼の目が、静かに、けれど確かに私を求めている。その意味を察した瞬間、自然と目を閉じていた。
頬に感じていた彼の手が、ゆっくりと耳のあたりに移動した。そして、彼の唇が、私の唇にそっと触れた。
(……っ!)
優しくて、だけどしっかりと私を感じている、そんなキスだった。触れている時間が、やけに長く感じた。
ようやく彼が唇を離した時、息が詰まるような感覚だった。
「セシリア」
「……はい?」
彼は、真剣な目をしていた。
「幸せにする。絶対に、だ」
彼の言葉が、まっすぐ胸に届いた。
ふと、風が吹いた。木々が揺れ、草の匂いが広がる。私は彼の隣に立ち、空を見上げた。
あの大聖堂から逃げ出したあの日、私は未来のことを何も考えられなかった。
未来がこんなにも楽しみだなんて、あの時の私は思いもしなかった。
「……結婚式の準備、どこから始めようかな」
「式場か? 招待客のリストか? いや、まずはセシリアのドレスからだな」
彼が少し考え込んでいるのを見て、思わず笑ってしまった。
「……まずは、フランツさんとエマにお手伝いを頼むところから、だね」
「……あいつ、絶対張り切るな」
彼も同じ気持ちだったのか、苦笑して言った。私は、彼の手をぎゅっと握った。彼も、同じように握り返してくれた。
風がまた吹き抜けた。広い青空はどこまでも広がっていて、自由に生きた先にある未来を祝福してくれているように見えた。
Fin




