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4話

 戦場に赴くときの風景は、いつも独特の空気を纏っていた。土埃と湿気の匂いが混ざり合い、遠くで響く剣戟や怒号が肌をざわつかせる。


私は魔物が占拠した土地の浄化を行うため、前線近くに設けられた拠点で待機していた。最前線に出るのは訓練された兵士や騎士団の仕事であり、私は後方から彼らを支援する形で力を貸すのが常だった。


その時、初めて会ったのが騎士団長のレオナード・ヴァルハルト様だった。


「セシリア様、以後の護衛は私が務めさせていただきます」


低く響く声でそう言った彼は、まるで壁のように大きな体格を持ち、鋭い眼光でこちらを見下ろしていた。その厳格な佇まいは周囲の騎士たちの中でも一際際立っており、彼がこの場で絶対的な存在であることは容易に分かった。


「ありがとうございます、レオナード様」


私がそう返すと、彼は無言で頷いたきり何も言葉を発することはなかった。無口で近寄りがたい印象。それが私の最初の彼への印象だった。


周囲の騎士たちも彼に一目置いているのがわかった。彼の指示にすぐさま従う姿や彼の動きに合わせるように兵士たちが連携を取る様子から彼がその場の中心であることは明らかだった。


彼の冷たいように見える眼差しは、私にとってどこか居心地の悪さを感じさせた。護衛を任されている以上、私の近くにいる時間が長くなるのは当然のことだったが常にその鋭い視線を感じるとどうしても肩に力が入ってしまった。


 それから数日後、任務が無事に終わった。魔物を祓い、浄化の祈りを捧げた後、私は疲労感を覚えながら拠点に戻った。魔物の討伐こそ兵士や騎士たちの仕事だったが、私が行う浄化の儀式もまた相応の体力と精神力を必要とした。


拠点に戻ると、いつものように無言で立つレオナードの姿が目に入った。


「お疲れ様でした、セシリア様」


彼がそう言いながら差し出したのは、冷たい水とどこかから持ってきたらしい簡素な食事だった。


「ありがとうございます」


そのとき、彼の手がほんの少し震えているのに気づいた。重労働の末なのか、それとも何か別の理由からなのか。今となっても分からない。ただ、彼が私を気遣っていることだけははっきりと伝わってきた。


それから、騎士団と行動を共にする際には、必ず彼が私の護衛を引き受けてくれるようになった。彼の厳格な態度は相変わらずだったが、時折見せる小さな気遣い、例えば、私の飲み物の準備をしたり長旅の疲れを気遣う声をかけてくれたり。そういった行動が彼の本質を垣間見せてくれるようだった。


ふと、ある場面を思い出す。ある町から依頼を受け浄化の祈りを終えた後、私が倒れそうになった際に彼がすぐさま支えてくれたことがあった。そのとき彼の手は力強く、けれどどこか優しさを感じさせるものだった。


「大丈夫ですか、セシリア様」


低い声が耳元で響き、真剣で熱い眼差しを向けられているとそのとき確かに感じた。護衛の任務だから、当然のことだと思っていた。だが、今思えば、あの視線はただ職務を遂行するためのものではなかったのかもしれない。


それに気づけたのは、今こうして振り返る時間を持てたからこそだ。


「……あの頃から、だったのかしら」


私はテーブルに肘をつきながら、小さく息を吐いた。

彼の熱い視線。それはただの護衛対象への警戒ではなく、もっと個人的な感情が込められていたのかもしれない。そう思うと、胸がわずかにざわめく。


(ただ、その感情に向き合うには、私はまだ……)


私は思考を振り切るように、立ち上がった。思い出に浸るよりも、今は目の前の生活を続けていくことが重要だ。



 朝の清々しい空気を感じながら庭先に出る。菜園にはまだ小さな芽が顔を出したばかりで、収穫には程遠い。それでも、この小さな変化を楽しみにする毎日は私にとって新しい喜びだった。


そんな穏やかな時間が一変したのは、庭の片隅に立つ人影を見つけたときだった。


「……レ、 レオナード様?」


驚きのあまり声が上ずる。目の前に立っていたのは、騎士の甲冑ではなく、村の雰囲気に溶け込む服装をしたレオナード様だった。彼は少し照れたように微笑みながら、一歩前に出てきた。


「おはようございます、セシリア様」


その低い声が昨日の出来事を思い出させる。彼からの突然のプロポーズを断ったばかりだ。それなのに、まさか1日も経ってないうちに再び現れるなんて。


「……あの、また来たんですか? 昨日お話ししたこと、覚えてますよね?」


できるだけ冷静に話そうとするが私の声には困惑が滲んでいた。彼は申し訳なさそうに頭を下げると、意外にも素直に頷いた。


「はい。セシリア様が今は恋愛や結婚を考える余裕がないとおっしゃったことは、十分理解しています。それでも……」


彼は一度言葉を切り、真剣な眼差しを私に向けた。


「私は諦めるつもりはありません」


その一言に、思わずため息をついてしまう。 


「……答えは変わりませんよ?」


「もちろん分かっています。それでも今は、少しでも私のことを知っていただきたいんです」


「……知って、どうなるんです?」


「私がどれほど本気か、そして、あなたの幸せをどれほど思っているのか。それを知っていただけるだけでも十分です」


その言葉は真っ直ぐで、そして押し付けがましさを感じなかった。むしろ、彼の誠実さに困らされるほどだった。


「でも、私は……」

「少しの時間で構いません。これから先、どうしたいかはセシリア様が決めてください。ただ、私はあなたに伝えたいんです」


彼の瞳に宿る真剣さを前に言い返す言葉を失ってしまった。彼のような人がここまで私のために熱意を持って行動する理由。それが、どうしても理解できなかった。

けれど、それを問いただすには、私自身が彼を知る必要があるのだろう。


「……分かりました。でも、あまり無理はしないでくださいね」


私がそう告げると、彼はほっとしたように微笑んだ。その表情は普段の厳格な彼とは違い、どこか親しみやすさを感じさせるものだった。


「ありがとうございます。では、まず何かお手伝いさせていただけますか?」

「お手伝い……ですか?」

「はい。あなたの生活の一部に、少しでも力を貸せればと思いまして」


意外な提案に戸惑う私だったが、ふと今朝考えていたことを思い出した。


「そういえば、台所で雨漏りがあって、今日のうちに修理しないといけなかったんだっけ…」


記憶が辿り、思わず困り事を口に出してしまったが、彼は即座に頷いた。


「それなら、私に任せてください。修理道具が必要なら調達してきます」

「いえ!そんな。 レオナード様がするようなことではないですし、自分で何とかしますから」

「いえ、こういう作業には自信があります。戦場では、雨漏りどころか壊れた拠点の修復もよくやりましたから」


彼の熱意に押され、私は言葉を飲み込むしかなかった。


「……では、お手伝いをお願いしてもいいですか?」

「喜んで!」


彼の快活な返事に思わず苦笑してしまう。昨日のプロポーズからの流れを思うとその行動力には呆れるばかりだったが不思議と嫌な気持ちはしなかった。


雨漏りを塞ぐ為の材料を探し始めた彼の姿を見送りながら、私は静かにため息をついた。

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